日付を見て、ああそう言えば、と思い出した。 今年は何も用意していない。 最後の大会、つまり夏のインターハイが終わってから、もう随分と経つ。私大組は既に四月からの進路も決まりつつあって、国立組も、今は合否を待つのみだ。 学校へ通うのだって、卒業式を入れてもあとたったの3日しかない。 あっという間に過ぎ去ったここ数か月の記憶など、思い返してみても勉強以外は見当たらない。あの夏の日までは、随分と濃密で、ぎゅっと何か凝縮されたような感覚があったけれど、引退してみれば、あっさりとその記憶は薄れていく。 母親に小言を言われながら家を出る。日差しが春になってきたとは言えども、まだまだ寒い。身も凍るような寒さはもう無いけれど、それでもハイソックスとスカートの間からのぞく足を撫でていく北風は攻撃的だ。 私の家から立海大付属高校までは、徒歩で15分。自転車を使えば、わずか5分。駅前という立地の割には閑静な住宅街だ。朝露で光るサドルにハンドタオルをあてながら、ゆっくりとサドルに力をかけたところで、ふいに人影が視界の隅を横切った。見慣れたシルエットに、自然とそちらを意識する。 「にーおちゃん」 そう呼べば、嫌そうな顔の仁王が振り返る。寒がりなこの男は、マフラーから少しでも顔が外気に触れることを避けたいのか、目だけで「なんじゃ」と訴えてきた。私は自転車に跨ったまま横に並ぶ。 「柳生どうだった?」 「知らん、本人に聞け」 「ひっどいなー、かつての相棒なのに」 「大体国立は発表まだじゃろ」 「知ってんじゃん…」 仁王のペースに合わせて自転車を走らせていると、どうしても蛇行してしまう。もう少し早く歩きなさいよ、と文句を言ってみたところで、もちろん仁王の歩くペースは変わらない。 「ねえ、仁王、今日何の日か知ってる?」 「はあ?三送会」 「そうなんですけども!」 今日は私たち三年生が下級生によって盛大に追い出される日であることに間違いはない。毎年受験から解放された三年生が好き勝手やらかすせいで、割とめちゃくちゃな行事ではあるけれど、長く続く伝統行事である。あまりこういう行事に興味がないはずの仁王が今こうして遅刻せずに学校へ向かっているのは、昨日後輩から、しつこく言われていたからなのだろう。どうやら彼は何か出し物をするらしい。 「ほら、赤也だって言ってたでしょ!今日は、」 と、突然進路を塞ぐように影ができ、次いでひょいと横から顔を出したのは丸井だった。 「幸村くんの誕生日だもんな?」 相変わらず目立つ髪色に最早トレードマークになりつつある風船ガムを膨らませている。ちっとも変わらない。 「浪人生の丸井くんじゃあないですか、おや、こんなところで何を油売ってるんです?」 「俺前から思ってたんだけど仁王の比呂士ってなんでこんなにむかつくわけ?」 「まあ基本毒ある言葉を敬語で言われると人間むかついてしまうものだよね」 「ほう、は常に柳生に対してそう思っとったん?言っといちゃる」 柳生が毒吐くのはあんたに対してだけでしょう、と軽く仁王をあしらいながら、丸井へ首だけ向けて挨拶する。 三人並ぶと(しかも私は自転車)道路は一気に狭くなった。一方通行のこの道は、もともと道幅が狭いのだから、仕方ない。それでもこれが駅からの最短ルートなので、必然的に道は立海生ばかりになる。 「それはそうと、幸村の誕生日、何もあげなくていいの?」 「あーでも今年は別に全員にあげたわけでもねえしよー。引退後の奴らなんて何ももらってねえんじゃね?」 「そりゃね、私だってそうですけど。でも幸村は仮にも部長だったわけだし、皆で何かあげたら喜んでくれると思わない?」 「でももう当日だぜ」 付き合いも六年、幼稚舎組に至っては十二年にもなれば、今更誕生日で盛りあがる関係でもないけれど、よくよく考えてみればいつものメンバーで集まれるのは、今年で最後なのかしれないと思うと、やはり何かすべきなのでは、と思ってしまう。