ラブロマンスが始まらない
   




「ねえ、一馬」


 長閑な午後。何の変哲もない住宅街の一角に位置する一軒家の極々一般的な間取りの一つである、部屋の片隅で彼女は言った。


「ロマンスの神様ってどこにいると思う?」

「は?」


 唐突なその問いかけに、その部屋の主である一馬は目を丸くした。
 いや、彼だけではなく、一馬の部屋で好き放題過ごしていた彼の友人たちも、だ。
 つまり、今現在そこに存在していた者は、1人眉間にしわを寄せて答えを待っている彼女以外、全員が唖然としたのである。


「やっぱりゲレンデ?」
「……、大丈夫か?」


 ぽかんと開かれた口たちから答えは出て来ないだろうと諦めたのか、は真面目な顔で一人ごちて唸り声を上げる。


「私さあ、中学生になれば誰にでも彼氏って当たり前に出来るもんだと思ってたんだよねー」
「あ、それは俺も思った!超可愛い彼女出来ると思った!」
「それは漫画の読みすぎだよ、若菜君」
「……お前に言われたくねえよ」


 一馬の布団の上で丁度お気に入りの少女漫画の新刊を読み終えたばかりらしいは、単行本を胸に抱いたままごろんと横になった。

 そんな彼女の話に最初に乗っかったのは結人だった。
 彼もまた、読んでいた少年漫画雑誌に飽きてきた頃だったのだろう、パタンと小気味のいい音を立てて傍らに雑誌を放って身を乗り出す。


「2人は高校生になっても同じこと言ってるだろうね」


 続いて口を開いたのは英士だ。
 此方は未だに文庫本へと目を向けたまま、興味なさげに言葉を落とす。


「確かに」


 そうして一馬は溜め息を吐きながらつい先程まで向かい合っていた宿題へと意識を戻そうとした。


「ちょっと一馬ー!ちゃんと考えてるー!?」
「何をだよ……」
「私がロマンスの神様のご加護を得る方法よ!」
「……宿題終わってからな」
「宿題終わったら、郭君たちと新しいスパイク見に行くって言ってたじゃん!」
「それはそうだけど、」
「今考えてー!」


 けれど、それもによって妨害されてしまう。
 そうして英士は一馬へ「ご愁傷様」とでも言いたげな目線を送り、結人は楽しそうに話題の展開を待っている。

 肩を竦めて、再度盛大な溜め息を漏らすと一馬はゆっくりとに向き直った。


「俺、思うんだけど」
「お!なになに!?」
「お前、なんでうちにいんの?」
「え、質問の意味が分からないよ、一馬」


 期待していたものとは違う一馬の物言いに落胆したように顔を顰めたに、言葉を変えて言い直す。


「なんで、休みの日にお前はうちに来てるんだよ?」
「は?暇だからに決まってるじゃん」
「……他に友だちいないのかよ……」
「ちょ!なによそれー!一馬なんか小学校のとき、私が遊んでやんなきゃ友だちいなかったくせに!」


 一馬の言いたいことを理解したは、恩を忘れたのか、と乱暴に枕を投げつける。

 「なにすんだよ!」と自分の枕を受けとめながら、一馬の方はいらぬ昔の汚点を思い出させられて散々だ。
 確かにとは、小学生のときからサッカーに霧中で孤立していた一馬に彼女がちょっかいを出してきた頃からの付き合いだが、今そんなことを引き合いに出されるとは。


「や、でもマジでちゃん、休みの日に男の家遊びに来てたら彼氏出来ないと思うよ」


 そこで漸く言葉を挟み込んだのは。暫し蚊帳の外で成り行きを見守っていた結人だ。
 思いがけない彼の助言に、はつい「そうかなあ」と真面目な顔で身体を持ち上げる。


「だって俺、嫌だぜ?自分のいないところで男の家に遊びに行く彼女とか!」


 確かに、異性の友人が多いと本命として考えにくい、という恋愛一般論よろしく、足しげく異性の家に通っているを本命の彼女にしたいと思う男性は多くはないはずだ。
 あるいは本人が恋人の有無によってその行動に自制をするつもりであったとしても、その信憑性も相手からしてみれば信じ難いもので、果てはその異性こそが彼女の本命であると誤解されて入口ごと封鎖されてしまう可能性もあるだろう。

