丘のある街で


   




街を一望できる丘がある。

海に繋がる大きな運河を利用して古くから運送業を営んできた街だ。河を挟むように聳え立つ山は、自然の宝庫として有名で、紅葉の時期は観光客が跡を絶たない。年に2度ほど切り倒されて運河から運ばれる杉の樹は、大変高価な価値を持つ。材木業など今日では廃れてしまっているような印象を持つ人々が多いけれど、この街に住むものは誰もそんなことを思いはしない。世襲制となってその業務を継いできている家は、ここら一帯の土地の所有者だった。

そして彼らは丘に住んでいるのである。

用がない限り街のものはその丘に立ち入ることを禁じられており、一種の聖域と化していると言ってもいい。遠目から見ただけではあまりわからないけれども、丘には雑草が生い茂っていることなどありはしなかった。いつでも手が行き届いている。大きな洋館のたくさんの窓は大抵ぴっちりと閉められていて、人影を見ることは皆無に等しい。本当に人が住んでいるのかどうかさえ怪しいと言われているが、しかし電気会社や水道会社の話を聞けば、確かに人が住んでいるという。家の主が出てきたことは一度もなく、執事のような男がいつも取引等に応じていた。



そんな、街の人にとって、幻想に近い、丘の洋館。



主はまだ成人式を迎えてすらいないような、一人の少女だった。



街からは確認することができないが、しかし実は洋館の中では慌しく何人もの人が日々活動しているのだった。










今日も今日とて朝6時。

2階の窓に、ゆらりと人影が映る。
1人ではない。2人だ。

「精市、いい加減に起きないと朝食に間に合わないぞ?」

賢明そうな面立ちをした男――といってもまだ10代であろう――が、ベッドに潜り込むようにして眠っているもう1人の体をゆさゆさと揺さぶった。真っ白な掛け布団の下からくぐもった声が聞こえたが、しかしその塊が動く気配はない。ベッドの端に立っていた男は大きくため息を1つ付くと、無理矢理その掛け布団を引き剥がした。

「おはよう精市。もう6時だ」
「・・・おはよう柳。前から思ってたんだけど、もう少しマシな起こし方、できないのか?」
「それは精市、お前の寝起きが最悪に悪いのがいけない」

立っている男は名前を呼ぶのがどうやら癖らしい。

「俺よりどっかの庭師の方が面倒だと思うけどね・・・それに別に柳が起きてれば、俺はお姫様を起こしに行く時間まで眠れるはずなんだけど。大体、いつもはそうじゃないか」

ベッドからひどく緩慢な動きで起き上がった男の名前は幸村精市という。軽くウェーブのかかった髪をかきあげると、さっさと部屋から出て行こうとする相棒に不満の声をあげた。ちなみに幸村を起こした男の名は柳蓮ニという。どちらも、この洋館に雇われている身分だ。

「・・・なんだ忘れているのか?」

銀の龍の彫刻が施されているドアノブに手をかけていた柳は、呆れたような声を出す。

「何を」
「今日は、弦一郎が来る日だ。1週間前に確認を取ったのは、精市だろう」

幸村はしばし考えるように視線を己の足元に落としていたが、柳が扉を開けて部屋を出て行く頃に、あぁ、と頷いた。どうやら本気で忘れていたらしい。

この2人の男は、洋館の雇われ人を統括する立場にあるものだった。世間一般でいう執事に近いのだけれど、幸村曰く「俺はお姫様に忠誠を誓った覚えはないからね」とのこと。
柳蓮ニは主に外的事項を担当する立場にある。街の人間やその他の取り引き先とコンタクトを取ったり、洋館に雇う人々の選別を行うのも彼の役目だ。家の主である少女が関わる以外の一切を任されていると言っていい。実質的には彼がこの洋館のトップのようなものだ。少女にそれでいいのかと問えば「いいの。めんどうだから」、と返ってくるだろう。「蓮ニがいるからあたしはいつでも自由の身なの!」はた迷惑な主人である。
対して幸村精市は内的事項――言ってしまうと少女に関する事全てを任されていた。例えば少女の友人やらなにやらが来た時に接客しなければならないのは彼であるし、少女がどこかへでかけると言うならば、ついて行くのは彼の役目だった。かと言って四六時中彼女と共にいるわけでもなく、幸村の好きなようにしていいらしい。何故彼がそんな立場にあるのかというと、それは彼が少女の幼馴染であるからだった。










