「私ね、他人に対して本当に幸せになって欲しい、って思えたのは、多分あいつが初めてなの」 天気が良くて、燦々と零れ落ちるように降り注ぐ日差しを浴びて、目を細めながら彼女は言った。小島有希はその様子を同じように目を細めて見ていた。ただし彼女と違って眩しかったのは太陽ではない。彼女そのものだった。すらりとした綺麗な左手の薬指には真新しい指輪が光っていて、シンプルすぎると言っても過言ではないほどシンプルなデザインのそれは、しかしながら彼女によく似合っていて格好良い。これを選んだ相手が、案外そういう趣味は良いことを思い出して、何故か少しだけ悔しい気持ちになる。小島が指輪を見ていることに気付いた彼女が、手の甲を小島に向けてにこりと微笑む。 「良い趣味でしょ」 小島と同意見の言葉を嬉しそうに紡ぎ、そっと指輪を外す。きらりと日の光を浴びて一層光ったそれは、思っていたよりも細いシルエットだった。 「私がなんでを好きか知ってる?」 「え、なあに、突然愛の告白?でもごめんなさいね、私人妻になっちゃったし?」 小島の言葉を茶化すように、彼女は軽く肩を竦めて見せる。おどけた表情さえも様になっているように見えるのは、きっと彼女の雰囲気のせいなのだろう。学生時代よりも随分と大人びた外見とは裏腹に、中身は純粋なあの頃のままだ。 「とても客観的に判断できるところなの」 小島がストローを回すと、氷がグラスの中で揺れて、カラン、としげな音を立てる。彼女は小島の言葉をゆっくりと噛みしめて咀嚼しているようだった。客観的ねえ、と頬杖をついて、逆の手でストローを弄ぶ。小島と違って氷もガリガリと平らげてしまうタイプのようで、ストローを回しても何も音などしなかった。 「そうかなあ。自分じゃよくわかんないけど」 「そうよ、だから大体正しいの」 「正しい?」 「それが皆にとって正義となるかどうかは別として。正しいのよ」 小島があまりにも当たり前のようにすっぱりと言い切るもので、彼女は思わず呆けた顔のまま、動きを停止させた。正しいだとか正義だとか、華のある20代女性同士の会話にはおよそ似つかわしくない言葉だ。小島はいつの間にか乾いてしまっていた唇を、ペロリと舐めた。喉もカラカラに乾燥している。レモネードを飲んだばかりなのに。ストローに口づけて啜ってみても、ず、ず、と乾いた音しかしなかった。 「有希は、正義を求めるタイプだもんねえ」 「そう。だから間違ってもあいつは選ばない」 「ひっど!仮にも人の夫なのに!」 「いいのよ、それでもが選ぶんだから。幸せ者だわ」 「えー?」 「幸せ者よ」 小島の双眼は、大きくて綺麗な黒だ。真っ直ぐに見据えられると思わずたじろいでしまうほどの。現役女子サッカー選手として活躍する小島だ。同じフィールドに立ったことのあるものならば、その威力を身を以て経験することになるだろう。彼女はその双眼に見据えられて、金縛りにあったように動かなくなった。小島が、ふ、と視線を外すと、詰めていた息を吐き出すように、ふーっ、と彼女は長い長い息を吐いた。短い尋問にでもあったみたいだった、彼女の呟きに、小島は心外だと大げさに手を広げた。 「・・・・さっきが言った言葉、前に結婚の報告をしてくれた時も言ってた」 「そうだっけ?うん、まあ、そうかもしれないな。それが決め手になったから」 「最初はね、ああそんな風に考えられるって良いなあ、って思ったけど。段々不安になった」 「不安?」 「そう。は、自分の幸せは考えているの?って」 小島が、彼女――――旧姓、から、結婚の報告を受けたのは、今から半年ほど前、冬の気配が濃くなり始めた晩秋だった。は、昔からとても客観的に物事を捉える少女だった。初めて小島が出会った時に抱いた印象と、何ら変わりはない。けれどその分、何事からも自分を一歩退けて考える癖があったのだ。それを、当時高校生だった小島は何よりも大人だと思ったし、実際そう感じていたクラスメイトは少なくなかったはずだ。 はよくモテた。そういう一面も、惹きつける要因に一つだったのかもしれない。とにかく、よくモテた。自分にあまり執着がないからなのか、彼女はフリーであれば、大体申し入れを承諾して、そしてほとんど100%と言ってもいいほど、相手から去っていった。