今月の最高気温を叩きだした、月末のことだった。

 学校の生徒達はひどく気だるそうに廊下を歩いていて、それは沢田も例外ではなかった。彼はいつも元気溌剌というタイプではないけれど、それにしたってだらけすぎている。とにかく、それくらい暑く強烈な日差しがそこかしこで勢力を奮っていて、これから訪れる季節を考えるとうんざりしてしまう。ただでさえ纏わり付く熱気が耐え難いというのに、地球温暖化や流行のエコが冷房という画期的なアイテムを思う存分使うことを許してはくれない。もういっそ午後の授業なんてサボってしまおうかと沢田は真剣に悩み始めた。
 ふいに、ざわっ、と空気の変わる気配を感じた。沢田は窓際の壁に張り付けるようにしてよりかかる体をのろのろとした動きで少し起こすと、ぼんやりとした表情で、幾分か昨日までより明るく照らされているような気のする廊下の先へと目を向けた。
 負のオーラが渦巻いているのが見える。
 暑さにやられてだらけきっている大勢の生徒のものとは違う。それよりももっとどす黒くてテレビアニメの悪役の背景で見たことがあるようなオーラだ。
 関わるのは面倒だな、と視線を逸らそうとしたところで、どうやらそのオーラの発信源が見覚えのある顔であることに気づく。



 獄寺隼人だった。



 いつもならば数百メートル先に居ても沢田の存在に逸早く気づく彼が、携帯電話を睨みつけながら荒々しい足取りで近づいてくる。どうやらまったく沢田の存在には気が付いていないようで、あと1メートル程のところまでやってきた。そのまま放っておいてもよかったのだけれど、というかむしろ普段の沢田ならば間違いなく放っておくのだけれど、沢田に気づかなかった獄寺というのが新鮮過ぎて、思わずいつもとは違う行動に出てしまう。すなわち、声をかけてしまったのだ。

「獄寺くん、どうしたの」

 呼び止められて初めて獄寺は顔をあげ、それから沢田の存在を確かめると、みるみるうちに青ざめて、突然廊下に土下座をした、「すんません十代目がいらっしゃたとは気づかず、こんなものに視線を向けていました!」、そのまま頭を床に叩きつけるように突然謝罪した。沢田が慌てて獄寺に顔をあげるように言うころには、既に周りにギャラリーが出来ていた。クラスメイトはこの光景に見慣れているものの、まだまだ学校では知られていないらしい。もちろん知られてしまうことを沢田が望んでいるわけではないのだけれど、ギャラリーが出来てしまうのも困りものだ。

「今すぐこんな携帯電話カチ割ります!」
「な・・!ちょ、いいからそんなことしなくて!熱心に覗き込んでるみたいだったから気になっただけだよ!周りにいた人たちも怯えてたし。なに、携帯がどうかしたの?」

 沢田がひょいと彼の携帯電話を覗き込もうとしたけれど、それよりも早く後ろに回されてしまった。何でもないですそんな十代目が気に掛けることじゃありませんから!、獄寺はぺたりと貼り付けられた笑顔でそう言うと、珍しく自分から沢田の元を去っていった。本当に珍しいな、と沢田がぼんやり彼を見送っていると、離れて五メートルもしないところで再びあの黒いオーラを身に纏った。面倒なことになっているらしいことはわかったけれど、自分がノケものにされているようで何だか面白くないとも思う。沢田はしばらくその場で普段あまり使わない頭を動かせて考えていたけれど、結局獄寺の後を追うことにした。「・・・右腕がなんで主人に隠し事するかな」、常日頃自称右腕として慕ってくる獄寺を鬱陶しいと思っていたことなんて、このときの沢田は綺麗さっぱり忘れていた。人間なんて所詮そんなものらしい。










 獄寺を尾行―と言えるほどのものではないけれど―して着いた先は、学校の生徒の誰もが恐れる一角だった。問題ばかりを抱える不良生徒さえもを統括するという男が、一日の大半を過ごす部屋である。彼を恐れて不良たちが暴れないから、その存在は有難いといえば有難いのだけれど、できることならば関わりたくないのが本音だ。少し離れた角から獄寺の動向を窺っていた沢田は、彼がなかなか部屋の中へ入らないことを不審に思った。「・・・何してんだろ?」、沢田のいる位置からではよく見えない。しばらく獄寺の様子を隠れて見ていた沢田だったが、どうも行動の意図が読めなくて、痺れを切らしそうになる。何度目かのため息をついたところで、後ろから突然肩を叩かれた。「ひっ」、喉を引きつらせて怯えたように振り返った先には、沢田の親友(だと本人は思っている)山本武がいた。

