「お前さ、それどういうつもりなわけ」 部活を終えて、むっとした熱気を孕んだ部室で各々帰り支度をしていた。日も大分伸び、いよいよ夏本番が近付いている。秀徳高校の体育館も、自ずと熱気に包まれていた。本日のバスケ部の練習も、いつになく気合が立ち込めていて、勝利の二文字に向けて団結しつつあるのだと手に取るようにわかった。どこか後ろ髪を引かれるような、名残惜しさを残して練習を終え、身体は疲労で重たくなっているというのに、明日が待ちきれないかのように、今日を終えるべく皆一様に素早く着替えを済ませると、次々と部室を出て行った。 そうして部室に残った部員が片手で足りる頃になって、突然、高尾は斜め後ろにいた宮地から声をかけられたのだった。 「それ・・・・って、どれ?」 宮地が言う指示語が差す内容に心当たりがない高尾は、唐突に投げられた質問に、自分も疑問符をつけて返すより他無かった。今日は寄るところがある、という緑間が、部室から出ていこうとする。「またねー、真ちゃん」右手を挙げて挨拶すると、もう一度宮地が「それだよ。何なんだよ気持ち悪い」と吐き捨てるように言った。 「・・・・真ちゃん?」 「そうだよ」 それ、とは高尾が緑間を「真ちゃん」と呼ぶことを指しているらしい。高尾はTシャツを脱ぎ捨て、それから一拍空けて「どういうつもりって言われても」首を傾げて淡々と言う。 「あだ名?」 「そんなこたわかってんだよ、そうやって呼ぶ理由聞いてんだよ」 「えー、俺と真ちゃんの仲だし」 「・・・・」 「えっ顔怖すぎ!俺たち仲良しなんですから、別に不思議じゃないと思うんですけど?」 「轢くぞテメエ」 「理不尽!」 理由を問われたので答えれば、何とも恐ろしい返答が返ってきた。 先帰るから鍵頼んだぞ、と主将の大坪が帰っていき、気が付けば部室に残っているのは二人だけだ。人のいない部室は急速に熱気を放出していき、涼しくなっている。 理不尽な言葉を言ったきり、黙ってしまった宮地に、このままお先しますと帰るのは何だか躊躇われて、宮地が片づけ終わるのを待つ羽目になる。手持ち無沙汰な両手を埋めるように腕組みをしながらぶらぶらとしていると、帰り支度を終えたらしい宮地がいつの間にか扉の前に佇んでいた。「待ってたのにひどい!」と高尾は小走りに駆け寄っていく。宮地が部室の扉を開けると、すっかり夜の温度になった風が吹き込んできた。数十分前の熱気が嘘のようだ。気温だけの話ではない、自分の中の熱が、ほとんど消えかけているのを感じながら、高尾は部室を後にする。人というのはどうにも、その場の雰囲気に呑まれやすい生き物らしい。がちゃり、と扉を鎖錠する機械的な音が響き、宮地がその鍵を抜き去って高尾に投げて寄越した。誰が来ても開けられるようにと部員間で決めた隠し場所へ、それを入れる。しゃがみこんだ高尾に、声が降ってきた。 「・・・・お前、緑間のこと好きじゃねーだろ」 ブリキの缶に鍵を投げ入れたガチャン!という大きな音に重なったけれど、確かに宮地はそう言った。え?何ですか聞き取れなかったです、ととぼけることも可能だったけれど、背後に立つ宮地の雰囲気に気圧されて、そう返すことは難しい。少しだけ立ち上がるのを遅らせてみたりもしたけれど、結局そんな行為は何の意味も為さなかった。ため息を噛み殺してとにもかくにも帰路につく。宮地は返答を急いてきたりはしなかった。校門を出た辺りで、「別に嫌いでもないんですけど」と微妙に的外れな言葉で返事をする。 「っていうか、何でそんなこと思ったんすか。俺、顔に出てます?」 「まあ、そうだな。なんつーか、ライバル心むき出しみたいな。・・・・でも、」 宮地は言い淀んだ。高尾を気遣って言葉にするのを躊躇っているというよりも、何か言葉を選んでいるようだった。んー、と呟いて、「ここ最近あんま無いから」と真面目な顔になった。 「・・・・だから、それは仲良くなったからで、」 「今更だな。ちげーだろ、なんっつーかさあ、こう、無理矢理押し込めたみたいなそういう感じっていうか・・・・」 妙なところで鋭い男だ、と高尾は感心した。些細な違和感を感じ取ったのだろう。 