お前ダブルスやる?と幸村はいとも簡単に言ってきた。 即答でやらんと返しても「D2はジャッカルとブン太にやらせとけばいいとして、もう一組必要だろ、俺はやりたくないし赤也は柳くらいしか組めなさそうだしだけど柳はシングルスにいて欲しいし真田は論外だし」、幸村は心底面倒臭そうに髪をかきあげながら大会のエントリー用紙を見遣った。論外?と問えば、論外も論外風林火山とか何なのあれと幸村はぼやいたけれど俺からすれば、何なのはお前じゃ、と思う。せめて人になれ、と言いたいがおそらくあの二つ名は本人が望まないところでつけられたものだから、そんなことを言おうものなら馬鹿にされるのが見えている。あの人を小馬鹿にしたような笑い方は結構ダメージを受けることをここ最近学んだ。 基本的に幸村が、人には予測できない発言をしがちな男だということはわかっていたつもりだったけど、だからって今の発言はありえない。 「・・・大体、今のお前さんの話じゃ、俺は誰と組まされるんじゃ」 「目星はついてるんだ、柳生」 「・・・はあ?なん、」 「はいはいお前が柳生嫌ってんのは知ってるけどね、あいつお前に最適だと思うよ」 幸村の、頭が沸いたんじゃないかと、割と本気で思った。 別に柳生が嫌いなわけじゃない。 というよりも、嫌うほどあいつを知らない。 とりあえず第一印象が最悪だったから関わらないでおこうと思ったのが一年の夏、それから一年、ほとんど会話をした記憶もない。 まだ真新しい部誌に何やら小さい文字を書き込んでいく幸村を惰性で眺めていると、外が騒がしくなった。部員が到着したらしい。 前の代が引退してから二週間。早いもので気づけば新人戦は目前まで迫っていて、新しく部長に就任した幸村はチーム編成に頭を抱えているらしい。あの男に頭を抱えるなんて言葉が似合うとは思わないから、どちらかと言えば面倒臭がっている、という感じだけれど。 「・・・ダブルスくらい、他にできる奴おるじゃろ」 借りにも全国二連覇を成し遂げた強豪私立校だ。ダブルス初心者の二人を組ませなければならないほど戦力が不足しているとは思えなかった。 「他に?他はセットならいるけどね」 あっさりと幸村は言った。たくさんいるよそれくらい、と言わんばかりの勢いだ。 「ならそいつらでよか」 「やだよ、俺はお前を使いたいんだから。ちなみにシングルスっていうのは無しね、俺と柳と真田だから。あ、柳生って柳と同じクラスなんだ」 まったくもって人の意見を聞く気はないらしい。 幸村、真田、柳の三人は先輩に混じって試合に出ていたから、この三人がレギュラーになるのは火を見るよりも明らかだった。となると残りはダブルス二組ということになるわけだが、実力順に四人上がればいいと言うものでもない。ジャッカルとブン太は文句ないとして、問題はもう一組だ。三人の次に実力があるとされるのは柳生と、それから自分だということくらい、俺にだってわかっていたことだけど、だからと言ってまさかここをペアにしようと幸村が考えるだなんて思いも寄らなかった。本当に、まったく、かけらも、だ。 それくらい、昔から柳生とは接点がない。 「ダブルスは、やらんよ」 低く唸るように言う。幸村は微動だにせず、少し頭使えばわかるだろ、と吐き出した。 「何が」 「何がじゃないよ、仁王と柳生のその次は実力差がありすぎる。ずっとダブルスを組んできた池田と林野のペアでさえ、ダブルス初心者のお前らと試合したら負けると思うよ」 「なら赤也と柳生で組めばよか」 「よくない。お前ね、どんだけ柳生嫌ってんのか知らないけど赤也にダブルスやらせるとか、本気で言ってんの?」 ばか?幸村は結局顔を上げなかった。 冗談じゃろ、と続けようとして、ばたばたと入ってきた部員たちによってそのタイミングを失った。見ればブン太とジャッカルで、やっぱりこいつらみたいのがダブルスをやるべきだとそう思う。 真夏の朝、既に太陽は容赦なくアスファルトを照らしていて、窓の外の世界は見るからに灼熱地獄だった。