魔王とか神の子とか悪魔とか気違いとか散々なことを言われていた男だけれど、立海大テニス部の頂点に立って、皆をまとめあげていたことは事実で、そう考えると感謝の気持ちもないわけではない。長らく時間を共有していたせいで、どうもそういった感情に疎くなってしまっているけれど、幸村が部長だったからこそ、最後まで付いていこうと思えたのだ。 「とても気の利くマネージャーさんはそれじゃあ何をあげるべきだとお考えなのです?」 「あ、やばい、ほんといらっとするわ、仁王の柳生」 だろ!?と賛同者を見つけて目を輝かせた丸井に二度頷いてから、「仁王も少しは考えなさいよ」と相変わらず寒そうに身を縮めながら歩く男を一瞥するが、首を横に振るだけで、返事はない。もともと期待はしていなかったけれど、なんとなく納得がいかなくて、下げていたサブバックで後頭部を攻撃すれば、ぐえ、という可愛くない声がする。 「…幸村が好きで、かつ今からでも集められそうなもんくらいあるじゃろ」 「えー?何よ」 幸村の好きなものを思いつく限り丸井とあげていくけれど、どれも簡単には手に入らないものか、抽象的すぎて用意できるものは無い。降参の意を示しても仁王は答えを教えてはくれなくて、私と丸井は顔を見合わせてため息をつく。 曲がり角を曲がると、広い道路に出る。追い抜き、追い抜かれを繰り返しながらしばらく進んだところで、あ!と丸井が声をあげた。わかった!拳を突き上げてそう言う様は、心底嬉しそうだ。それくらい、真剣に考えていたらしい。 「えー?何なに?」 「幸村くんの好きなもんっつったら――――花だろぃ」 「あっはは!何この不細工!」 「花束とさえも認められなかったこの絶望感!」 「あはは!不細工!」 はっぴばーすでーとぅーゆー、音程の外れた、けれど浮かれた気分を全面に押し出した適当な音階と口調で歌いながら花束を渡せば、一言目にはそんな暴言が飛び出した。不細工な花束、とは言わずに、不細工、で意図的に止めたあたりが、彼の性格をよく表している。 03/05 08:07 From:丸井ブン太 Title:(non title) ―――――― 幸村くんのことを思って 一人一つ花持って来い。 8時半までに第二体育館 裏! -END- 呼びかけは俺がやるから形にするのはにまかせた、と丸井が自信ありげにそういうので、それじゃあよろしくとお願いしてから3分後に届いたのはこんなメールだった。思わず携帯電話を二度見したが、そこにある文面は少しも変わりはしない。一切の説明もない上に、この出だし。加えて、時間制限つき。一体どれだけの人が持ってきてくれるのだろうと疑問を抱えながら第二体育館裏へと足を運べば、さすがは体育会の鏡、立海大付属高校男子テニス部、既に後輩たちが十数人集まっていた。と、いうか全員にメールしたのかよ!と内心ツッコミを入れざるを得ない。 「あー皆ごめんねえ、なんていうかほんと…」 「いえいえ、幸村部長の誕生日ともなればそりゃあ赴きますよ!」 「おお偉い覚えてんだ」 「部室に大きく張り紙してありますから!」 ああそういえば去年でかでかとポスターにして貼っていたなあ、と我らが部長の自由な行動を思い返す。「っていうか外しなよ」私の忠告など、もちろん言ってきかせても意味はない。幸村部長は伝説ですから!と現副部長は拳を握った。 そんなこんなで、レギュラーメンバーもしくは三年だけで小さな花束でも作るんだろうと予測していた私の考えなど見事に崩壊し、その後も律儀に続々と集まるテニス部員たちからの花を受け取って一つにまとめてみれば、幸村の頭一つ分は軽く超える花束ができあがったのだ。 「大体これなに?