 結人が語ってみせたその考察には、妙な説得力がある。
 は納得したように相槌を打って、また首を捻った。


「えー、そっかあ」
「そう!だからちゃんも彼氏が欲しいなら一馬の家に通ってちゃダメだぜ!」
「んー……」
「………」


 俺今良いこと言ってる、とでも言いたげな顔で結人が人差し指を振って見せると、の表情はまた難しいものに変わる。

 一馬と言えば、結人が喋りはじめてから黙ったきりだ。
 ただ、の動向を見守っている。


「でもなあ、定期的に一馬の顔見たくなるしなあ……」
「、」
「良い案が、一つあるよ」
「え、英士」


 の独り言に結人が口を挟もうとしたところで、先に言葉を割り込ませたのは英士だ。
 一馬は不自然に息を吐き出しながら英士を振り返る。

 これまで只管文庫本へと目を落としたまま、の持ち込んだ話題に関わるまいと沈黙を決め込んでいたはずの彼は、いつの間にか真っ直ぐにを見つめていた。


「え、なあに?郭君」
「その通いつめてる男の家に、彼氏がいればいいんだよ」


 目を輝かせるに、英士は淀みない口調で告げる。

 その提案はひどく合理的で、平和的な解決策だ。
 しかし、


「それって、私がこの中の誰かと付き合えばいいってこと?」


 思ってもみなかったとばかりには目を瞬かせた。
 それからゆっくりと部屋を見渡す。


「若菜君は、嫌だし」
「え!なんでだよ!?」
「浮気しそう」
「や、しねえし!」
「でもしちゃいそうに見えるの!女の子と仲良さそうなところが乙女心としては頂けなーい」


 まず矛先を向けられた結人は、必死の反論も虚しく、自分のことを棚にあげたような理由で却下。


「郭君は、温度差がありすぎる」
「なに、温度差って」
「だって郭君、いつもあんまり構ってくれないんだもん」
「まあ……あんまり興味ないからね」
「そういうところが温度差!」


 英士においては限りなくの方が却下された側であるように見えるが、一身上の都合により却下。


「となると、残るは……」
「ていうか、まあ硬派で浮気しなさそうで」
ちゃんのこと構ってあげてるつったら」

「一馬だよね」


 そうして最後にの目が向けられたのは、他でもない一馬だ。
 英士と結人の声が重なれば、一馬はびくりと小さく肩を揺らしての次の言葉を予測する。


「えー!一馬!?」
ちゃん、一馬の嫌なところは?」
「嫌なところお!?」


 けれども、の方は一馬こそ全くもってロマンスの神様のご加護として予想していなかった人物のようですっかり混乱してしまったようだ。
 あー、だの、うー、だの、言葉にならない言葉を取り落しては頭を悩ませている。


「あ、無駄に顔が良いところ?」

「は?」
「なんかたまに、一馬ってイケメンだよなー、と思って見とれちゃうのがムカつく!」


 悩んだ結果が、これだ。

 目を丸くしたのは、やはり彼女以外にその場にいた者全員。


「あと、なんだかんだで部屋入れてくれたりして優しいところとか、りんごジュース買ってくると喜んじゃうところとか、サッカーしてるときは急に男っぽくなるところとか!なんか悔しいから嫌!」


 ぽかん、と口を開いたまま閉じることが出来ずにいるのは一馬と結人だ。
 英士はと言えば、早々に表情を歪めて可笑しそうにを見やる。してやったり、という顔だ。


「ねえ、それってさ、」
「一馬の好きなところじゃねえの?」
「え?」

「一馬のこと好きなんでしょ」


 ただ、その答えを言ってしまったのは結人の方だったけれど。

 更に核心をついて見せた英士の言葉に、今度はの方が豆鉄砲でも食らったような顔をして一馬を見つめ、一馬はあからさまにその目を逸らして真っ赤になった顔を隠すかのように前髪をクシャリと掴んだ。


「あーあ、一馬可哀想に。ずっとちゃんのこと好きだったのにな!」
「ば、か!結人!」
「えええ!?」
ちゃんに、その気がまったく見られないって言ってたのになんだよー、気付かなかっただけかよー」
「お前、何言ってんだよ!」


 そこからはもう急展開だった。
 待ち望んでいたロマンスは、ずっと自分の心の中で勝手に始まっていただなんて。


「思うに、今までロマンスがなかったのって自分のせいだったんじゃない?」



 後に、はロマンスの神様ってかりあげだったんだね、としみじみ語ることになるけれど。

 ここから彼女の望むめくるめくロマンスが始まったかどうかは、神様も知らない話。






遅くなってごめんちゃ^ω^ ←
無駄にヨンサ落ちでごめんちゃ^ω^
あくまでメインは一馬だと言い張るんだから!

09年10月09日 夏乃みな

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