がちゃりと開いた大きな扉の横を郭英士はするりとすり抜けて屋敷の中へと足を踏み入れた。 郭が週に1度祖父の代わりに通う家は、彼の家から電車でおよそ20分程度のところにある街の丘に佇んでいる。 家は昔から続く名家で、郭の祖父方の家は代々家に仕えてきたものだった。郭は祖父の仕事の名称をはっきりとは知らない。ただ、家の地下に眠る貴重な資料だとか家宝だとか、そういうものを保存する役目だということは知っている。従兄弟には「博物館の学芸員みたいな人なんじゃない?」と言われたがそんなに簡単なものだとは思えなかった。 郭が家に来るのは、祖父の代わりに仕事をするためではない。祖父のこなす仕事がどんなものなのか正直よく知らないし、何よりただの中学生である彼にそんなことができるはずがなかった。 それでは一体彼は何をしにここへ来ているのか。 書類を受け取りに来ているのだ。 真っ白な封筒に入った、数枚の書類。 ただ、それだけ。 何の書類かもよくわからないまま、それを家から受け取って祖父へと渡す。どうして郭がその役に選ばれたのか、何故祖父がここへ来た時に直接受け取らないのか昔問いただしたことがあるけれど、曖昧に笑って誤魔化された。だけれどそれが重要な役であることくらい郭にもわかったし、何より祖父が信頼して自分にその役を頼んでくれたのだから、郭はそれで満足だった。どうせクラブチームに向かう途中にある駅が最寄りなのだ、そこまで大変というわけでもないし、郭は気にしないようにしている。 ぐるりといつもと同じように通された客間を見回した。 あいかわらずしんとした空気が漂っていて、廊下の先の部屋からも物音一つしない。 不思議だ、と思う。 こんな大きな洋館に人が少ないわけがないと思っても、実際人が生活している気配が感じられないのだ。郭が通された部屋は地下1階の外れだから、上の階では普通に人が生活しているのかもしれないけれど、それならば何故地下なんて作ったんだ、と色々と解せない。「金持ちの考えることなんてわからないことだらけだよ」、確かそう言って笑ったのも従兄弟だった。 今日も今日とて相も変わらず冷たく静かな空気の流れる部屋に身を置くこと10分、突然がたんと物音がして、郭はびくりと後ろを振り返った。壁だと思っていたソファの後ろが切り抜かれた板みたいに少しだけずれている。 じっと見つめていると、ひょこりと白い手が現れて、それから少女が顔を出した。 「・・・・だれ?」 少し高めの声が凛と響く。郭はそれには答えずに座っていた椅子から立ち上がって距離を取った。 「あんたこそ、誰?」 人に名前を聞く時はまず自分から名乗るものじゃない?と郭が言うと、少女は少し驚いて「そうなんだ初めて知った」そう呟いた。ゆっくりと壁の奥から顔を出し、一歩一歩絨毯の上を歩いてくる。郭との距離が約3mほどに迫ったところで少女はす、と手を差し出した。 「あたしの名前は。あなたは?」 、と郭は脳内で反芻した。家はその存在がほとんど伝説と化しているために、目の前の少女がそう名乗ったことがまるで奇跡かなにかのように感じられた。たっぷり30秒は空けてから、郭はゆっくりと自分の名前を告げる。 「俺の名前は、郭英士」 「かく?ああ、あのおじいさんのお孫さん?」 あんまり似てないね、とは笑った。 若い女性が現家当主だという噂は郭も聞いたことがあったけれど、まさか彼女ではないだろうと思う。「ねぇ、君、ご両親とかご兄弟とかは?」遠慮もなくそう問うた。 「いないよ。家は私1人にだから」 真っ白なワンピースを翻しながらは言った。典型的なお嬢様というわけではないけれど、その物腰はやはりどことなく上品で、貴族のようなだと郭は思った。祖父がいつも綺麗で落ち着いた方だよと嬉しそうに話していた家の当主が自分とほとんど年の変わらない少女であったことに正直驚きが隠せない。 「あなた、何してるの?」 「・・・・執事さんを、待ってるんだよ。いつもここで待ってる」 「そうなの。客間じゃないのね、なんでだろう」 きっとそれはあの書類が関わっているのだろうと郭は思ったけれどそれを口に出したりはしなかった。どうして主人はあまり知らないパターンが多いのだろう。先週読んだ本の内容を思い出しながら郭はそんなこと思った。知らない方が身のためだとかよくそんな台詞を聞くけれど、知らなさ過ぎるのもどうかと思う。君こそ何してたの、郭はから視線を外して壁に目をやりながらそう言った。 「うちって隠し通路みたいなのがいっぱいあるの。最近そこ探検するのにハマってるんだよね」 内緒ね、は人差し指を口に当てた。 人生ってどうして予測できないことだらけなのだろう。 郭となんて本来ならば交わることのない人生を歩んでいるはずで、こうして今面と向かって話していることが非日常であることはお互いにわかっていた。身分にしたって立場にしたってそれは明確にわかることだ。 かつん、 廊下から足音が響いてくる。郭が執事が来たと言うよりも先にが「蓮ニね」と呟いた。 「じゃ、あたしもう帰るね。バレたら怒られるからさ、怖いんだよあの人」 「確かに、怒ると怖そうだよね」 「でしょ?」 は慌ててソファの後ろへと回り込むとどうやって開けたのか、来た時と同じように扉のようなものの奥へ足を踏み入れた。 「それじゃ、さようなら」 暗い扉の向こうに消えた少女に、郭は「きっと永遠にさようなら」、と告げた。 |
END ++++++++++++++++++++++++++++++++++ なんだか不思議なお話に・・・。 これにて企画終了です!リクエストありがとうございました! 09年02月15日再録 |