多分、あいつに睨まれたのは初めてだった。 「真田?」 呼ばれて振り向くと視線の先には丸井と仁王がいて、呼んだ張本人の仁王は、しまった、という顔をしていた。おそらくそれは俺を呼び止めるために発せられたものではなく、「何でお前こんなところにおるん?」くらいの気持ちだったのだろう。丸井も丸井で面倒なのを見つけてくれたと言わんばかりの鋭い視線で仁王を見ていた。 「相変わらず仲が良いなお前たち」 後ろからひょいと顔を覗かせてそう言ったのは蓮ニで、それを見つけた丸井と仁王はさらに驚いたようだ。確かに、俺にしろ蓮ニにしろあまり購買や食堂には顔を出さない。 「別に俺ら仲良いつもりはねえんだけど」 丸井は嫌そうに顔を歪めた。 「そうか?一年の頃からよく一緒にいただろう」 「お前らの場合は仲良しでつるんでっかもしんねえけどな、俺らはそういうんじゃないの。行動パターンが近いから一緒になっちゃうの。今だって別に仁王と一緒にここまで来たわけじゃねえもん、来たらこいつがメロンパンか焼きそばパンかで真剣に悩んでたんだよ」 どうでも良い情報を開示してくれた丸井に蓮ニは珍しく声を出して笑った、「仁王は馬鹿だからな」そう言いながらちらりと俺を見たのは気のせいだということにしておいてやろう。 「で?お前らどこで食うつもり?」 丸井にそう尋ねられ、特に決まってはいないと返すと、「なら屋上来る?ただし説教は御免だぜ」と誘われた。屋上は生徒は立ち入り禁止のはずだ、と言いかけたところで丸井に制される、「今言ったろ、説教は御免だって」む、として言い返そうとすると蓮ニが買ったばかりのサンドイッチを俺たちの間にぬっと突き出して、いいな屋上、と言った。そういうわけで、なんだかよくわからぬまま、俺たち四人は屋上へと向かう羽目になった。 初めて足を踏み入れた屋上は思っていたよりも綺麗で、考えてみればそうそう人が立ち入るような場所ではないのだから当たり前だということに気が付く。良く来ているのかなんなのか、丸井も仁王も迷うことなく屋上の一角に腰を降ろすと、さっさと昼食を食べ始めた。ぐるりと見渡すと他にも数名の生徒がいたが、どれも知らない顔ばかりだ。そのうちの何人かが「にお、俺にもプリンちょうだい」とか「ブン太あ、割り箸寄越せ」とか言っていたので、あいつらとは顔見知りなのかもしれない。 「真田さん、何やってんすか座ったらどうですか」 入り口に立ったまま動かない俺に丸井がそう声をかけてくる。見れば蓮ニも既に食べ始めていた。 「真田さん、って何なん、それ」 仁王の隣に腰を降ろしたと同時に、隣で奴がそう言った。先ほどの丸井の台詞に対してなのだろう。別に気になったわけではないけれど言われてみれば冗談で言ってるわけではなさそうだったので、なんとなく俺も丸井を見る。 「そういやお前さん、幸村も幸村、くん、か」 「だってこの人すぐ俺に説教すんだもん、何、なんなの俺のお嫁さんなの?って思ったらとりあえずさん付けしておこうと思って」 「馬鹿じゃ、本物の馬鹿じゃ」 「なんでだよ!わかれよ俺の気持ち!」 「わからん。ほいで、なして幸村くん?」 「怖いから」 「なる、それはわかった、お前馬鹿じゃな」 仁王と丸井のやり取りになんとなく入り込めずに眉間に皺を寄せて聞いていたら、蓮ニが可笑しそうに口の端をあげた。 「それで?真田さんは怒らないのか?」 「何をだ」 馬鹿馬鹿しい、と吐き捨てて食事を再開する。丸井は相変わらず真田さん飲み物いる?などとふざけたことを言っており、少しばかり引っ叩いてやろうかとも思ったが、結局手が届かないことに気が付いてそれはやめた。その辺も考えて座っているのかもしれない。 改めて考えてみると丸井とも仁王とも、話したことなど無いのかもしれなかった。二人とも同じクラスになったことなど無いし、部活中は基本的に幸村や蓮ニといることが多く、他の部員とはほとんど口をきかない。あえて言うならば昨年同じクラスだったジャッカルくらいだろうか。あいつはテニスの知識も豊富だし、部員のこともよく見ていて、話がしやすい。