午前中からこんなにも気温が上がりきっていては、正直練習なんてやる気にはなれない。もともと暑いのが大嫌いだし、幸村のせいで気持ちもイライラしているし、最悪だ。何かを急き立てるような蝉の鳴き声だけが延々と続いていて、蜃気楼でも生み出しそうなほど暑い外の世界と唯一重なった。 部室の一角にあるソファに沈むようにもたれ掛かる俺に気付いたらしいブン太が、自分で置けばいいのに荷物をジャッカルに預けて近づいて来る。 どんだけ横暴なんじゃ、あいつ。 ジャッカルだけは死んだら天使が迎えにきてくれて天国に行けるなとどうでもいいことを考えた。 「このクソ暑い日にそーやってテンション下げてんじゃねえよ馬鹿、こっちまでイライラしてくんだろが」 「別にイライラしとらんよ」 すぐに俺の機嫌を見抜いたブン太に、嘘偽りの言葉を当たり前に返す。 「してんじゃん、顔に出てんぞ」 気付いてねえの?言いながらブン太は、パワーアンクルをつけたままの左手で俺の頭を小突いてくる。ぱしんとそれを跳ね除けるとブン太は目を細めて肩を竦めた。 奥の椅子に座る幸村が笑っているのが見えてため息をつく。あの男はいつでも自分の思い通りに事が運ぶと思ってるに違いない。 柳が何やら幸村に報告していて、幸村はそれに適当に相槌を打つと視線は相変わらずのまま俺を指差して何かを言った。ここからじゃ何を言っているのか聞き取れなかったけれど柳が可笑しそうに口を歪めたところを見るとどうやら先程の話なのだということが伺える。なんだよ、とブン太が不満そうな声をあげて、パタパタと幸村の元へ寄っていく。 それから数秒後、奴のムカつく笑い声が響いた。 俺と柳生は決して仲が良いわけではないと知っているからこそ、他人から見れば面白可笑しいダブルスだと笑えるかもしれないけれど、とにかく本人からしてみれば笑い話にできないくらい御免被りたい話だった。百歩譲ってもダブルスを組めるのは練習だけで、試合だなんて考えられない。 誰がどう見ても、嗜好も性格も正反対で、深く関われば喧嘩ばかりしていそうな二人組だというのに何をどう間違えればダブルスを組ませようだなんて思えるのか。 基本的に俺は幸村のことを信頼している。 部長だって彼以外が務められるとは思わなかったし、恐ろしく頭が良い男だということは今年同じクラスになってわかったし、神の子だなんて言われているけれど案外情熱的で人間くさいことも知っている。テニス部の中ではブン太の次くらいに接触していて、それなりに信頼していることは確かだけれど。 何をどう思って柳生のことを最適と言ったのかまったく理解できなかった。 ふざけるなと罵りたかったけど結局最後まで言わなかったのは、幸村は面倒臭がりだけど妥協して物事を決める男ではないことくらいわかっているからだった。 「あ、柳生」 ドア付近にいたジャッカルがそう言って部室に入ってきた柳生に片手を挙げて挨拶する。おはようございますと頭を下げた柳生に、何人かが返事をした。 もちろん、俺は返さない。こういう、程度だ、所詮、俺と柳生の関係なんて。 それなのに、息が合うかどうかが大切なダブルスを組むだなんて無茶にもほどがある。いい加減痺れを切らして幸村に抗議をしようと立ち上がったところで、幸村が柳生を呼んだ。先手を打たれた、多分確信犯。 宙ぶらりんな心境でゆっくりと柳生に目を向ける。きっとあいつも俺と同じことを思うはずだ。 「柳生さ、ダブルスやる?」 ぽかんと中途半端に口を開けたままの柳生よりも早く、後ろから入ってきた真田が「うむ、それは良い案だな」と頷いて、完全に柳生は返事をしそびれてしまったらしい。だろー?と得意げな幸村に、柳生がなんとか声をかけて、幸村はエントリー用紙に書き込もうとしていた手を止めた。 「私で良ければそれは構わないのですが、一体誰と・・・?」 「そこでふて腐れてるのとだよ」 幸村は投げやりに俺を再び指差した。ふて腐れてる?と不思議そうな声でそう言いながらその先を追って俺と目があった柳生は、心底驚いたような顔で数回瞬きをした。 ほら、あいつだって嫌に決まってる。 |