「驚かすなよ!」
「んー?いや悪い、驚くとは思わなかったからさ。で、何見てんの?」

 沢田の上から廊下を覗き込んだ山本は、すぐに獄寺を見つけ、「なんだ今日はツナが獄寺のこと付けまわしてんのか?珍しいな」、とわけのわからないことを言った。普段はどちらかといえば(というかむしろほぼ百パーセント)獄寺が沢田を追いかけているから、あながち間違いではないけれど。

「付けまわしてるとか言わないでよ・・・なんか獄寺くんの様子がいつもと違ったから気になっただけ!」
「何、あいつ今機嫌悪いの?」
「機嫌悪いっていうかなんていうか・・・うーん、でもあれはやっぱ機嫌悪いんだろうな」

 沢田はもう一度廊下を覗き込むと、肩を竦めた。どす黒いオーラを身に纏っているような人が、機嫌が良いわけがない。「まぁ仮に機嫌が悪いとしてさ、」山本は不思議そうに首を傾げる。なんで雲雀の部屋の前にいるわけ?、ごもっともな質問に、沢田も大きく頷いた。
 応接室と表示された教室の前で、獄寺は未だに立ち往生している状態だ。
 この応接室は、数年前まではきちんとその名の通りの働きをしていたようだけれど、雲雀が学校に来てからは、完全に彼の私物と化しているらしい。本人曰く、「校長から正式に許可もらってる」ようだけれど、その真偽は定かではない。少なからずとも雲雀恭弥の恐ろしさを知っている沢田たちは、無意識のうちに遠ざかってしまう一室だ。
 と、突然獄寺はくるりと向きを変えると、沢田たちのいる方向へと戻ってきた。慌てて隠れようとするけれど、残念ながらここにはそんなスペースはない。「十代目!?」、角を曲がった獄寺は、小さく地面に縮こまっている沢田を見つけると、心底驚いたような声を出した。沢田の後ろで手をあげて挨拶をした山本の存在は完全に無視だ。

「何してるんですか?あ、もしかして十代目もこちらに用があったんですね!運命です!」

 目を輝かせた獄寺に、「獄寺くんを付けてきたんだよ」、と呆れ声で返すも聞いてはいない。やっぱり十代目は素晴らしい方でしたとかなんとか獄寺が言い出したところで、沢田は山本を振り返って目配せする。彼としては、帰ろうか、くらいの気持ちのものだったのだけれど、山本はそれをどう受け取ったのか、獄寺へと向き直る。

「お前、機嫌悪いんだって?」
「あ?だからなんだよてめーには関係ねーだろ」

 ピリピリとした獄寺はいつもと変わらないように思われたけれど、確かにいつもよりもさらに棘があるような言い方だった。

「俺が関係あるかないかは知らねーけど、ツナに心配かけたままでいいのかよ?」
「ご心配おかけしてすみませんでした!」

 山本の言葉を最後まで聞くことはせずに、獄寺は横でまるで興味が無さそうに明後日の方向を向いていた沢田に頭を下げた。山本は獄寺の扱い方をよく心得ているらしい。

「で、どうしたの?」

 沢田が聞いてもしばらくは躊躇うそぶりを見せていた獄寺だったが、結局申し訳無さそうに口を開く。「こんなメールと画像が届いたんです」、ジャラジャラと制服と腕に付けている装飾品の音を鳴らしながら、ズボンのポケットから携帯電話と取り出すと、沢田に差し出した。



 送信者は、ベルフェゴールだった。



 ボンゴレリングをかけた闘いにはとりあえず終止符を打ったばかりだというのに、また血なまぐさい決闘でも申し込まれたのかと沢田は身構えたが、簡潔に記されたメールからその意は汲み取れない。「このコもらっていい?」、そう記されたメールをさらに下に行くと、そこには画像が添付されていた。開いてみて、目を疑う。



