初めて聞いた時は一体なんの冗談なのかと思った。だからあくまで軽い口調でいいんじゃないか面白いしと答えたのを覚えている。それから幸村はそうだよね俺もそう思うんだけど真田の馬鹿がさあ、とかなんとかブツブツ呟いて、ちょっと丸井も連れて来て、と言った。その日は確か先輩たちが引退してからまだ一週間も経っていなくて、どこか緊張した雰囲気が漂っていたはずだ。上の代だって決して弱かったわけではなかったのに、幸村が部長に就いてからはがらりと部の雰囲気が変わったような気がする。ここは軍隊か!とブン太が思わずつっ込んで、仁王が、もう俺無理やめたいんじゃけどやめていい?と言っていた。真田と柳を除くと赤也だけがやたらと精力的に動き回っていた。それで確か、柳生は何も言わずに黙々と練習をしていたはずだ。俺がブン太を連れて戻ると幸村は俺にしたのとまったく同じ質問をブン太にして、奴もほとんど俺と変わらない答えを返した。幸村は満足そうに頷いて、何が決まったのか知らないけれど「決めた、うん決めた」とそう言った。 一人でいる印象が強かった。 柳生も、仁王も。 「ジャッカルー」 夏休みにブラジルに行ったというクラスメイトと自分の祖国の話で盛り上がっていると教室の端から名前を呼ばれた。見れば扉に寄りかかるようにしてブン太が手招きをしていて、脇にはテニスラケットを抱えている。それを見て、そう言えば珍しくブン太から自主練をしようと誘われていたことを思い出す。クラスメイトに悪いなと一言言って、ロッカーの上に立て掛けてあるラケットを手に取ると、ブン太の元へ向かった。 「あれ、お前それっていつものじゃなくね?」 ブン太は俺のラケットを指差した。 「いつものは部活でだけ使うようにしてるから」 「ふうん、って、お前まさか俺との練習は手抜いてもいいやとか思ってんじゃねえだろうな」 「違うって!なんでそうなるんだよ。今授業でテニスやっててさ、学校のは使いづらいし、かと言って部活で使ってるのを授業で使うのもなんだしって思って家から持ってきたんだよ」 慌ててそう説明するとブン太はまだ疑わしそうな目でならいいけどと言った。全然良くなさそうだ。 「そういやさーアレどう思う」 「アレ?」 「仁王と柳生だよ」 何となくぼんやりとした表情のブン太を見て、ああやっぱり気になっていたんだなと思う。 俺とブン太がダブルスを組むようになったのは、本当に偶然だった。前の部長と比較的仲の良かったブン太が彼に「ダブルスやってみたいんだけど、自由に」などと言ったのがきっかけで。基本的に技が天才的に上手いブン太は、練習試合にしろ紅白試合にしろシングルスの方が多かった。というよりも、全てチェックしていたわけではないから正確にはわからないけれど、おそらくシングルスしかやっていなかったように思う。変則的なプレーをやってのけるブン太は、自分自身でもダブルスにはあまり向いていないと思っていたらしく、それまで一度もダブルスは組んだことがなかったらしい。だけどボレーに集中するとどうしても打ち込まれやすくなるらしく、その欠点をダブルスならば解消できるかもしれないと思ったのだそうだ。 そうして部長に相談して、名前が挙がったのが俺だった。今でも忘れない、初めてダブルスを組んで試合をしようという時に「テキトーにやるから、俺が拾わなかったの、全部よろしく」となんとも自分勝手なことを言った。髪だけではなく脳みそまで赤いんじゃないかと思ったが、意外や意外、組んでみたらかなりやりやすい相手だった。タイプが違うからこそ、ちょうどよかったのかもしれない。 「似てるよな」 「・・・あの二人?似てんの?」 「似てるだろ、プレースタイルとか」 「そうかあ?性格はむしろ反対だと思うけど」 「それを言ったらお前と俺も違うだろ」、人通りの多い階段をいつもよりも幾分か注意深く降りていく。 「俺とお前はダブルス向きの反対だけど、あいつらのはダブルスに向かない反対だと思う」 「意味わかんねえ」 だから!とブン太はイライラした口調でそう言って、でも結局上手く説明できる言葉が見つからなかったらしく、とにかく俺はあの二人はくっつけない方がいいと思う、と吐き捨てるように言った。 