旧友に会えばどうしたって昔話に花が咲く。
 秋田で親善試合だったという紫原が、大量の日本酒や酒のつまみを両手に黒子の家を訪ねてきたのは、黄瀬が忘れ物を取りに来たと言ったあの日から、約一ヶ月後のことだった。バスケの話以外ではむしろ話の合う方、だった紫原と黒子の仲は、黒子が大学卒業を機にバスケを辞めてからも、一対一でこうして酒を酌み交わす程度には続いている。とても2人では消費できない量の日本酒に黒子が呆れ返るも、週末誰か呼べばいいじゃん、の一言で一蹴される。原稿を理由にささやかな反抗もついでに試みた黒子だったが、結局紫原の持ってきた魅力溢れる特産品たちを前には何の効果もない。黒ちんが好きないぶり筍もあるよ、と両の手にそれを渡されれば、部屋に招き入れるしかなかった。

「稲庭うどんも買ってきた。それ食べよ」
「いいですね、あれ好きです。ありがとうございます。温かいものでいいですか?」
「いいよー。あ、そだ、日本酒ひとつ、黄瀬ちんに頼まれてるやつなんだよね。差し入れで前に飲んで美味しかったんだって。取っといてー」
「どれです?」
「んー、酔楽天」

 すいらくてん、と音を拾いながら黒子はキッチンカウンターに並ぶ瓶から探していく。全部で6本も並んでいて、本当にこれをよく持って来たものだと呆れを通り越して感心した。曇りガラスのようなふんわりとした色合いの緑の瓶で視線を留める。初めて見る名前だった。「なるほど、こういう字を書くんですか。惹かれますね、酔楽天」黒子は呟きながら瓶を掴んで取り上げる。黄瀬ちん好きそうでしょ、と紫原が言い終わるよりも早く、パキリと何かが割れるような音がした。
 そう、黒子が封を切ったのである。

「黒ちん俺の話聞いてた?」
「聞いていましたが、何か?」
「聞いてて開けたんだ」
「だって魅力的なお酒があって、それを開けずにいられます?」

 しれっとした涼しい顔で黒子は手にした日本酒をとくりと少しお猪口に注ぐ。それを一口で飲み干して、「美味しい!」と感嘆の声をあげた。

「黒ちんって黄瀬ちんには強気だよね」
「だって、甘いでしょう、あの人」

 先程と変わらぬ涼しげな表情のまま、黒子はそう言ってのけ、今度は2つのガラスのコップに、なみなみと日本酒を注いでいく。透明なそれは、ゆらりと蛍光灯の元で光る。米どころの日本酒の味を覚えたのは、ここ数年だ。安いチェーン店で済ませていた学生の頃とは違い、社会人になってから格段に日本酒を飲む頻度があがった。加えて全国に遠征だ試合だと出かけていく紫原が、各地の酒を買って持ちこんでくることも、日本酒好きになった要因の一つだ。
 紫原は黒子からコップを受け取り、カチンと無言で杯を交わすと、喉の奥へすっと流し込んだ。「うん、飲みやすい」そう言って紫原も満足げに笑う。

「辛いの好きじゃない黄瀬ちんが好きそうな味」
「なんだかそういう評価をされると複雑な気分になります」
「なに、気に入ったの?」
「とても」

 うどんが茹で上がるにはまだ少し時間がかかる。調理する必要のないつまみの封をあけ、ローテーブルの上にそれを広げていく。

「というか、この間も秋田に行ってませんでした?」
「なんか今の監督、秋田の人なんだよね。うっかり俺もいるし、よく合宿とか親善試合とかしに行く。遠いから疲れるんだけど。でもこの間は室ちんと旅行がてら行っただけだよ」

 旅行は良いけど試合はやっぱ疲れる、と紫原は片頬を机につけるようにしなだれると、拗ねた子どものように言った。その道を選んだのは君でしょう、と黒子は同情もしない。選べることは幸せなのだ、と説教をしてやりたいところだが、この手の話題は大抵剣呑な空気になって終わることを学んでいるので、声に出すことはなかった。そういうところをひとつ取ってみても、大人になった。学生時代は、こういう話題で紫原を苛立たせた。今は声に出したところで紫原も昔のように突っ掛ってきたりはしないだろうが、盛り上がることもない。ならば話題に出すまでもない。こういう大人のなり方を望んでいたわけではないけれど、時間がそうさせている。不思議な気分のまま、黒子は空になったコップにさらに酒を注いだ。

「黄瀬ちんはやっぱ美味しいものたくさん知ってるよね、さすが芸能人。俺らとは住む世界が違うっていうか」
「そうですね。…でも、一番変わらないのも彼だと思います」
「黒ちんも変わらないけど」
「何言ってるんですか。僕は大分大人になりました」

 ちっちゃいままじゃん、と言った紫原の後頭部になかなか鋭い手刀が落ちる。痛い!と可愛げのない低い声で抗議が上がったが、黒子はそれを聞かなかったことにして、キッチンへと立ち上がる。
 カタカタと水蒸気で揺れる鍋の蓋を取り外すと、もうもうと白い湯気が立ち昇った。パラパラと普通のうどんよりも幾分か細い秋田名物のうどんを入れていく。タイマーをセットしながら、ぐるりと鍋を一混ぜする。
 せっかくなので葱くらい入れようと薬味を用意している間に、あっという間にタイマーが鳴った。温かいうどんの気分だったが、今からつゆを用意するのも億劫で、結局いつも通り冷たいうどんになった。