 仏頂面の雲雀恭弥がそこには居た。



 沢田が硬直したのを不思議に思ったらしい山本も、その画面を覗き込んで、それから目を何度も瞬かせた。「これ・・・・雲雀?」、添付画像はどうやら誰かが撮ったらしいもので、そこには仲良く並んでソファに座る雲雀とベルフェゴールがいた。

「雲雀あいつ何気に友達多いのな」
「俺はそれよりなんで獄寺くんと、このベルフェゴールってやつがメル友なのかを知りたいよ・・・」
「そこは気にしないでください、説明すると長くなります。十代目の貴重なお時間をそんなもののためにいただくわけにはいきません!」
「ただ単に友達なんだろ?」
「んなわけあるか黙れこの野球馬鹿!」

 二人が啀み合い(というかむしろ獄寺が一方的に)を始めて、沢田はため息をついた。いつだってこの二人と一緒にいるとなかなか事が進まない。沢田は一人で応接室へと向かった。扉に手を掛けてみれば無機質なガタンという音がして、鍵が掛けられていることを知る。少し背伸びをして、ドアにはめ込まれた四角いガラスから中を覗き込んでみたが、人の気配は感じられなかった。

 なるほど、と沢田は一人納得した。獄寺は雲雀の所在を確かめるべくここへやってきたらしいことと、立往生していたのはこの部屋が空いてなかったからだということを理解した。
 応接室付近は建物の設計上日があたっている時間が極端に少ない。沢田ならばこんなところを拠点にするなんてお願いされてもごめんだけれど、雲雀恭弥には、とても似合っているといっても良いかもしれない。

「ったく雲雀のヤロー、ボンゴレを裏切りやがって」

 いつのまにかやってきたらしい獄寺が隣でそう呟いたのを聞いて、沢田はなんだか違和感を覚えてしまった。雲雀は確かに頼もしいほどの戦闘力を持つボンゴレファミリーの一員ではあるけれど、いつどこかにふらっと行ってしまってもおかしくはないような印象を持つ。それなのになぜか彼のことは全面的に信頼していいような雰囲気で、ようは皆が彼の戦闘力を頼りにしているのだろう。跳ね馬でさえ一目置いているのだから、ヴァリアーが彼を欲しがっていてもおかしくはない。

「そういえばクラスの連中が最近雲雀を見ないって言ってたよな。獄寺、そのメールいつ来た?」
「あ?・・・・先週・・・・かな」
「先週!?そんなにもう経ってんの!?」
「う!すみません十代目!基本的に奴からのメールは見ないという癖がついてまして・・・」
「じゃあなんでそれを今頃になって見たの?」

 沢田の問いに、獄寺は「うっかりです」とはっきり言った。少しだけベルフェゴールを哀れに感じた。

 と、気が付くと山本が見当たらない。きょろきょろと辺りを見回してみても人影はなく、沢田は眉を顰めた。つい先ほどまでは近くにいたのだからたったの数十秒で移動できるはずもない。「山本どこ行ったんだろ」と沢田が誰に言うでもなく呟くと、獄寺がとても興味無さそうに、応接室を指差した、「あの馬鹿ならそこに入っていきましたよ」、どう贔屓目に見ても獄寺にとって山本は受け入れがたい存在らしい。

「なんで!?鍵かかってたじゃん!」
「さぁ?なんか普通に鍵あけてましたけど」
「どうやって!?まさかピッキング!?」
「鍵です」

 山本武はどこまでも謎深い男だった。なんで彼がこの応接室の鍵なんかを持っているのだろうと考えて、沢田はそれをすぐに思い出した。記憶が正しければ、小テストが面倒で屋上でサボっていたら、風紀委員の見回りと称してやってきた雲雀が、「ここにいられると邪魔だから」、と応接室の鍵をくれたらしい。山本曰く、「超快適、サボり癖付きそうだぜあそこ」、らしい。雲雀のような人間が、そうそう自分のテリトリーである場所の鍵なんてものを渡すとは思えなかったから、ひどく驚いたのをよく覚えている。