どう見てもたんぽぽの葉」 「…さあ」 「こっちはなに?チューリップ?わざわざノート正方形に切って折ったのかなあ」 花の指定をしたわけではない。 だから、男子高校生がそれぞれ思い思いに持ってきた花の集合体など、お世辞にも美しいとは言えないのはわかっていた。 幸村の気持ちもわからなくもない。作った本人の私だって、渡すのを躊躇ったほどである。 「薔薇は誰?柳生?」 「ジャッカル」 「ジャッカル!?何なに、外国人の血が騒いだの!?予想外!」 男から花貰ったって嬉しくないだろー、という紳士的なような、ただ単に面倒臭かっただけのような、そんな発言を丸井がしたせいで、私一人で幸村の元へ向かう羽目になった。三送会を終えて帰路に着く直前、なんとか見つけ出して人目のつかないところへ引っ張り込んだ。「何?俺襲われるの?」といらないボケをかましてくれた幸村だったが、私が花束を渡すや否や、一瞬でこの花束が誰からのものか理解したようで、盛大に笑った。 「ははっ、あー、可笑しかった、笑った」 「そりゃよかった」 「あ、怒んないでよ?これでも喜んでんだからさ」 幸村は、綺麗に微笑んだ。 さっきまで腹を抱えて笑っていた男と同一人物だとは思えないくらい、綺麗な笑みだ。突然真剣な表情になるから、私は呆気にとられながら、ああうん、と曖昧な返事を返してしまう。 「卒業とか引退とか何かの発表会だとか、そういうことでもない限り、昨今じゃめっきり花束貰うことなんてなくなっただろ?」 だからありがとう。 素直にそういう幸村は、夏にトロフィーを掲げて笑っていた幸村と同じだった。 大概ふざけた男だったけれど。 この男に魅了されていたのも、また、紛れもない事実だった。 何だか唐突に、そういう感情が溢れてきて、卒業して皆がバラバラになることを実感する。インターハイが終わった日も、今日の三送会も、まだどこか実感がなかったのに、幸村を目の前にしたら、現実が押し寄せてきた。 不思議な感覚だ。 「ねえ、幸村」 呼びかければ、不揃いで不細工な花束と共に、幸村が振り返る。 丸井のあのメールを、随分とふざけた内容だなあ、と思って見ていたけれど、きっとあれは間違いではなかった。薔薇、ユリ、菊に椿、折り紙で追った睡蓮、ノートで追ったチューリップにタンポポの葉。最早ただの寄せ集め。それでも、こんな唐突な呼びかけに部員全員が応えてくれるくらい、目の前の男の存在は、大きかったのだろう。まあ、ただ単に恐れられていたとも言えるかもしれないけれど。 こうして花束が一つ作られることは、おそらくもう無い。 花束をもらう場面を想像して、お見舞いを除けばほとんどが祝事のような気がしてくる。だから、花束を渡す、という行為そのものが縁起の良いことのように思えてきて、即席にしてはなかなか良い誕生日プレゼントだったんじゃないか、なんて思ってしまう。例えそれが盛大に笑われた不細工な花束だとしても、だ。 時計を見上げた幸村が、もう行かなくちゃと呟いた。「引き留めてごめん、でも最後にもっかい、誕生日おめでとう」はっきりとした声でそう告げれば、薄暗い廊下で、不恰好な花束を高く掲げて、幸村は笑う。 「俺って愛されてるね」 「そうだね」 「会ったら部員全員にお礼言わなくちゃ。まずは一人目、ありがとう」 去って行く幸村の背中を、見えなくなるまで見送った。 誕生日おめでとう、生まれてきてくれてありがとう。 全ての感謝と出会えた奇跡を、何十人もの気持ちを込めて、花束をあなたに。 END 幸村はっぴーばーすでえええええええええええ!!!!! 遅くなっちゃったけど!!!大好きだよ馬鹿!お花好きな神の子とかなんなの!! ところで全然恋愛要素なかったね反省した。 リクエストくださった方ありがとうございました。 12年03月08日 |