好きも嫌いも全部ばれてる

   


 恋人はプロサッカー選手なんです。

 そう言えば大抵、羨望かいらぬ同情をされるかのどちらかだった。えーいいな有名人じゃん!とミーハーにはしゃぐ人もいれば、有名人ってことはあれでしょあんまり会えなかったりするんじゃない?私耐えられなあい、等と勝手に同情してくる人もいる。そのどちらに対しても私は上手く返答を返すことができないので、よほど仲が良くない限り(それも親友と言えるレベル)これについては言わない。恋人がいることさえも言わないことが多い。
 皆何故勝手にそんなことを想像して、そして私にわざわざ告げるのだろう、と思う。
 貴方の恋人も有名人なんですか?それで会えないとか思うんですか?と聞いてやりたいといつも思うのだけれど、人間関係は円満でありたい私はそんなことを間違っても言うことはできない。世間一般の恋人がどれくらいの頻度で会っているのかわからないので何とも言えないが、月に2回くらいは平均して会えているので別に少ない方だとは思わない。社会人にもなれば遠距離恋愛をしている知り合いくらい五万といて、彼らは下手すれば2か月も会えないのだ。
 Jリーガーである彼は確かに日本中を飛び回っていて一日ずっと一緒にいることはなかなか叶わないけれど、夕飯を食べるくらいのことは意外とできたりする。そういうわけで、今日も仙台に旅立つ前に夕飯でも、ということになり、従って私はきっちり定時で仕事を終わらせ、東京駅へと向かっている。
 帰宅ラッシュ直前くらいなのだろうか、乗換える客で東京駅は混雑していた。駅ナカや駅地下が開発され始めて数年経つが、私はあまりこれが好きではない。駅の中に見せが出来て便利になったことは認めるけれど、何しろ人の流れが留まってしまうのだ。乗換えやただ出口に向かいたい時などは、絶対に昔の方がスムーズに行けた。祝日の前日ということもあって、浮足立った社会人や大学生の合間をすり抜けて、なんとか出口へと辿り着く。ざわざわと騒がしい改札口付近に目を走らせると、見慣れた姿が飛び込んできた。眼鏡に帽子で変装をしているけれど、私にはすぐにわかる。

「誠二」

 ICカードをタッチしてするりと改札を抜けると、柱に背を預けている藤代に声をかけた。手元で何やら携帯電話を操作していた彼は、私の声にすぐに顔をあげる。心なしかまた焼けたような気がした。

「ごめん、待たせた」
「ううん、記者会見早く終わってさー、早めに来たんだよね」
「あ、そうか今日だっけ、記者会見。お疲れ様」

 どちらが言うまでもなく、自然と足は右側へと向かっていた。私と藤代お気に入りの和食屋がこの近くにあるのだ。企業ビルが乱立する通りを抜けて、細い路地へ入ると、食欲をそそる香ばしい香りが鼻をくすぐった。

「あー、やべ、良い匂い。中華もいいな」
「この匂い、中華なの?」
「え?違うの?」

 他愛もない会話を続けたまま、目的地へと辿り着く。灯りの灯った小さな螺旋階段を下っていくと、洒落た扉が開かれている。足を踏み入れると馴染みの店員さんがすぐに出迎えてくれた。今日も個室ご準備しておきましたー、と可愛らしい笑顔で告げられ、私と藤代は同時にお礼を述べた。
 通された席は珍しく座敷だった。あまり余裕を持って予約することがない私たちは、大抵この一番人気の個室は誰か他の人に予約されていて、いつもはテーブル席なのだ。畳だ!と田舎のおばあちゃんの家にあがる小学生のように嬉しそうに藤代ははしゃぎ、さっさと靴を脱いであがってしまう。本当にいくつになっても無邪気だなあ、と感心半分呆れ半分にその様子を見守ってから、私も座敷へとあがった。

