体育館は訪れた冬の気配のせいで、妙に乾いていて、吐く息も白い。何もこんなに早朝から集まらなくたっていいだろう、と文句の一つも言いたいところだが、午後からはバレー部が練習試合を組んでいるというので、間違っても部活時間が押すわけにはいかなかった。
 秀徳高校との合同練習回数も、片手では足りないくらいになってきた。案外キャプテン同士の気も合うらしく、ここ最近、何かと理由をつけては合同練習が開催される。人数もまだ少ない誠凛高校バスケ部に取っては有難い話であるし、やはり合同練習ともなれば気合の入り方も違う。基礎練の時点で体力の半分を消耗した黒子が、こっそりと体育館の壁に背を預けて息を整えていたら、ふいに高尾がやってきた。誰とでもすぐに打ち解ける性格と、黒子の存在をすぐに認識できる目という武器の二つがあってなのか、高尾は頻繁に黒子にコンタクトを取るようになった。とはいえ、黒子にとって、高尾はそれなりに親近感を覚える相手となったわけだが、人懐っこい高尾にとっては他と変わりないのかもしれなかった。その辺りについては、黒子の知る由もない。
 はい、と薄められたアクエリアス入りのペットボトルを高尾から渡され、黒子はそれを素直に頂戴した。乾いた喉を滑り落ちる。十分に補給したところで、隣に並び立つ高尾を見れば、随分と奇妙な表情で、コートを見つめていた。コート上では簡単なパス練習が行われている。適当に分けられた二つの班のうちの片一方が、手際よくパス回しをしているところだ。高尾と黒子はもう一方の班なので、今は小休止中だった。コートをくるくるとボールが回っていく。高尾の視線はボールにつられてなどいなかった。ただ一人をじっと食い入るように見つめている。色んな感情が入り混じったような、何とも言い難い表情だった。

「・・・・ん?なに?」

 黒子が数秒横顔を盗み見たところで、すぐに高尾はその視線に気づき、ぱ、と振り返る。咄嗟のことで見ていたことを隠すことが出来ずに、黒子は一瞬怯んだように強張ったが、すぐに観念して、「いえ、なんだかものすごく不思議な表情で緑間君を見ていたものですから」と正直に告げた。

「黒子はさー、黄瀬綺麗だなーとか思ったこと、ない?」
「・・・・はっ?」

 あまりにも突拍子もない質問に、黒子は裏返った声を出す。質問の意図を測りかねて、返答出来ずにいる黒子に、高尾は困ったような小さい笑みを浮かべるばかりである。

「黄瀬君、ですか・・・・はあ、まあ、テレビや雑誌で見かけると、たまに思いますけど」

 それが何か、と表情で訴えると、高尾は「だよなあー」と心なしか戸惑いを含んだような声で言う。視線は相変わらず自分の相棒を追いかけてばかりで、黒子はまさかそんなと自分の思考を否定する。仮に自分の仮説が正しいとして、高尾がそんなことを自分に打ち明けるとも思えない。黒子は気づきかけた質問の裏側の真意に気付かないフリをして、首を傾げて見せた。

「いくら顔の整った奴がいても、さすがに野郎相手に綺麗なんて思うことねえよなあ」
「・・・・一応、僕は今、たまに思いますけどって答えましたけど」
「でもさ、ゲイノウジン、っていうフィルターありきだろ?バスケしてる黄瀬とか、例えば一緒に飲み食いしてる時の黄瀬とかには、思わないってことっしょ?」
「まあ、そうですね。まず黄瀬君の顔をいちいち見てないですし」
「前から思ってたけど黒子と黄瀬ってほんとに仲良いの?」
「普通です」

 確かに超綺麗なCMあったよな、と高尾は何を思い出しているのか、可笑しそうに笑う。バスケをしている時と違って、済ました顔の黄瀬涼太を思い出しているのだろうか。黒子は曖昧にそれを肯定した。
 す、と伸びた腕から、綺麗にパスが放たれる。それは寸分の狂いもなく、数メートル先の相手に届く。そのフォームはまるでそれが世界が認めた正解であるかのように美しい。完璧なのだよ、と自負するだけのことはある。けれど、それだけだった。黒子が彼に対して思う感情など。世間的に見れば美形の部類に入るのだろうけれど。個人的にそのような感想を抱いたことなどない。
 隣の男は、コートで綺麗な動きをする彼を、そういうフォームだとか手の動きだとか、客観的に見た要素以外で、美しいとでも思うのだろうか。

「じゃあさ、」

 ふいに高尾の声が変わった。思いついた、という風を装っているけれど、それはまるで確信めいた自信の溢れる声だった。嫌な予感がする、と黒子が思った時にはもう遅い。高尾は黒子が逃げ出すことの出来ないよう、真っ直ぐに目を見て言った。



「青峰は?」



 ありません、と言いたいのに、言葉は形を成さなかった。変に喉の奥から空気が微かに漏れただけだ。してやったり!と高尾は表情をみるみるうちに変えていく。気づかなかったフリなどしなければよかった、と黒子は本日二度目となる後悔に苛まれた。

「・・・・でも僕のそれは、君のとは違うと思いますよ」

 苦し紛れに一言反撃する。

「えー?一緒だろー。絶対黒子はわかってくれると思ったんだよなー」
「絶対!違います!」

 黒子が声を荒げると、すぐにピイッ、と交代を告げるホイッスルが鳴った。言ってやりたいことは五万とあるけれど、ひとまずお預けだ。妙に上機嫌になった高尾はスキップでもしそうな勢いでコートへかけていく。自分の相棒と一言二言交わすと、すぐにポジションにつく。黒子は重い腰をあげて、のろのろとそれに続いた。監督の甲高い声が背中から急かしてくるけれど、急ぐ気にはなれない。
 掘り起こさないでおいてやろうという親切心が裏目に出た。とんだとばっちりだ。ピイッ、開始を告げるホイッスルと同時に、力任せに高尾へとパスをする。高尾は楽しそうにそのボールを簡単に受け取ると、もう次の人へくるりと向き直っている。

 結局のところ、高尾は自分の感情に名前をつける気などないのだろう。それに名をつけ、自覚をしたところで良い方に転がるはずもないのだ。妙な罪悪感だけをズルズルと引きずるくらいなら、いっそ共犯者を見つけてしまった方が楽だとでも思っているに違いない。ここ最近高尾が自分に絡んでくると思っていたらこういうことだったのか、と思い至ってため息が出た。
 黒子にそんなつもりなど毛頭なかった。自分が持つ感情は、恐らく似て非なるものであることは、よくわかっている。

 そんなに綺麗な感情だけでは済まされないのだ、黒子がずっと隠してきたものは。

 「・・・・こちら側に来るのなら止めませんけど、」



 君にはまだ覚悟が足りないでしょうね。





素人さん玄人さん






 


私は黒子を何だと思ってるんだっていう。

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