「武蔵野第一、受けないの?」 私のその一言に、阿部隆也は眉一つ動かさずに否定の言葉を述べた。 見ているその雑誌から視線さえもずらさずに、その周りの空気さえも振動させずに。 シニアの先輩が引退してから彼は少しだけ変わった。 引退してから、というよりも、去年の関東大会がきっかけだったような気もするけれど、それを本人に言ったら否定されたので、私にはよくわからない。 榛名元希という人物は、隆也には大きすぎたと思う。 ただでさえ小さかった私たちは、あの人の前ではあまりにも無力すぎた。それは野球という繋がりのなかった私でさえもそう感じたのだから、きっと隆也にはもっともっと強く圧し掛かってきたはずだ。 隆也はあの人の捕手だった。 それを隆也は全力で否定して、私を蔑むような目で見てきたけれど、隆也があの人の捕手だったという事実は確かに存在していた。 隆也はあの人の球を受けていて、あの人は隆也に投げていた。 だれでもよかったんだよ、と隆也は吐き捨てるように言ったけれど、それでもあの時あの人の球を受けていたのは隆也だった。 隆也はもともと弱音なんて吐かない。それが親友だろうと恋人だろうと同じことで、それが彼の強さでもあって弱さでもあった。 その彼が、唯一私に弱音を吐いたのが、あの人絡みのことだった。 驚いて、同時に嫉妬した。 榛名元希に。 それでも弱い部分を見せてくれたのが私だけなんだと考えたら嬉しくて、その時に見え隠れした汚い感情には蓋をした。多分それは、隆也も同じだったと思う。 私たちは、あの人と向き合わなければならなかった時にそれをきちんとしなかった。 私はシニアでのあの人と隆也の関係なんて知らないし、だからもしかしたらあの人と隆也は私が思っている以上にお互いにとって大きな存在なのかもしれないけれど(そしてその逆もまた然り、だ)、少なくとも私と隆也の間の榛名元希は曖昧になったままだった。 あの人がいて初めて隆也は私を頼ってきたし、私は初めて阿部隆也という人物を知ろうとした。 感謝とは少し違うけれど、でもそれに近い感情。 私とあの人は、隆也がいなければなんの接点もないからどうでもいいのだけれど。 隆也にとってあの人は、隆也が野球を続けていく限り避けては通れないから。 「榛名さん、もういいの?」 私がしつこくそう言って、隆也はやっと顔をあげた。心底迷惑そうな顔だった。 「いいとか悪いとか、そういう問題じゃない。とにかく俺は西浦受けるから」 「榛名さんのこと、尊敬してたんじゃないの?」 「昔の話」 隆也は再び雑誌に目を戻す。 茜色に染まる校庭を見下ろすと、白球を追う少年たちが見えた。 「・・・・・。俺は、別に榛名に敢えて反発してるわけじゃないよ。ただ、あいつ以上の人を、探してるだけで」 ぽつりと隆也は呟いた。知ってるよ、私の言葉に彼は笑った。 西浦へ行けば、隆也の相方は見つかるのだろうか。見つかっても、きっとぶつかるんだろうな、そう考えるとなんだか口元が緩んできて、私は慌てて手を当てた。 何かあったら、また私が受け止めればいい。 あと1週間で前期入試。あと1ヶ月で後期入試。 教室のカレンダーは1月と2月が並んでいる。赤丸がついた日が隆也と私の運命の日。 |
END ++++++++++++++++++++++++++++++++ 10000hit御礼企画より お題配布元be in love with flower 08年08月04日再録 |