俺の逆鱗に触れることも、まず、無い。 ちらりと仁王に目を遣ると、何を考えているのかよくわからないぼーっとした表情でパンを咀嚼していた。副部長の座に着くことが決まってからはなるべく部員に目を向けるようにしているものの、その前の仁王に関する記憶と言えば、丸井同様すぐにサボりたがる習性の持ち主、ということくらいしか思い浮かばない。幸村や、あるいはデータ収集を趣味とする蓮ニならば何か違うことが言えるのかもしれないが、残念ながら俺の持ちうる限りの情報はたったのこれだけだった。 唐突に仁王と柳生をダブルスのペアにすると幸村が言い出したのは、つい最近のことだった。おそらく本人たちにそれを告げる一日前だったと思われる。いつも通り蓮ニを含め三人で帰路についた時のことだった。あっさりと、それはもうさっぱりした口調でそう言った。 幸村は、丸井ジャッカルペア以外のダブルスをどうするかで悩んでいた。顧問などあって無いようなものである我が立海テニス部は、練習メニューはもちろんのこと、試合のオーダーさえも幹部が決める。もちろん大会に出場するには顧問印が必要であるからきちんと顧問は存在する。彼のことは俺たちもそれなりに尊敬しているけれど、どうもあまり指導する気はないらしく、行き詰った時にアドバイスをくれる程度だ。だから今回のことも主に俺たち三人で話し合いを進めていて、無理そうならば今回は俺と蓮ニが組もうかという話になっていたところだった。予想さえしていなかった組み合わせにもちろん俺も蓮ニも反対したが、幸村は頑として意見を変えなかった。あいつは物事をいい加減に判断する男ではない、結局俺も蓮ニも、幸村を信用してみることにしたのだった。 とは言え、やはりどう考えてみてもそれが得策だとは思えず、どうしても疑い深い目で仁王を見てしまう。 「・・・さっきからなんじゃ、真田」 視線は変えることなく仁王はため息をつく。見ていることは気づかれていたらしい。 「いや、なんでもない」 目を逸らして飲料水に手を伸ばしたところで丸井に、ダブルスのことじゃないのかよ、と言われた。仁王が嫌悪感を示した、あからさまに。俺は蓮ニと顔を見合わせてしばらく沈黙した。 「お前と、柳生の、個人のレベルに文句をつける気はないが」 仁王がそこでやっと顔をあげた。 「柳生と上手くできるのか」 その言葉を受けてまっすぐに仁王は俺を睨む。仁王の目が、修羅のように怒りを表した。 瞬間、蓮ニが、パンと両手を叩く。何事かと奴を見ても、涼しい顔で食事を再開してしまう。我に返ってそれから仁王を見るとあいつは先ほどまでの事は何もなかったかのように、お茶とって、と丸井の隣にあるペットボトルを指差した。俺はお前のそういうところが嫌いではないが、と蓮ニは前を向いたまま言う。時と場合を選べ、とそう続けた。 「なるほどのう」 仁王の間延びした声が抜けていく。 「あれは本当に幸村の独断だったわけじゃ、お前さんたちにさえ相談せず」 「・・・そうだ、俺たちは何も聞いていない」 「そう言われても、俺かて好きであいつとダブルス組んどるわけじゃあ、ない」 同じじゃ、と仁王は俺を見た。俺も幸村に言われたからやってるだけ、仁王は自嘲気味に笑った。 幸村が間違ったことを言うことはまずない。それはあいつが頭が良いからとかそういうわけではなくて、あいつが俺や蓮ニを、立海テニス部を大切にしているからだと、俺は信じている。だから仁王と柳生だなんて俺たちでは考え付きもしなかった二人をダブルスのペアにすると言ったのも、何か考えがあってのことだと思っている。だからこそ、あいつらには失望させないでほしいのだ。 「弦一郎は、基本的に精市を信用しすぎなところがあるな。そこが良いところでもある」 「え、何その三人て仲良しじゃないの」 「仲良しだ、ただ、今の精市は部長でもある」 蓮ニの言葉に丸井はお手上げというように肩を竦めて、意味わかんねえと呟いた。 「真田」 仁王に呼ばれて、視線をそちらへ遣る。 「しゃーないことじゃけん、頑張るぜよ」 幸村、お前は一体何を考えている? |