「あったかいのにするんじゃなかったっけ?」
「面倒になってやめました」
「ほら、そういうところ変わってない」
「まったく手伝おうとしないところが君だって変わっていませんよ」
「言われればやるよ」

 黒子の茹でたうどんをすすりながら、しばらくは2人とも他愛もない会話をした。新作のお菓子の話、紫原のチームメイトの話、黒子が引き受けた一風変わったコラムの話。だけれどいつも決まって気づけば話はバスケ関係になっていて、昔話に花を咲かせている。
 黄瀬ちんと何かあったの、と紫原がストレートに聞いてきたのは、昔話も粗方終わった頃だった。黒子は自分が手にしていたガラスのコップを、ほとんど反射で握りしめる。

「…何故そんなことを聞くんです」
「だって今日、黄瀬ちんの話題、最初以外ほぼ出てねーし」

 相談に乗るような器じゃないから話されても意味ないけどね、と紫原は昔と変わらぬ抑揚のない声で言った。
 昔から、あまり周囲に関心を示すことの無かった紫原に指摘されるとは、と黒子は苦笑した。それだけわかりやすかったということだろう。

「僕、黄瀬君のこと、好きじゃなかったんです」
「黒ちん、好き嫌いあんだ?」
「あったんです。僕も、認めたくなかったんですけど」

 自分よりも遅くバスケを始めた少年は、あっという間に憧れていたステージへと登っていった。何も思わないわけがなかったのだ。
 今思えば、それが多分、最初の感情だった。

「でも、黄瀬君は慕ってくれた。それは純粋に嬉しかったですし、君たちより随分親しみやすかったことも事実です。色んな感情が、あったんですけど、全部小分けにして仕舞いました」

 青峰や赤司とは違った、黄瀬にだけある複雑な感情たち。多感だった当時に小分けした感情は、物によっては変わらずずっと仕舞い込まれたままなのだ。
 黒子は緑間が苦手だった。あんまりにも真っ直ぐで正しいから。誰が見ても白黒はっきりするような、そういう動かしがたい確証を持って判断を下す彼に、入り込む隙間などなかったからだ。ただ、それは自分の主観的な気持ちの話であって、理解できないわけじゃない。それはある意味で、絶対的に実力や能力で優劣を決める紫原とて同じことだった。彼らは正しい。間違ってはいない。ただ、それが正義となるかはまた別の話だった。
 対して黄瀬は、自分のテリトリー内に入れたものに全幅の信頼を寄せる。
 キセキの世代は総じて自信の価値観からぶれることがなく、強い。何を拠り所にしているか、それは個々に異なるけれど、絶対に揺らぐことのない芯があることに変わりは無かった。
 黄瀬が何を基準に内側と外側を決めているのか、黒子にはわからない。それは昔も今も、である。
 中三の夏、彼らと袂を分かった時は、嫌われようとも構わないと思っていた。勝つだけじゃ意味がない、と、それを彼らに気付かせられたなら、それで良かったからだ。目指す先が明白だったから、しんどいことはあっても怖くはなかった。
 黒子はゆっくりと瞼を閉じる。支えるもの―――例えばバスケとかそういうものがない状態で、果たしてもう一度立ち向かえるのかと問われれば、応と頷くことは出来ない。

「何かよくわかんねーけど、黄瀬ちんだって愚かではないから、どうにかなんじゃないの」
「…どうにか」
「そう。どうにか。何があったか知んねーけど。だって無かったことにはできないんでしょ」
「出来ないでしょうね」

 正しくは、出来るだろうが、結局黄瀬との間に溝が出来たままになるに違いない。
 ほんとにずるいよね。
 あれからずっと黄瀬の言葉がぐるぐると回っている。
 そう、ずるいのだ。そんなことは黒子自身がよくわかっている。都合の悪いことから逃げているのは自覚済みだ。

「〜〜そもそもっ、」
「お、なに?」
「そもそも黄瀬君のせいでぐだぐだ悩んでるこの状況が気に食わないんですけど!」
「そーだろうねー俺もやだー」
「とりあえず本人に会って考えることにします!むかつく!」

 黒子は残っていた黄瀬おすすめだという日本酒を、瓶を逆さまにしてすっかり空になるまでコップに注ぎ続ける。紫原と合わせて丁度お互いのコップ一杯分ずつだ。ちゃちゃっと飲み干してください!黒子は威勢よくそう言い放つと、ぐいと自分の分を喉の奥へ流し込んだ。もったいなー、という紫原も、早々に空にしている。

「俺、黄瀬ちんよりは黒ちんの味方だから、まあ頑張りなよ」
「援護射撃頼みます」
「そういうのはしない」

 出会ってから、間もなく10年になる。
 大人になって変わったものと、変わらないものがある。
 終わらせてよ、とわざわざ言いに来るぐらいだから、きっと変わっていないのだろう。それが黒子にとって吉と出るか凶と出るか、踏み出してみなければわからない。
 黒子自身も名前をつけられなかった感情がある。今でも、どう分類すべきか悩んでいる。
 だから、簡単なメモ程度でいい。
 当時自分が感じていたことを、願わくば彼も覚えていますように。





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黄瀬くんとの関係が動き始めたので紫原くんへ援護射撃をお願いする形になった黒子くんでした。

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