今度は高尾が言葉を選ぶ番だった。今ここで間違えた発言をするわけにはいかない。夏のインターハイへ向けて士気が高まりつつあるチームに不和があると思わせてはいけないのだ。持ち得る語彙を思い巡らせて、高尾はゆっくりと口を開く。 「・・・・宮地さんたちは、まだキセキの世代が馬鹿みたいに強くなる前しか知らないかもしれないっすけど。俺たちは不幸なことにその世代と同じところに生まれちゃったわけでして。まあ、俺も中学ん時、キセキの世代には叩きのめされたりしたクチなんですよね。もうバスケなんてやめてやるーって思わなくもなかったけど、何だかんだ続けるつもりになって、まあ、それがどういう心境から来たものかって言うと、あいつらを負かしたいっていう単純な気持ちからで。あいつらと同学年で高校でもバスケを続ける奴らなんて、精神的に折れるか、俺みたいに思うかの二択だと思います。だからまあ、そうやってぜってーあいつを負かしてやるって思って入学したら、同じチームにいたわけで」 あいつら、が最後だけ、あいつ、になったことに、高尾は気づいていない。宮地の顔は見ずに、早口に捲し立てた。一年にしては落ち着いていて、余裕ない姿などあまり見せない高尾だが、いつになく追い詰められたような、そんな真剣な顔をしている。余計な言葉は挟まずに、宮地は黙って話を聞いた。 「そりゃ同じチームだし協力できないほど俺も子どもじゃないし。あいつの能力が優れていることはわかってるんで、それを生かしたプレーをすることに反論なんてないんですけど。ただ、油断するとどうしても、」 敵だと認識しちゃうっていうか。 そう言った高尾の目は、確かに獲物を狩る獣のようだった。こうして本人不在の時ですら、その湧き上がってくる感情をコントロールすることは、中々至難の業なのだ。ずっと緑間を倒すべき相手として闘争心を燃やし続けていた。まだ、チームメイトになって数か月では、どうしたってチームメイトとして認識することに違和感があった。 だから、と高尾は続ける。 「緑間は俺らのエース様で、大切な仲間なんですよーってことを忘れないようにするためのおまじないみたいなもん、です。・・・・っていうのじゃ、だめっすかね」 そこで初めて高尾は宮地を振り返った。少しだけ声色に不安が入り混じってしまったのは、これでも秀徳高校バスケ部の一員として認めたままでいてくれるだろうか、という懸念があるからだ。 先程、緑間のこと好きじゃねーだろ、と宮地は言った。 それは、多分、間違いなのだ。別に高尾は緑間に対して、好きだとか嫌いだとか、そういう感情を抱いたことはない。大体そんな風に思っていたら、わざわざあんな面倒なリヤカーを自転車で引くなどということをするはずもなかった。 よくわからない、と高尾も自分の感情を整理することは出来なかった。 いっそ憎んでしまいそうになるほど闘志を燃やし続けた相手であることは間違いないけれど、チームメイトとなることを受け入れられないわけでもない。刷り込みのように、緑間に対して敵対心が在る、という事実だけが唯一はっきりと自覚できるものだった。 これが時間をかけて心に癒着するように在り続けたものならば、そこに上書きできる何かが欲しかった。切り替えることも取り消すことも難しいだろうと判断し、それならば塗りつぶすくらいしか方法はないと思ったのだ。 だから、形から入ってみることにした。 真ちゃん、と親しげに呼んだ分だけ、脳が勝手に勘違いをしてくれないだろうか、という希望を抱いて。 「・・・・お前ってさあ、案外不器用なの?」 「えー、今の話聞いて聞くとこそこなんすか!?」 話は済んだとばかりに歩調を早めた宮地に、離されまいと高尾も足早になる。横に並んで宮地を見上げると、存外満足そうに微笑んでいた。 「いいんじゃねーの。そんでどうせすぐ、当たり前になんだろ」 「なるといいなー」 誰にも言わないでくださいよ、高尾が念を押す。アホか言わねーよ、と宮地が吹き出した。 歩調を早めたせいなのか、いつの間にか引いていた汗がまた、じんわりとシャツの下に現れている。 戻ってきた熱に安堵して、高尾はまっすぐ、宮地と共に駅を目指した。 |