旅禍の少年を巻き込んだ、藍染との全面戦争が幕あける、直前のことだ。護挺十三隊、四番隊所属の私は、ただじっと自分の出番が来るのを待っていた。戦いの初め、私たちはひっそりと身を隠す。救護・支援に回ることがほとんどの私たちは、必要とされるまで、ただじっと事の成り行きを見守る以外ないのだ。情けない、と愚痴を零す隊員も多いけれど、私はそうは思わない。私たちの任務だって、立派な仕事なのだ。 その日は妙に冷えていた。私は待機場所からそろりと動き出すと、暗い夜道を駆け抜けて宿舎へと戻っていた。何か暖を取れるものがなければ、肝心な時に動けなくなってしまうかもしれない、と思ったのだ。人気の少ない路地裏を足早に駆け抜けていると、ふいに影が落ちてきた。その日は満月だった。だからその影は、やけにはっきりとした黒だった。抱えた羽織物を投げ捨てて影の主に向き直る。月の光が眩しすぎて、顔は良く見えなかった。 「及第点だな」 影は、静かに言った。シルエットから、同じ死神装束を身にまとっていることはわかったけれど、先の藍染たちの例があるため、油断はできない。私は一寸も気を緩めることなく、慎重に相手の出方を覗っていた。 「四番隊は反射神経が良い。咄嗟の判断を求められるからなのか?」 私が反応を返さないことなど、彼にとっては些細なことで、それによって影響を受けることはなかった。淡々と紡がれる言葉とそのトーンに、ふと、ある人物が思い当った。そんなまさか、と私は目を見張った。 「朽木・・・・隊長?」 おそるおそる問いかけると、影は動いて、月明かりにその表情が露わになった。見慣れた整っている顔立ちが、ぼう、と浮かび上がる。やはり朽木隊長だった。 「何でここに・・・・」 動揺は声となり、するりと私の中からはみ出していった。想像だにしていなかった人物の登場に、心臓は速くなるばかりだ。どくどくと波打つ鼓動が、内側から鼓膜を揺らしていた。私の動揺など見抜いていただろうに、そもそも興味などないのか、朽木隊長はいつもと変わらぬ表情と態度だった。 隊長格にはそれぞれ任務が言い渡されていたはずだ。うちの卯ノ花隊長も、数日前から姿を見ていない。私たちは予め指定されていた班で行動するよう指示されており、その任務は様々だけれど、誰一人隊長と行動を共にする者はいない。力を蓄えて強くなったという藍染は、よほど手強いと考えられているのか、隊長たちの動きは、私のような末端の隊員には伝えられない。極秘に動いているらしい。 「こそこんなところで何をしている?四番隊は待機のはずだが」 「え、あ、きゅ、急に冷え込んできたので上着をっ。あ、朽木隊長、は、もちろん任務ですよね、お時間かけてしまってすみませんっ」 咎められたというほどのことではないけれど、それでも朽木隊長に面と向かって言われると、自然と謝罪の言葉が出てきてしまった。あ、と思った頃にはもう遅い。朽木隊長が小さく細く、ため息をついたのがわかる。呆れられた。 「悪くないのならば謝るな」 「は、い、すみませ、じゃなかったええと」 この戦いはおそらく長引くぞ。気を付けろ。 朽木隊長はそう短く告げると、あっという間に視界から消えた。瞬歩だろう。と、自分の肩にふわりと何かが乗った。驚いて視線を落とすと、そこにあったのはマフラーだった。朽木隊長が、先ほどまで身に付けていたものに違いない。残っている体温が、妙に暖かい。 マフラーをしっかりと巻き直し、そこに顔を埋めるようにして目を閉じる。瞼の裏側でちらつくのは、幼い頃の記憶。 朽木家と言えば、その地区で有名な家系だった。朽木家の敷地に程近いところに住まう者のほとんどが、朽木家で働いて、それは私の両親も例外ではなかった。幼い頃から私は朽木家当主とその子供について、母親から聞かされて育った。母は炊事の担当で、血となり肉となるお食事をお作りすることは大事なお役目なんだから、といつも誇らしげだった。代々霊力の強い者が現れ、いつしか護挺十三隊に召集される。それまできちんとお育てすることが使命なんだよ、と言う母に、はい、と私が返事をしていたというのも、よくよく考えれば可笑しなことだ。 母に連れられて、私はよく朽木家に顔を出した。とは言っても、もちろん当主やそのご子息にお会いすることなどなく、従って私にとって彼らは、まるで雲のような存在だった。聞けば母もほとんどその姿を見かけたことなどなく、声をかけたことなどついぞ一度もなかったと話している。母が例外なわけではない。朽木家という象徴は、私たちには果てしなく遠い存在だったのだ。 「くちきたいちょう」 私はマフラーに囁きかけるように言った。一音一音確かめるように言葉に乗せる。 力の弱い私と朽木隊長との差は、絶望するほどにある。けれど、その絶望は、名を呼び、お声をおかけすることさえできなかったあの頃と比べれば、ひどく小さな絶望なのだ。 今、こうして、そうお名前をお呼びすることができる喜び。 それだけで、幸せだ。 朽木隊長が私を覚えているとは思えないけれど、そんなことは別にどうだって良かった。これでいい、私が一方的にお慕いしている。 空を見上げた。 月が、明るい夜だった。 END 白哉・・・・好きでした・・・・。 12年12月07日 |