小さな欠片

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ちがういきもの | 紫原と氷室
砂上の楼閣 | 青黄(黄→青)
消えてしまうのなら | 黄黒(黄→黒)
補充 | 青黄
陽の沈む前 | 赤司と黒子

























 別に今まで年上を敬わなかったわけじゃない。
 ただ、アメリカでの生活が長かった氷室にとって、たった一つ上の先輩にも敬語を使わなければならないだとか、そういう形式張った日本の習慣は少しだけ億劫だった。とは言え、郷に入っては郷に従え、ということわざに文句はないので、それについてとやかく言うつもりは無かったし、そんな氷室から見ても大人を敬うというのは当然だと感じていたので、紫原がさも当たり前のように、バスケ部の顧問である荒木のことを「雅子ちん」と呼んだのには驚いた。

「だからあの時も雅子ちんが何かと文句つけてきてさー」
「・・・・あのなアツシ」
「ん?何?」

 話の腰を折るのは悪いと思いつつも、一向に直らないその呼び方に、つい氷室は話を遮ってしまった。自分よりも幾分も体躯の大きな紫原は、少し屈むようにして氷室の顔を覗き込む。

「お前、それはいくらなんでもどうかと思うぞ」
「それ?」
「・・・・呼び方」
「呼び方あ?なに、雅子ちんのこと言ってんの?室ちんってそういうの気にする方だったっけ。めんどくさー。もしかして自分もそう呼ばれるの気にしてるとか?」

 本当に不愉快そうに紫原は声のトーンを一気に落とした。違うんだ、と慌てて弁解しようとする氷室を、随分と胡散臭そうなものを見る目で見下げている。

「俺とアツシなんて、大した差もないだろう?気にしてないよ。ただ、彼女は大人じゃないか」
「それ何か関係ある?」
「関係あるかって・・・・・、ある、んじゃないか」
「何でそんな自信無さげなわけ」

 大人っていうのは子供たちが逆らうべきものではなくて、大人がだめと言ったらだめだし、やめなさいと言われればやめなければならない。氷室は自然とそう考えていた。大人というのはそういう効力を持っているのだ。誰から教わったわけでもない。何となく幼い頃から刷り込まれている。それに、敬っておけば大抵の問題は解決されるのだ。氷室がそうまとめて説明すると、紫原はますます露骨に顔を歪めた。

「室ちんそれ、全然敬ってねーじゃん。大体大人っていうのはさ、そりゃ叱ったりもしてくるけどー、ふつう、子供を甘やかすためにいるようなもんでしょ」

 何故紫原が顔を歪めたのだろう、と氷室は思ったのだけれど、なるほど理解できない時の表情なのか、と納得した。そうして氷室は「大人は無条件で甘やかしたりなんかしないぞ」と顔を歪めるのだった。



ちがういきもの

何を言っているのかさっぱりわからない。

















 ずっと憧れだった。

 あこがれ、という言葉は、あくがれ、から来ているらしい。自分の居るところから、魂だけが離れていってしまうこと。それほどに強い思いがあるんですね、と古い話を説明する古典担当の教師が、どこか熱っぽく語った。古典の授業など、真面目に聞いたことも無かった黄瀬だが、どういうわけか中学の頃に聞いたその話だけは妙に記憶に残っていて、高校1年の2学期期末テスト、問題文の中にその単語を見つけて、唐突に思い出した。
 自分の魂が離れていくとするならば、どこに向かうのだろう。テスト中だというのに、ぼんやりと窓の外に視線を向ける。冬も深まり、空が一段と高くなっている。真っ青な空が、天へどこまでも延びている。
 無意識に手を伸ばしかけて、掴めるわけなどないと我に返った。
 夏の青に、届かなかったことを思い出す。あの日から、その青はゆらりゆらりと揺れていて、ひどくおぼろげだ。

 黄瀬に強烈な印象を残した青がある。暴力的なほどに鮮やかな青。けれどそれは今、少しばかりくすんでいる。何もない荒れた場所で、彼は一人で立っている。
 かつては、それこそ魂が離れるのではないかと思うほどに焦がれた青だけれど、今の黄瀬にはそこへ向かうことはできないのだった。足元にはよく似た別の色が広がっている。底抜けに明るい、だけど決して孤独では無い色。青峰が持っていた鮮やかさは無いけれど、自分を包み込むような安定感があるここが、今の黄瀬にとっては一番美しい世界に見える。

