顔に真正面から突き刺さる空気が痛い。だんだんと手先の感覚は麻痺してきて、今はもう何も感じない。がむしゃらに動かした両足は、驚くほど軽やかで、感覚なんてものはとっくになくなっていた。呼吸だけが相変わらず大きく稼動する。 どんよりとした雲に覆われた空は残念ながら塞がった気分を開放してくれるなんてことがあるはずもない。紅葉の季節もとっくに過ぎて、景色はモノトーンで埋め尽くされている。 あまり変化のない景色を両端に捉えながら、はただただ走り続けていた。軋む筋肉の音が聞こえてくるのではないかと思うくらい、聴覚だけが研ぎ澄まされている。角を曲がったところで少し離れた校舎からやけに大きなチャイムの音が聞こえて、そこで全てが停止した。 『思い出せばいい』 短くあがる呼吸をなんとか押さえつけながら、は芝生へ寝転んだ。 瞼をゆっくりと閉じれば、思い出されるのはそんな一言。 それを頭の隅に追いやると、今度は顧問の怒声が聞こえてきた。 ――勝つ気はあるのか。 確かにそう言った。は、応えられなかった。 応えなかったに、顧問は何も言わなくて。コーチが静かに、外周に行ってきなさいと言った。コートに立つ仲間たちが、不安そうにを見ていて、それが彼女にとっては心底腹立たしかった。 『基本的に俺たちはあんまり会うことができないけど、でも俺はいつだってのことを考えているつもりだし、ベタなこと言わせてもらえば心はいつだっての側にいるよ』 綺麗に整えられた芝生はひんやりと冷たい。 さすがにこの寒さの中で走っても、汗をかくなんてことはなかったらしい。急激に冷えていく体を、本当はクールダウンする必要があるのだろうけれど、なんだか全てがどうでもよくて、は相変わらず仰向けに寝転んでいた。 投げ出された腕も足も、指先を動かすのでさえ億劫だ。 「――・・・っは、はぁっ、・・・」 吐き出される息は白い。頬の熱が急に上昇していくような、変な感覚に、顔をしかめた。顔は真っ赤になっている。寒さのせいでそうなったのか、それともただ単にオーバーランニングのせいなのか、その辺はいまいちわからない。 ぎり、とかみ締めた奥歯が、軋むような崩れるような、そんな感じがした。 『依存って俺、嫌いなんだよね。だけどには頼って欲しいと思うよ』 隣の体育館からは、いつもならがかけているはずの号令が聞こえてきて、耳を塞ぎたくなった。手を使わずにそうする方法はないのかと真剣に考えて、それからその思考を中断する。 閉じた瞼に、赤い夕焼けが透けて見える。それがだんだんと見慣れた赤いリングへと姿を変えるのに、それほど時間は必要ではなかった。弧を描いてボールがリングへ放たれる。がうぃん、と嫌な音をリングは立てて、ボールは変な方向へ飛んでいった。 ――負けて悔しいと思ったことは? むかつく、顧問に対してそう思ったのは、それが初めてだった。馬鹿にされているとかそんなものではなくて、その質問をしてきたこと自体に腹が立った。それを横で聞いていたの幼馴染は、が応えないことに驚いていたけれど、にはそれがわからなかった。 ――負けて、悔しいと思わない人がいるんですかね。 ほとんど抑揚のない平坦な口調でが言うと、顧問はそうかと言ったきり、その日は何も言わなかった。 『俺はの存在そのものに助けられることが多いし、それを誇りに思う。だからね、』 しびれていた左腕を、のろのろとした動きで持ち上げて、太陽にかざすように目の前に。 そうしてゆっくりと目を開けた。 影になって普段よりもずっと見えにくかったけれど、それでも確かに。 ――、あたしたちは、次の大会に全てを賭けるよ。 真っ直ぐに見つめてきた、2年間共に戦ってきたチームメイトが、初めて遠くに感じた。実力では格段にに劣る彼女たちが、何故か雲の上の存在のように感じた。 再びは目を閉じる。 『これを見て、俺を思い出して、それでもう少しだけ頑張ってみて』 小さく咲いた、赤い花。 彼は、唇をの左の薬指へと持っていくと、しばらく口付けていた。 上げた顔には満足気な笑み。 『俺が行くまで、頑張って』 ぱちりとは両目を開けた。 戻ってきた光と視界に少しだけ萎縮する。 もう一度、視線を左手に。 「――はぁっ、・・・・は、」 乱れた呼吸音が徐々に小さくなっていく。 完全に冷えて固まった体を無理矢理起こすと、体中が悲鳴をあげた。 ぱんっ。 乾いた音が小さく響く。 両頬から手を外すと、は再び駆け出した。 もう少し。 あと少し。 彼が来るまでの、 辛抱だから。 |
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