幸村はまだ誰も起きていない2階の廊下を進んでいく。
料理長やら家政婦やらも同じ時間に起きているのだが、彼らの部屋は5階にあるため、幸村の周辺はしんと静まり返っていた。廊下を歩きながら窓にかかるカーテンを乱暴に開けて、日の光を取り込んでいく。暗い印象を持っていた重々しい雰囲気の廊下も、こうすれば大分和らぐのだ。階段を上って3階にたどり着く。それからまたしばらく長い廊下を歩いていくと、端に一際目立つ、豪華な装飾の施された扉が顔を出した。
そこが、少女の部屋である。
3階などという中途半端なところに彼女の部屋がある理由は、彼もよく知らない。とりあえず、少女自身が希望したことだけは確かだった。
ノックも無しに幸村は持っていた鍵で扉を開けると中に入る。てっきりまだ寝ていると思っていた少女は、既に起き上がっていて、窓辺で本を読んでいた。タイトルは日の光が反射してよく見えないが、おそらく知ったところで大したものではないのだろう。この間は未来から来たネコ型ロボットの漫画を読んでいた。



「早いね、



と呼ばれた少女はちらりと幸村を一瞥した。



彼女こそが、この洋館の主である、である。
代々続く運送業を8歳のころに両親を亡くしたために強制的に引き継ぎ、現在義務教育をまだ終えていない年頃だ。
御伽噺に出てくるような、透き通った肌に整った顔立ち――とは言うことができず。整った顔立ちなのは変わらないが、特に白いわけでもなく、可憐な印象を持っているわけでもない。

「そういう精市こそ、今日はやけに早くない?眠れなかったわけじゃないよね?」
「今日は真田が来るらしいから」
「ああ、そういえばそんなこと、蓮ニが言ってた気もするわ」

少女はぱたりと本を閉じた。
椅子から立ち上がると、ポット(もちろん電気製)に近付きこぽこぽと音をたてながらカップへお湯をそそぐ。幸村は自分が忠誠を誓っていないから執事とは言えないと言ったが、そもそも彼の行動そのものが執事とはかけ離れているように見えるのはおそらく気のせいではない。
少女の部屋は扉の仰々しさとは似付かないほどの質素さだった。白を基調としているようだ、壁にはレースのカーテンとベージュに薄い黄色の花が刺繍されているカーテンとが旗めいていた。真っ白な本棚と小さなカップ棚に、丸いテーブルが1つ。ベッドがあって、その隣にソファがひっそりと置かれている。物が無い、という言葉がとてもよくこの部屋の様子を表していた。

コンコン、と控えめなノック音が響き、がどうぞと声をかけると、ドアの向こうから柳が顔を出した。正装した彼は、幸村と違って執事らしい執事に見える。柳は幸村の上着を羽織っていないラフな格好について小言を言ったが、幸村は適当に流してしまう、「いいだろ、どうせ今日会うのは真田なんだ。それに、姫だって、」そこで言葉を切って幸村はを指差した。キャミソールの上から真っ白で特に絞りやくびれの見られない、すとんとしたワンピースを身に纏っている。

「文句があるっていうなら俺はもう金輪際お前とは付き合わないよ。いつもそう言ってるだろ」
「文句があるとかないとか、そういう問題じゃないんだ。精市、自覚が無さすぎる」
「自覚?そんなものもうとっくの昔に捨ててきたはずなんだけど」

幸村はくるりと柳に背を向けると、へと向き直る。

「真田、多分8時くらいに着くんだけど。それから朝食でもいい?」
「うん?うん、全然構わないよ。じゃあ精市、それまで一緒に寝ててくれる?」
「了解。柳、真田が街の関門に着いたら起こしに来て」

そういうと幸村はベッドに勝手に潜り込み、掛け布団をかぶるとを手招きした。柳は特に気にするわけでもなく、そのまま扉へと向かっていく。丸い形をしたテーブルの上に綺麗に生けてあった薔薇の花びらが、数枚ひらりと風に舞って薄紅色の絨毯の上に落ちた。まるで、染みを作ったかのようだ。それがどうやら気に食わなかったらしい柳は一歩踏み出していた足を元に戻し、部屋へと引き返す。ついでに幸村のために自分の上着をクローゼットの中のハンガーにかけてきたけれど、きっと幸村はそれを着ないだろう。それでも渡さずにはいられないのだから、人の性格とは不思議だ。

「あ、蓮ニ」

ひょいと潜り込んでいた布団から顔を出してが言う。

「今日、街に取り引きしに行くでしょ?ついでにひのきやで予約しておいた箸、取ってきて欲しいの」
「わかった」



ありがとう、と笑った少女の顔は、どこにでもいる普通の女の子のものだった。
それでも、彼女がここら一帯を占める土地の所有者であることに間違いはなく。それでも彼女がこの洋館の主であることに間違いはなく。それでも彼女が柳や幸村たちを雇う側の人間であることに間違いはなく。



「おやすみ、my dear」



今日もまた、洋館での一日が始まる。










ただ一人のために生きていく

 









END
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夏休みリクエスト企画第一弾。三強というリクエストなのにもかかわらず真田が出てこなかった・・!
幸村と柳は執事なイメージ。真田も合わせて執事にしようと思ってたのに、どうしても想像できなかったので、彼はオトモダチになりました。

09年02月15日再録

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