丘のある街で


   




丘のイメージだ。

海へ流れ込む大河を遡って山の方へ行くと、途中から勝手に入り込めない場所へ出る。私有地につき立ち入り禁止と書かれた札と、守衛所のようなところがあるのだ。そこをそのまま突き進むと見えてくるのが開けた原っぱのようなところ。その先には、大きな洋館がそびえ立っているのだが、何せその原っぱが広すぎて足を踏み入れたその時は、小さな女の子が使うドールハウスにしか見えない。

その洋館がぽつんと立っているその場所が、丘なのであった。

ゆっくりと歩を進めて段々と洋館へと近づいていく。庭を通り抜けて玄関から中へ入り、とある扉の前に立ち、その扉を開けようと手を伸ばす。



夏目貴志はいつもそこで目を覚ましてしまうのだった。










そしてそれは今日も変わらず。

「・・・・・・なんなんだ、あの扉」

寝起き一番にそうぼそりと呟くと、夏目の隣で、部屋に入り込んできた蟷螂を捕まえようとドタバタしていたニャンコ先生はちらりと一度彼を一瞥した。

「地獄への扉じゃないのか?なんだ夏目、ようやく死ぬのか」
「・・・・・・あー、起きなくちゃ。今日は塔子さんと隣町まで出かける予定なんだった」

ニャンコ先生の冗談なのか本気なのかわからない(だけどおそらく8割冗談で2割本気だ)、はた迷惑な発言を無視して夏目はもそりと布団から上半身を起こすとそばに置いてあったYシャツを手繰り寄せた。

夏目貴志と、彼の保護者藤原夫妻との間に、血の繋がりはない。
代々続く妖祓いを生業とする夏目家の先代が、彼が幼いころに仕事中に事故に会い無くなってしまったために、遠い親戚に当たる藤原夫妻が引き取ってこれまで育ててきてくれたのだ。藤原夫妻に妖を見る能力は無いが、さすがは夏目家の親戚、妖関係の仕事をすることも極たまにある。そういう時は夏目も連れてってくれと頼むのっだが、今のところ一度も連れていってもらったことはない。「心配なのよ」、そう言われてしまえば、彼に言い返すことはできなかった。

「その夢は毎回同じなのか?」
「同じだよ。幽霊にでもなったみたいに、ふわふわしながらとにかくその洋館まで行くだ。中に入って階段を上がって廊下の突き当たりの部屋の前まで行くんだけど、扉を開けようとするといるも目が覚める」
「ノックしてみればいいんじゃないか」
「そういう問題じゃないよ。手を伸ばした瞬間目が覚めるんだから」

Yシャツのボタンをひとつひとつ閉じていきながら夏目は面倒くさそうに言った。別にどうしても扉を開けたいとかそういう願望はないのだけれど、ああも毎日同じところで目が覚めると、あの扉の奥が気になってくる。
「貴志くん、支度できたー?」、階下から聞こえてきた藤原塔子の声に、夏目は慌ててすぐに行きますと返事をした。



身支度を済ませて夏目が下へ降りると、彼の育ての親は割烹着姿のままのんびりとお茶を飲んでいた。てっきりもう出かけるのだと思っていた夏目はなんとなく出鼻をくじかれたような気分になって、居間への入り口で、立ち往生してしまう。「あら貴志くん、どうしたのいらっしゃい」、にこりと微笑みかけられて、なんとかその固まった身体を動かすとのろのろとした動きで彼女の前へ腰掛けた。

「今日、出かけるんでしたよね?」

夏目がおそるおそる尋ねると、「それが無しになっちゃったのよー」、と目の前の女性はころころと笑った。はい?夏目が言っても、彼女は笑い続けている。

家、知ってるわね?」
「はぁ、まぁ一応」

家とは隣町に住む世間に割りと名の知られた名家である。

町を流れる大河と町を囲むようにそびえ立つ山々を利用して代々運送業を中心に栄えてきた一家だ。

しかしそれは表の顔で、裏では的場一門、夏目家、名取家に続く、妖祓いの名家でもあった。最も、このうち夏目家と名取家は、もう消滅しかけているのだけれど。的場一門と家は、分家も数多く存在し、どこからどこまでが彼らの傘下に入るのかわからないほどだ。夏目もその分家とはたまに接触することがあるけれど、未だに本家と接触したことはない。夏目自身、あまり妖祓いを良しとしていないために、彼らと出くわすこと自体が少ないというのも、夏目が本家と関わらない理由の1つなのだろう。夏目は裏の世界では存在が1人歩きしている状態だ。名取家の生き残り、名取周一くらいしか連絡を取り合わない。

「その、家がどうかしたんですか?」

藤原夫妻は夏目と遠い親戚にあたると言ってもそこまで深くは裏とは関わっていないはずだった。巻き込んでしまったのではないかと不安に思い夏目は問う。

「そこのご当主が貴志くんと近々会う予定だから、やっぱり来なくていいって言われちゃったの。貴志くん、さんと知り合いだったのね?」

とは、齢若干10代前半にして家のトップに君臨する少女の名前だ。
一家がほとんど全滅した夏目家と違って、家は先代とその奥方のみが表の仕事中に亡くなった。相続問題が無かったわけではないようだが、それでもとにかく先代の娘が後を継ぐ形で落ち着いたらしい。学校にも通わずに家に引き籠もりがちだという噂を聞いたことがあるが、夏目と彼女は直接の知り合いでも、どちらかといえば間接的な知り合いでもない。ただ、名前だけを知っている、そんなレベルなのだ。