 蜃気楼みたいだ、と思う。
 青峰の持つ青は、荒涼とした地に揺らめく蜃気楼。色んな苦悩や葛藤や青峰の叫び声を、全部削ぎ落して、周囲が勝手に作り上げたとびきり輝く偽物で。そのどこかに隠れる彼を、引きずり降ろして来なければならない。自分を満たすものなど何もないと決めつけて一人でどこかに引きこもっているあの男を、幻の中から引き出して、ほら世界はアンタが思うほど狭くもないし絶望だけじゃないんスよ、と証明してやりたいのだ。青峰が青峰である以上、それはどうしたって黄瀬にとって崇拝の対象であった。中学時代に黄瀬が吸い寄せられた青じゃなくてもなお、その光は強烈なのだ。だから揺れてんじゃねーよ、勝手に自分が作り上げた蜃気楼に向けて、黄瀬は無責任にもそんなことを思う。あんな風に燻っているのなら、自分が手に入れた違う色で、上から全部塗りつぶしてやりたいとさえ思う。

 黄瀬はもう一度空を見る。
 見惚れた青はどこに行ったのだろうと思いながら。



砂上の楼閣

きらきら、きらきら、揺らめく君

















 幻の六人目という異名は、なるほど嘘では無かった。
 黄瀬が黒子と直接顔を合わせたのは、本当の本当に夏のインターハイ決勝の日が最後で、今日まで遂に彼を見かけることはなかった。学校を休んでいるらしい、とは聞き及んでいたけれど、出てきている日だってそう少なくなかったはずだ。けれど一度だって黒子に会うことは出来なかった。意図的に視界から消えられては、探せるはずも無かった。黒子とそれなりに親しいつもりでいた黄瀬は、そのことに少なからず落胆した。今まで比較的に自分は彼を見失うことが無い方だと思っていたのは、どうやら甘えだったらしい。そういえば黒子は一度こうと決めたらそれを貫き通す男だった。
 卒業式典に出席するのも億劫だと思っていた黄瀬の足を、体育館に向かわせたのは、桃井の一言だ。さすがに卒業式には出ると思うの。誰が、などとわざわざ名言するまでもない。側で聞いていた青峰も、さして興味は無さそうではあったが、完全に無関心というわけではなさそうで、先ほど黄瀬が教室を覗きこんだ時は、珍しく自分の席に着いていた。式典に出るのだろう。
 最後のあがき、と黄瀬は廊下を忙しなく歩き回っていた。けれど既に式典までの時間が迫っている。途中女子生徒に捕まった時間が長かったせいだ、と己の行動を悔いた。結局今日も黒子の姿を見ることはできていない。と、見慣れた姿が目に入る。彼も黄瀬に気付いたようで、「涼太?」と黄瀬よりも低い位置から声がかかった。

「何してるんだ?お前のクラスはもう体育館へ移動しただろう?」
「あー、うん」

 黄瀬の歯切れが悪い返事の裏側を正確に読み取り、赤司は「またテツヤか?」と小さく笑う。

「うっ・・・・だって黒子っち、ほんと全然いないから」
「まあ、あまり学校自体来ていないようだからな。僕もいつも声をかけそびれる」
「・・・・えっ、赤司っち、」まで言ったところで、赤司は既に背を見せていた。黒子っちに会ってるの!?と続いた黄瀬の言葉は、「式典に遅れるなよ」という赤司の返事と重なった。

 少しは親しくなったと思っていたのは、やはり黄瀬の方だけだったのだろうか。いや、あの赤司だからこそ成せる技なのか。他の部員にも聞いてみようか、という気は無かった。最近会わないよねえ、と語尾を少し伸ばしていた紫原の様子を思い出す。それが果たして「見かけない」という意味なのかどうか、確かめるには少々気力が必要だった。
 最後に会った日に、怒りをどうにか抑え込みながら目に涙を浮かべていた姿を思い出す。罪悪感がまったく無いわけではないけれど、やはり何度考えてみても自分たちが全面的に悪いことをした、とは思えない。記憶を巻き戻していく。ぱらぱらとページが捲られるように、色んな表情をした黒子が思い出された。



消えてしまうのなら

思い出も全て持って行け

















 嫌なことがあると、走りに行く。
 嫌なこと、というのは、自分の未熟さや不甲斐無さ、世間の理不尽など、どこかにぶつけるために外側に出すには、少し骨の折れるものであることが多い。だから、何も考えられないくらい、ただ前へ進むというこの行為に惹かれるのかもしれなかった。バスケだっていいじゃないか、と言われるかもしれない。けれど駄目なのだ。あれは、一人ではできない。何も考えられないくらい極限状態になるには、誰かが、何かが必要だった。集中してシュート練にでも励め、と言ったのは緑間だったか。とにかく、バスケは駄目なのだ。一人でやるものじゃない。特に高校でそれは身に染みた。何かの、誰かのために、自分を磨くのが良い。鬱屈と溜まってしまった嫌なことを発散させるには向かない。ちょっとだけ嫌なことがあったくらいなら、気持ちを上向きにするのに丁度良いのだけれど。
 マンションの近くで一番きついコースをいつもよりも随分とハイペースで走り終えた後、マンションの自室の扉に鍵を指して回したら、手ごたえが無かった。鍵をかけ忘れただろうか、と少し用心しながら扉を開けると、明かりが点いている。玄関には見覚えのあるスニーカー。