毎度同じことを言われるようで、はいつもその言葉を不思議そうに聞いていたのだった。――――は本当は、俺のこと好きじゃないんだよ。人の心を勝手に決めるなんて失礼極まりないことだよねえ、とはその度に言うのだけれど、しかしそれ以上は何も言わないのだった。 そういうことが両の手の指では足りないくらい繰り返された後、小島はある男をに紹介した。その見目麗しさ故に女性のファンは多いというのに、精神的な子供っぽさがそれを上手く躱すことも利用することも出来なくしていて、一向に恋人のできない男だった。中学時代に共に部長を務めて、ある意味で相方でもあったその男のことを、小島は心配していた。不器用さだとか空回り具合を。だから正反対のとは、きっとパズルピースを当てはめたみたいに上手くいくと思ったのだ。 すっごいねえあの人、まっすぐで子供みたいだねえ。が、小島の紹介で彼と知り合って、最初の第一印象だそうだ。褒めているのか、貶しているのか、と言えば小島は間違いなく後者だと思っているが、本人にその自覚はなかったようなので、そっと心に秘めておいている。小島も交えて数回の接触を経た後に、どうやら小島の読み通り相性がよかったらしい二人は、程なくして付き合い始めた。詳しいことは小島も渡米をしてしまっていてあまり知らないのだけれど、手紙や電話の様子からすれば、上手くいっていたのだと思う。 そうして数年間の交際後、彼らは結婚した。 親族だけ呼んだこじんまりとした式だった。所謂愛のキューピッドとなった小島は呼ばれていたのだけれど、親族だらけの中に一人混じることはどうにも気が引けて、断った。送られてきた写真の中で笑う二人は、幸せそうだった。 「別にね、が幸せじゃないって言ってるわけじゃないの」 小島は、テーブルの上で組まれた手に力を込めた。自分が、二人を合わせたのだ。きっと交わることのなかった二人の人生を、クロスさせたのは他ならぬ小島である。間違いだったとは思っていない。むしろ良いことだったと思っている。結果として生涯のパートナーとなったわけだから、その選択は正しかったはずだ。それでも、不安があった。自分を、一歩外に出して考えるのが、彼女なのだ。いくら何でも結婚なんてそんな大きなことを、自分を外して考えるはずがないけれど、小島に一抹の不安を覚えさせる程度には、の思考回路は徹底して、第三者視点なのだ。 考えてなかったわ!とあっけらかんと言われてしまうのではないか、そんな不安が音もなく忍び寄ってきて、ずうん、と小島の上に乗っていた。そんなはずない!言い聞かせてもあまり効果はなく、相変わらず喉が渇いている。反応がないのを訝しみ、小島はそうっと顔を上げた。 「・・・・ごめん」 「ええ?えええええ?何?え?何で謝れてんの!?」 「いや・・・・ほんと・・・・ごめっ、ははは!」 耐えきれずに小島は笑いだした。ええええええええ、不満そうにわけもわからず口を尖らせるを後目に、小島は一人で笑い転げている。 顔を上げた先にいた彼女が、あまりにも幸せそうだったから。 浅はかだった自分が可笑しくて、笑いが止まらない。小島はとうとう腹を抱えて笑っている。 「何なのよもー!」 「いや・・・・笑った・・・・ごめんごめん」 「人がせっかく真面目に答えようとしてたっていうのに」 「あれ、そうなのごめんなさい。はいどうぞ」 「言うわけないでしょ」 日の光を浴びてきらきらする彼女は、とても幸せそうだった。どうして会って一番それに気づかなかったのだろう、と思うくらい。きっと思い込みでフィルターが掛かって見えていたのだろう。ふわりと笑う彼女がやはり眩しくて、小島はまた目を細めた。 「ほら、どうぞってば」 「・・・・まあ有希ってそういう奴よね」 「そうそう、だから諦めて、ほら」 はあ、とため息を一つ付くと、は手をあげてウエイトレスを呼び止め、アイスティーのおかわりを注文する。どうする?と促された小島は、乾いた喉を潤すため、同じものをもう一杯注文した。 「・・・・幸せになって欲しいなあ、って思った時に、」 その時を思い出しているかのように、は懐かしそうにそこで言葉を区切ってゆっくりと深呼吸をした。 「きっとこの人には私が必要なんだろうなあ、って思って」 「・・・・あれ?それいいの?あれ?」 「最後まで聞くー」 小島が懸念していたことに近づいているような気がして、一瞬眉根を寄せた。