「・・・・・・・会う予定は、ありませんが」
「そうなの?何だかここのところ毎日家まで行ってるって聞いたんだけど」
「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・あ、」

思い出したように、一言。
藤原塔子は不思議そうに夏目を見たけれど、特に気にすることも無く、「だから貴志くんにその時についでに済ませてもらおうと思って」、と笑った。










そして、その日の夜のこと。

育ての親から言伝を頼まれた夏目は、いつも通り扉の前まで来ていた。普段と変わらなければ、このまま手を伸ばしてしまえば目が覚めてしまうはずだ。しばらく何かいい案はないかと思案していた夏目だったが、何も思い浮かばなかったので、結局そのまま手を伸ばすことにした。

目は、覚めない。

ゆっくりとドアノブを回すと、ぎぃ、と嫌な音を立てて、その重い扉は開かれた。

開け放たれたドアの向こうには、1人の少女。

見たことがあるわけではなかったけれど、夏目にはその少女が家の当主であるとすぐにわかった。



・・、さん?」



夏目が確信を持ちつつも尋ねると、少女は振り向いて嬉しそうに微笑んだ。「やっと来たね」、いつ入って来るのかなって思ってたんだよね、は言った。そんなことを言われても、夏目にもどうして入ることができなかったのかわからないのだから仕方ない。夏目には反論する気はないらしい、彼は曖昧な返事を返した。

そんなことより、夏目には気になることがある。
まさか隣の自分の住む町からここまで徒歩でやって来れるはずもなく。幽霊よろしく空を飛んでくるような感覚でここまでやってきたということは。

「・・・・俺、今、幽霊?」
「幽霊、ではないんじゃないの?幽体離脱でもしてきたのかもね」

面倒だったのでこれ以上このことについて考えるのはやめようと、夏目は今の自分の状態については気にしないことにした。

「でも変なの。あたしにはそういう能力、ないはずなんだけどな」
「・・・・・そういう能力?」
「妖を見るとか、そういうの」
「そうなのか?」
「うん。でも、家は代々そういうこともしてきたでしょう?だから見えなくてもそういう知識くらいは得ておきたいなと思って、そっちの世界の人間で、あたしの町に一番近いところに住んでる藤原さんに頼もうと思ったの」

どうりで、と夏目は安堵した。
先ほども述べたように、藤原夫妻には妖祓いの能力はおろか、妖の姿を見ることすらできない。そんな彼らまでもが裏の世界に引っ張り込まれる時というのは、よっぽどの人員不足か、または裏の世界にどっぷり漬かった人間では都合の悪い場合かのどちらかであることが多い。今回は、後者だったようだ。もしもが的場一門や家分家なんぞに依頼していたら家の崩壊に繋がりかねない。家現当主にそういう能力が無いことがバレるというのはそういうことだった。

「で、確認の電話してた時に彼女があなたの話をしたから、あぁ毎日部屋の前まで来てる子はあなたなんだなって思ったの。勘だよ?だけど、ほら当たりだった」

くすくすと笑う。
夏目は部屋に入った当初、少しだけニャンコ先生がいないことを不安に思っていたが(あれでも一応用心棒だからだ)、今はそんな気持ちはこれっぽっちもなかった。もしも部屋に家のものや的場一門が構えていたら、すぐに帰ろうとしていたのだが、どうやらその心配はないらしい。
は、想像よりも、幼かった。
見た目が、というわけではない。彼女の紡ぐ一言一言から、なんとなくそういう印象を受けるのだ。学校に行ってないとはいえ、勉学の知識くらいは家庭教師か何かを雇って得ているはずだから、知識の問題ではないのだと思う。



染まっていない、そんな印象だった。



「そうだ、塔子さんから、伝言。『知りたいことがあれば、貴志くんに聞くといいわ。私よりも色んなこと知っているから』、言っておくけど、俺はあんまり裏に首つっこんでないから、裏の世界の事情は知らないぞ?」
「問題ないよ。妖との話でいいの。あたしもあなたもむやみやたらとあっちに顔出してたら、殺されかねないからね」

ふいに温かい気持ちになったのだから、夏目はとても驚いた。
名取とは違った、妖関係の知り合いができたことが、嬉しかったのだろう。名取の時は、見ている世界が同じ人に出会えて、それが嬉しかった。この少女は見ている景色は違えど、立場が同じだから、それが嬉しかったのかもしれない。
いつ来てくれる?にきかれて、夏目は金曜日なら夕方ころに行けると伝えた。



「楽しみにしてる。今度は玄関から来てよね」



が、笑った。
洋館に出入りする人間が、また1人、追加された。

今度はニャンコ先生も連れてこよう、夏目はなんとなく、そう思った。









夢からこんにちは

 









END
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夏目。これ、連載になりそうだなと思った。しないけど。
名取氏も出したかった・・・!
リクエストありがとうございました!

09年02月15日再録

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