「あ、。今日コースでもいい?」
「いいけど、珍しいね。何か食べたいものでもあるの?」
「や、話したいことあるから勝手に運ばれてきた方が助かる」

 藤代は、これで案外そういうことを気にする男だった。食事の席で携帯電話を触らないし、改まった話をする時は話の腰を折ったりしない。何か重要な話でもあっただろうか、と考えて、記者会見、という言葉に思い当る。なるほど、きっとその話だろう。急に鼓動が速くなる。
 飲み物が運ばれてきて、乾杯、とグラスを突き合わせると、藤代はそれはもう美味しそうにビールを飲んだ。仕事終わりは格別だなー、と聞きなれてはいるものの、藤代の口からはあまり聞いたことのない台詞に、思わずくすりと笑みが漏れた。「仕事って記者会見?」私はそう疑問を口にする。

「あったりまえ。サッカー以外のそういうことは全部仕事!」
「誠二の場合はサッカーも仕事でしょ」
「んー、サッカーは仕事って感じしない」

 呼吸をするようにサッカーをする男は、私の言葉にやや不満そうだ。まあそうだろうね、と想像通りの返答に、私は相槌を打つ。

「それで話って?」
「うわ、もう入んの?ちょっと食べてからでいいじゃん」
「やだよ、気になって美味しく味わえないもん」

 小皿に載ったお通しに箸を伸ばす。何でもないことのように振る舞ってはいるものの、内心はドキドキと心臓が跳ね上がっているのだ。自分で今述べたように、これから話されることを考えると、お通しの味などわからなかった。シャキシャキと歯ごたえだけがやたらと体内に響いてくる。



「ドイツ行きのことでしょう?」



 藤代が話し出すタイミングを遮って、私は早口で先手を打つ。

 東京ヴェルディで活躍する藤代が、海外チームへ移籍したいと言い出したのは、もう随分前のことだった。それこそ海外へ行くことが夢であると、高校の頃から話していたけれど、現実味を帯びてきたのはここ数年だった。
 私はサッカーに詳しくない。恋人の藤代誠二が日本を代表するサッカー選手である割に、知識は乏しい。もちろん藤代の出ている試合を何度も見に行ったしテレビでも見たけれど、どうも人の名前やチームを覚えるのが苦手だった。私の中では皆、「サッカーをする人」で括られてしまい、あの緑の芝生で作られた四角の中で役割を果たしてさえくれればそれでいいのだ。サッカー自体は好きだ。足を使ってボールさばきをするだなんて、まずそれだけで興味はそそられる。力の拮抗するチーム同士の試合は見ていて飽きない。けれど、やはりそこでどうしても興味は止まってしまうのだ。だから、海外チームはどこが強いだとか、そんなことはわからない。
 だから藤代がどこのチームに行こうとしているのか、どういう取引がされたのかはよくわかっていないのだけれど、兎にも角にもドイツのチームと契約が結ばれたようで、藤代はそれを今日正式に発表した。前もって聞いていたけれど、実感はあまりない。

「俺、ドイツに行くよ」

 私と違って、箸をつけないまま、藤代は静かに言った。個室で周りの喧騒からは隔離されたこの部屋には、必要以上に響いたような気がした。

「うん」
「これ、前にも聞いたけど、本当には言いたいこと、ないんだね?」
「うん、おめでとう、って思ってるこの気持ちが伝わってるなら、それで良い」

 口の中が変に乾いている。きっと緊張しているせいだ。その緊張を誤魔化すように、私は一気にビールを煽った。

 藤代は、本能でサッカーをしている。サッカー以外に道は無いから、この男は恐ろしく単純だ。ただサッカーを追い求めて行動する。ごちゃごちゃと考えたりなどしない。サッカーに必要ないものは迷いなく切り捨てるし、必要なものはすぐさま手に入れる。海外へ行くことだって、強くなるために、サッカーをこれからも続けるために必要だから決めたに違いなかった。
 もしも藤代が、色々なことをごちゃごちゃと考えて物事を決めるタイプだったなら、きっと私は彼を理解することはできなかっただろう。単純明快だから、私にはもう何も言うことなどできないのだ。藤代がサッカーのために出した結論を、私ごときが変えられるはずもない。私と藤代はどこか似ていた。多分、こういうところだ。物事を判断する時の単純さが、とてもよく似ている。