口では意味がわからないと言ったけれど、ブン太の言わんとしていることはすごくよくわかる。 あの二人は色々なものが正反対だ。性格も趣味も友だちもそれに多分女の趣味も、全部。表裏一体、と言っても差し支えがないんじゃないかと思うくらい、見事なまでに一致しない。仁王とも柳生とも仲が良いとは決して言いがたいし、仁王はブン太を介さないで接触したことがないんじゃないかと思うほどだ。柳生は部員をおとなしいかおとなしくないかで分けると同じ部類にいるから、そういう意味では仁王よりもまだ交流があった方だ。一時間に一本しか電車が来ないようなところに練習試合で行った時に、俺も柳生も近くの図書館で時間を潰した。確かその時は柳と幸村も一緒で、仁王はブン太とどこかに行ってしまったはずだ。 俺とブン太も正反対、柳生と仁王も正反対、では何が決定的に違っているかというと、お互いを嫌悪しているかいないかだと思う。 小学生が相手のことを「私この子きらーい」とか公言してしまうようなそういう感情ではなくて、もっと根本的な、というよりも決定的な何かがあるように感じる。根拠?そんなものはない。 俺はまったく違うブン太のことを嫌いにはならないし、多分ブン太だってそうなんだと思う。そうじゃなきゃわざわざ自主練しようだなんて言ってこないだろうし、部活以外で一緒にいることもないはずだ。やることなすこと違うけれど、癇に障るようなことはなかった。ブン太に対して嫌いだなんて思う日はきっと来ないに決まっている。 けど多分、仁王と柳生は、お互いが一種の嫌悪の対象になっているように見える。それがどういった経緯でその感情に結びつくのかは知らないけれど。 そういうところが、そっくりだ。 「幸村くんもさあ、そう言ってたよな」 ブン太の言葉を聞き流しながら下駄箱に無造作に上履きを放り込む。引っ張り出したローファーはもう大分擦り切れていた。 「似てるって?でも、多分幸村の言ってた似てるっていうのは俺が言ってるのとは違う気がする」 「あ?そうなのか?」 「わかんねえけど、多分。」 多分が多い!とブン太はテニスシューズを床に叩き付けた。真田が側にいようものなら一喝されたに違いない。 二人並んでテニスコートへの道を行く。まだ夏の暑さが十分に残っていて、思わず顔をしかめてしまう。新しく部長に就任した幸村によって、最早鬼畜としか思えないような馬鹿みたいにきつい練習をした夏休みに比べればこんなものなんともないっちゃあないんだが、それでも暑いものは暑かった。正直、一気にやる気がなくなっていった。 「でも、まさか本気だったとは思わなかった」 ブン太がぽつりと呟く。一瞬何の話かわからなくて俺は何がと聞きそうになる。すぐに仁王と柳生の話がまだ続いていることに気がついて、「俺も」と答えた。 「ブン太、仁王と仲良いだろ、仁王なんて言ってるんだ?って、聞くまでもないけど」 「一応、口ではしゃーないとか言ってっけど、どうなんだか。歓迎してないことだけは確かだな」 辿り着いたテニスコートにはまだ誰もいなくて、俺たちはすぐに打ち合いを始めた。準備運動がてら軽く打つ程度だ。聞きなれた耳に馴染んだ音がコートに響く。 正反対で、でもそっくりで。 仁王と柳生について考え出すとキリがない。当人たちは、周りの誰にも気を許してないような人たちで、俺たちがどうこう言ってもまったく意味がないような気がするのだ。 「ダブルスの先輩としてはさー、気になるわけよあの二人の行く末がっ!」 パアン、良い音がコートに響く。 「お前、も、言うほどダブルス経験者じゃないだろう、がっ!」 「うっせ!少しだけどでもこの差は大き――、」 不自然なところでブン太が言葉を切った。視線の先を追うといつの間にやってきたのか柳生が一人でランニングをしていた。照りつける太陽の下、汗一つ見せずに涼しい顔をして走っている。 あの二人のことなんてほとんどわからないけどどうせ組むなら楽しくダブルスをやって欲しいと思う、俺たちみたいに。 「柳生!」 叫んだ声に、ゆっくりと柳生は振り返った。 |