「おかえりー」

 と言って黄瀬を出迎えたのは、一応同居人の青峰で。とは言っても芸能人にスポーツ選手、二人の生活リズムは合わないことがほとんどだった。加えてロケだの遠征だので家を空けることも多い。だからこそ都内のマンションに一人で定住するのは馬鹿らしい、と始めた二人暮らしだ。「・・・・おかえり」と黄瀬も同じ言葉で青峰を労う。海外遠征をしていたはずのこの男、一週間前に電話をした時には帰るのはもう少し後になると言っていなかったか。同居しているはずなのに、青峰に会うのは実に二か月振りだった。

「風呂、沸かしといたから、入ってくれば?」
「ん、ああ、ありがとう。じゃあ、お言葉に甘えるっス」

 ひょっこりとキッチンから青峰が顔を出す。キッチンに立つ青峰など、本当に久方ぶりに見た。

「パスタにするけど、注文は?」
「それ、ちゃんと叶うんスか?」
「あっさりかこってりかくらいは」
「何それ!でもまあ、さっぱりがいいかな」
「了解」

 いつもは絶対に黄瀬の好みなど聞かない。風呂を沸かして待っているなんて、気の利いたこともしない。突然早めの帰宅をして、それで一体どうしたって言うんだ。黄瀬はジャージを乱暴に洗濯機に放り込みながら、自分が落ちている時を正確に読み取って甘やかすあの男に、いつの間にか随分と入れ込んでしまっている気がして、思わず笑った。本能みたいなものなのだろうか。細かいことを聞いてこないところも良い。
 ハマらないようにしなきゃ、と感じる半面、もう手遅れだ、と思った。



補充

また少しの間離れていても大丈夫なように。

















 今なら見えないと思ったんだよ。その男にしては珍しく、まるで言い訳のように呟いた。ひたひたと足元から忍び寄る濃紺に視線を落としたまま、黒子はその言い訳を耳にする。彼の普段とは違う言い様に、どうにもむず痒いような気持ちがして、はあ、と生返事を返すのが精いっぱいだった。見えないと思った、と赤司は言ったけれど、太陽はまだ沈み切ってはいない。随分と頼りなくなっているけれど、彼ら二人を照らし出しているのは紛れもなく太陽の光で、黒子からはしっかりと赤司の表情が見えていた。どうせ今更隠すつもりなど無いのだろう。赤司の視線は先程から一点を見つめたままだ。その先を追いかけて黒子は落としていた視線をもう一度上げた。シュート練習を黙々と続ける緑間がいる。彼をじっと見つめる赤司は、ひどく純粋な目をしていた。何かを欲しがる子供のような。

「羨ましいかい?」

 赤司が言った。何がです、という黒子の答えに、何でもだよ、とかみ合っているのかわからない返事を寄越す。

「思慮深いのは良いことだけれど、黒子はたまに言葉を飲み込むね」
「そんなつもり、ないですけど」
「そう。なら良いけど」

 赤司の視線は再び緑間へと戻っていく。目は口ほどに物を言う、とはよく言ったものだ。赤司が緑間の中の何かを欲しているのは明確だった。否、欲している、と言ってしまうのは、あまりにも単純すぎるかもしれない。何事においても敗北を許されないこの男にとって、何かを欲するというのは無防備すぎる。だからこそ、一つを追い求める緑間に、赤司が惹かれているのかもしれなかった。

「言葉にしないと、思いは消えていくと思わないか」
「・・・・そんなことは、ないんじゃないですか」
「そうかな?人は他人を介してしか自己を確立できない。例えば誰かを好きになったとして、その思いは言葉にならなかった時点で誰にも届かない。つまり世間的には無かったことになる。だからそれは消えたも同然さ」

 そうか釘を刺されているのか、と黒子はそこでようやく思い当る。赤司は何も口にしていないのだから、いくら黒子が憶測で読み取ったところで、それは無いも同然なのだ、と。
 僕が青峰君に惹かれていくのと同様、君も緑間君に惹かれているのではないですか、と少し反撃したい気もしたが、赤司が飲み込んだ言葉を黒子が表に出すことなどできるはずもなかった。
 いつの間にか、太陽が沈んでいる。
 赤司の表情はもう見えなかった。
 きっともう二度と見られることは無いのだろう。あの表情に込められていた思いは、言葉にならずに消えたのだ。そう思うと、やはり無理矢理にでも引き上げておくべきだったかもしれない、と黒子は濃い闇の色を見つめながら、遅すぎる後悔をした。
 それならば黒子に出来ることは、彼がいつか幸福になれますようにと祈ることだけだった。



陽の沈む前

消えていく君を見た。