 藤代は何か言いたそうに何度か首を横に振った。それに気づいているけれど、あえて聞かずに、私はまた味のしないお通しへと箸を伸ばす。


「何?」
「もし俺が、一緒にドイツに来てくださいって言ったら、どうする?」
「どうもしないよ。ドイツに行くのは誠二であって、私じゃない」

 もしもの話は嫌いなの、思いの外低い声になってしまった。藤代は「知ってるよ」とまっすぐ私を見る。私は目を合わせられずに下を向いた。


「・・・・」
、俺がサッカー選ぶとか、そういうの無しで考えなよ」

 何を言うのだろう、と思った。
 藤代誠二という男は、サッカー無しじゃ語れないというのに。
 もしもの話は嫌いだと、今言ったばかりなのに。

 私は俯き加減になってしまう自分にほとほと嫌気が差した。
 藤代がサッカーしか選べないのはわかってる。そういう単純明快にサッカーを追い求める姿に惚れたはずなのに、今ここでズレが生じていることが、たまらなく嫌だった。割り切って付き合ってきたはずなのに、もやもやと心の奥で黒いものが渦巻いていく。
 寂しいのよ、と言ってしまえればどんなに楽だろうと思った。けれど、今までの私たちの関係が、何より今までの私がそれを真っ向から拒否してくる。
 藤代から海外移籍の話を聞いてからもう大分時は経った。こんなにも時間が与えられていたというのに、踏ん切りが付けられなかったことが悔しくて、じわりと涙が浮かんでくる。それに何より驚いたのは私自身で、その涙を引っ込めるために何度も瞬きを繰り返した。

、言いたいことあるでしょ」
「・・・・無い」
「ドイツに行きたいわけじゃないよね、は日本でやることがあるもんね。仕事放ってしまうような女じゃないし。俺にドイツに行かないで欲しいわけでもないよね。それならさ、」

 藤代はそこで一度言葉を区切った。



「我侭くらい言ってくれたって俺のサッカーに支障はないよ」



 藤代は残酷だと思った。同じくらい自分も残酷だと思った。彼は私がそれを言えないのをわかっていてそう言ってきているのだし、私は自分の気持ちを彼に悟らせた時点で言ったと同じなのだ。
 サッカーしか追いかけられない藤代を、そんな彼の側にいることを受け入れて好きになった。藤代のことは本当に好きなのだ。私を二の次に置く彼が好きだった。高校の頃から頻繁に連絡を取り合うような関係ではなかったし、その距離が心地よかった。今でもそれは変わらない。私は昔からそうだった。そういう距離の取り方で人間関係を築いてきたのだ。それで円満だった。
 だからそれを崩してしまう、今のこの男が嫌いだ。

「ごめんね、
「・・・・なんで謝るの」
「ぐちゃぐちゃにしてるから。追いつかないんでしょ、色々。でもごめん、離すつもりもないよ」

 最初に付き合う時に、藤代が言った。「俺はサッカーを一番に選ぶけど、でもを離すこともしないと思う。俺のわがままは、これだけ」それが全部だった。その我侭を許した時点で、私の負けなのだ。
 するりと何かがほどけていく音がした。私は溢れ出そうになる涙を、ぎゅうと目を瞑ることでなんとか押しとどめ、それから藤代の方へ手を伸ばす。応えるようにすぐに手が重なった。きっと藤代は全部見抜いているのだ、私の感情なんて。きらきらした純粋な好きも、ぐるぐる渦巻く嫌いも全部。



「・・・・たまには、電話くらいしてよね」



 強がって零れ出た言葉に、藤代はただ頷いた。





END


こういう話、椎名かなんかで前も書いたな・・・・orz
でも椎名と違うところは椎名はちゃんと恋人とか友人とか、そういうのを顧みる人だろうなって所。藤代は冷酷なわけじゃなくて、サッカー選ぶために結局そうなっちゃう人っていう妄想。そしてそれを自覚してる。

12年11月24日


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