「それって、楽しいんスか?」



 疲れた、というよりも先に、楽しかった、と思ってしまうのだから、自分も大概バスケ馬鹿だなと黒子は思った。体力がないので残念ながら息は盛大に乱れていて、意識も心なしか朦朧としている。身体は思ったように動かない。ぼんやりとした視界に広がるのは見慣れた体育館の天井で、今日も一日が終わるなあ、とやっと思う。こうして倒れるまで練習して、黒子テツヤの一日がようやく終わるのであった。

「ったくいつまで経っても体力つかねえなあ」

 オラ、といつものように側にポカリスエットを置いてくれたのは青峰だ。

「飲ま、せてくだ、さい」
「やだよなんでだよ」
「だって、手、動かない…」

 とは言うものの容器に手を伸ばす青峰に、黒子は口をあけて待機する。けれど一向に喉に潤いがやってくることはなく、代わりに右頬にひんやりとした感触。青峰君ひどいです、一応文句は言ってみるものの、喉の渇きには勝てなくて、どうにか黒子はポカリスエットを流し込んだ。仰向けになりながら飲み干すことは当然できなくて、途中でむせる。

「…ゴホッ、ケホ、…っ」
「あーあ、起き上がって飲めよなア」
「……ケホ、これ、ぬるいのが、いけない、です」
「あんだよ文句あんならキンキンに冷やしたの寄越せってさつきに言えよ」

 黒子は青峰を見上げた。同じ、いやそれ以上の練習量なのに、何故この男はこんなにも涼しげなのだろう、といっそ憎らしさを通り越して素直に羨ましい。肩で息をしていなければつらい自分とは大違いである。

「…どうして、体力が、つかないん、ですかね」
「そりゃ元々の身体能力とかの問題じゃねえの?だってこんなに毎日シュートとドリブルの練習してんのに身に付かないとか意味わかんねえ」
「はっきり、言いますねむかつく」

 プイ、と黒子がそっぽを向く。
 同じ年齢、同じ性別の人間なのに何がこうも違うのだろう、と思わず黒子はため息をついた。ため息つくとレギュラー逃げんぞ、と何かがおかしいことを青峰がいう。

 青峰との自主練が、黒子は好きだった。
 圧倒的な差を自覚させられるけれど、それよりも本当にバスケットが大好きな彼と、こうじて倒れるまでバスケができることが嬉しい。好きなことを、憧れる人とする。例えそれが試合でないとしても、それだけで楽しかった。ボールを追って走って投げて走ってシュートして、また走る。身体はすぐに悲鳴をあげるし足はもつれて転ぶことだって少なくない。それでも、ただ無心にバスケができる、この時間が黒子は好きだった。
 そうして、それはきっと青峰も同じなのだ。そうでなければ、青峰と同等に渡り合えるわけでもない黒子との自主練を、続けてなどくれないだろう。バスケが好きだ!と全身が叫んでいる。そういう野郎が、二人揃って練習する。
 それだけで、日常に色が付く。

「でもいーんじゃねえ?テツって、ほんとーにバスケが好きで好きで仕方ねえって感じ」
「・・・・それは、青峰君だって、同じでしょう」
「あー、幸せだな!毎日バスケしてりゃいいなんてよ!」
「テスト1週間、前です、青峰君」

 なら自主練やめるか?青峰が歯並びの綺麗な白い歯を見せて笑う。「嫌です」つられて黒子も笑った。



「ふーん」

 圧勝した試合の後。あまりにもレベルが違いすぎてさすがの黒子でさえもそれほど呼吸は乱れなかった。となれば当然ながら、他の五人――――キセキの世代は息一つ乱れていない。異様な光景であった。何やら試合展開が気に食わなかったらしい赤司が青峰と緑間を相手に捲し立てている。その向こう側には、まるでお葬式かのように暗く重たい空気を纏った相手チームがいる。重たい、なんてものではない。あそこだけ、別の世界かのように、空気が淀んでいる。負け、の二文字が彼らを包む。否、負け、などという可愛らしい言葉ではない。圧倒的なまでの、敗北、だ。
 そんな彼らを見て、またか、と黒子がため息とついたのと、声が降ってきたのはほぼ同時だった。

「・・・・何か、用ですか、黄瀬君」
「負けるのは楽しくない、っての、わかるなあと思って」
「?」
「あ!ひど!さてはその顔完全に忘れてるっすね!俺との思い出!」

 俺あん時実は何当たり前なこと言ってんだこの人って思ったんスけど、黄瀬も黒子の視線を追ってコートの向こう側に見える影を見遣る。

「負けて、良い試合でした、って言われたってやっぱり楽しくないっスよねえ」
「だからお前が入部してきた時に言っておいただろう、勝つことが全てだって」
「うおわっ!?び、びっくりした!!」

 突如黒子の横から現れた赤司に、黄瀬が思わず変な声をあげた。黒子の存在感の無さ故に驚かされることは度々あるが、赤司はその真逆と言っていい。あまりにも存在感がありすぎて、どうも認識するのに一歩遅れる。彼だと認識する前にその圧倒的存在が目の前に現れる。驚くのも道理である。

「勝って初めて、全てが始まるんだ」

 喜びも楽しさも悔しさも怒りも全部。
 前半二つは納得行くとしても後半二つはいまいち理解ができない。黄瀬は、生半可な返事を返して、赤司の隣にひっそりと立つ黒子の表情を覗った。相変わらずほとんど無表情だけれど、最近その無表情の中に感情を読み取ることができるようになった。一応、自称黒子と一番仲が良い友達、黄瀬涼太である。黙って赤司の話を聞いていて、相槌さえも打たないけれど、不機嫌になったことだけはわかった。おそらく、赤司も気づいているのだろう、しばらく黄瀬に説教じみたことをつらつらと述べてから、最後に黒子を振り返る。

「何?」
「別に何も」
「そう」

 殺伐とした会話だった。なら早く帰るぞ、赤司はそれだけ言うとさっさと戻っていってしまった。何となく、扉の向こう側に赤が完全に消えるまで、見送る。

「・・・・ねえ黒子っち。もう一回聞くっスけど、」



「楽しくないですよ」





貴方が蓋をしろと言うので

無理矢理閉じた感情があります。




   


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