 山本の後を追おうと、先ほどはびくともしなかった扉を引いてみればすんなりと開いて、どうやら本当に鍵で開けたらしいことが窺い知れた。山本はいつも雲雀が座っている椅子に体重を預けながら、なにやら机の引き出しを漁っている。

「そういやあいつ雲雀と仲良いんでしたっけ」
「え・・・なにそれあんまり嬉しくない」

 雲雀に気に入られるということはすなわち戦闘能力を買われていることがほとんどで。不必要に雲雀が山本との戦闘を望んだ場合、火の粉が自分にまで飛んできかねない。避けられる戦いは極力避ける。どんな小さな戦いでも戦いではあることには代わりはない。だから、戦わない。そんなことを思う次期マフィアボンゴレファミリーのボスだった。

「お前も雲雀に連絡取れねぇのか?」

 獄寺が、未だに机の引き出しを漁り続けている山本に心底面倒くさそうに声をかけた。そういえばどうして獄寺までもが雲雀を気にかけているのだろうと沢田は不思議に思い(何故ならいつも、基本的に沢田のことしか考えていない男だからだ)、しばらく思考を巡らせていたが、途中でいつだったか彼が最強の家庭教師の前で、「どうすればしつこいヤローを撃退できるのか教えてください!」と言っていたのを思い出し、大方あのはた迷惑な王子が絡んでいるのだろうと結論付けた。そしてそれは間違っていないはずだ。よって、沢田はそっちには関わらないことにした。
 獄寺に声をかけられた山本は、忙しなく動かしていた手をぴたりと止め、それから、じぃ、と獄寺を見つめると、以外そうに声をあげた。

「お前こそ、気になるんだったら雲雀に直接連絡取ってみればいいのに」
「取ったよ!そしたら『君には興味がないから答えない』とかなんとかぬかしやがったあの野郎!」
「ってかそういえば獄寺くんはあのメールになって答えたの?」

 獄寺は一瞬ぽかんと口をあけ、それから動きの鈍くなったラジコンみたいに不自然な動きで携帯電話を取り出すと、沢田にずいと突き出した。『そいつはどっかの馬鹿が気に入ってるみたいだから勝手なことすんな!』どっかの馬鹿とは言うまでもなく山本のことだろうということが推測されて、沢田は、ぶは!と笑い出した。

「ご、獄寺くんて、友達思いだよね・・・!」
「なんだよツナ、なに笑ってんの?獄寺、それ俺にも見せて」
「ぜってーやだ!って、十代目もいつまで笑ってんですか!これはちょっと寝ぼけてて!」

 ああもう!と半ば妬けになったらしい獄寺は、相変わらずへらへらと笑っている山本に向って叫んだ。



「お前雲雀取られてくやしくないのかよ!?」



 ぶは!と沢田が再び噴き出した。言った張本人の獄寺も、言い方を間違えたと気づいて慌てふためいているというのに、山本一人が涼しい顔をしている。

「大丈夫っしょ」

 何がどう大丈夫なのか、そもそも獄寺の言葉をどういう意味で捉えたのか、気になることはたくさんあるけれど、山本にとって雲雀が「面白い人間」とインプットされているのはいつものことで、例えそれが町中の人が恐れる相手であろうとも、彼には関係ないらしい。



「あいつは俺たちの仲間んだろ?ならそのうち勝手にまたふらっと戻ってくるって」



 そうじゃなくたってあいつは学校大好きなんだからさー、と山本はいつも通りへらへらと笑った。
 ツナも来いよこの椅子まじで快適、山本の言葉になんだかもう全てがどうでもよくなって、沢田はその場でしゃがみこんだ。「大丈夫ですか!?」獄寺の声がするけれど、彼は無視することにしたらしい。

「・・・・山本」
「なに?」
「雲雀さんのこと、ちゃんと捕まえててよ」
「うん?」

 ファミリー内で一番頼りになるけれど、一番危ない存在でもあったはずの雲雀恭弥を留めておく術は、こんなにも近くにあったのかと沢田がため息をついていることなど山本が知る由もない。

 本人は、きっとそんな自覚どこにもないのだろう。



あめでつかまえる

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2009年春真誕合同本収録。世界にひとつだけの本シリーズ(笑)

10年01月19日 HP収録

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