それを見てはくすくすと笑った。その笑い声から、きっと大丈夫なのだろうと予想できて、小島もつられて笑顔になる。午後の日差しは一層強く二人に光を降り注いでいて、今なら誰だって幸せになれると、そんな錯覚さえ起こしそうだった。 「それが、すごく嬉しかったの」 「・・・・必要とされることが?」 「まあ、そうかな。自分が世界で初めて幸せを願った相手が、幸福になるのに自分が必要なことが、ね。これ以上ない喜びだった、幸せだなあ、って思えたよ」 それはとてもらしい考え方だった。何だかひどく歪んでいるような気もしたけれど、それでもそれが彼女にとっての幸せとなるのなら、それで良い。 「女にそんな風に思わせる奴なんて、私の知り合いじゃ、あいつくらいね」 「ははは。有希の友達は皆気が強いからさー」 「気が強いとかそういう問題なの?」 「うん。あとはあいつの甲斐性の無さ?」 「それ言っていいわけー?」 二人揃って声に出して笑った。こういうところがどうだ、ああいうところがこうだ、後から後から途切れることなく出てくるのは、の夫に対する褒め言葉とも貶し言葉とも説明つかぬもので、つまり二人からの愛情表現だった。 「水野って、ほんと、あームカツクくらい幸せ者だわ」 「さっきからそれ言ってるけどどういうことよ?私という素敵なパートナーに巡り会えたことかしら?」 「・・・・そうね」 「――――、」 そんなに可笑しな表情でもしてたかしら、と小島は思った。そうして小島が疑問に思ったのは、目の前のが、どういうわけか鳩が豆鉄砲を喰らったかのような、わかりやすい表情で驚いていたからだ。お待たせしましたー、変な調子で語尾を上げてウエイトレスが追加の飲み物を運んでくる。ありがとうございます、と会釈したのは小島だけで、ウエイトレスが来てもは反応を示さなかった。「・・・・何よ」小島が呼びかけても反応はなく、もしもーし、何度か目の前で手を振ってみせて、ようやくは動き出した。止めていた機械を動かし始めた時のように、どこかぎこちない動きをしている。それはにしては珍しい光景だった。動揺している、という表現が、きっと一番正しい。 「ちょっと、どうしたの?」 「え?だって、有希、あんたまるで、」 自分が結婚するみたいに、幸せそうに笑ってたよ。 同じようなもんよ、今度は小島も、自分がひどく優しい表情で、柔らかく笑っている自覚があった。目の前の幸せそうな新婚さんと同じくらい、幸せな自信もあった。 も、そして今頃どこかのキャンプ場で日本代表の練習合宿中の彼女の夫水野竜也も、どちらも小島にとって大切な存在なのだ。 二人共、きっとそのことに気付いてなどいないだろう。ベタベタする間柄でもないし、小島は友人に好意をアピールするタイプの女性ではない。 「ねえ、、おめでとう」 「・・・・改まって何よいきなり。でも、ふふ、ありがとう」 「良い表情してるわ。幸せ者め!」 神様、大切な人たちに幸福を、ありがとう。 END 水野が出てこなかったーーーーーーーーーーーーーーーーーーー!!! いや、あのさすがに私もびっくりしました。びっくりしました!!!でもそういえば一発目に書いた話もほぼ出てきてないみたいなもんだったなと思いました。← まあ、ある意味私らしい夢小説ですね。夢じゃないですね。すみません。 たっちゃんと幸せになる人は、絶対自分が幸せになるとかたっちゃんを幸せにしてあげたい!とかじゃなくて、この人幸せになって欲しいな、と心から願ったところから始まる人が良いとずっと思っているのです。というか、そういう人と幸せになって欲しい!勝手な!願望! 母性本能くすぐるタイプとはまた違うと思ってるんですよね。幸せなたっちゃんを側で見ていたい系女子。それが似合うと思う。男前なタイプでも可愛らしいタイプでもない気がする。難しい男、水野竜也。 そしてこっそり驚きなのは、ありがとうはヒロイン→水野でも水野→ヒロインでもなくて、小島→神様かよ!っていうところです。 my dear、2011年の水野誕から始めて一年以上が経ってしまいましたが、こうして終えることができて良かったです。 お付き合い頂いた方々、またリクエストくださった方々、ありがとうございました! 13年02月24日 |