受験を終えて、各々が進学の準備に明け暮れていた3月、突然黄瀬からメールが来た。 進学するとはいえども、神奈川から都内の大学は、十分通学圏内で、一人暮らしを始めるわけでもない笠松は、暇を持て余していた。後輩達から卒業式の日に、時間あれば絶対部活に顔出してくださいよ!とは言われていたものの、あそこはもう自分の立つべき場所ではないことくらい、よく分かっている。現2年の元、体勢を立て直したかつての自分のチームに顔を出す気はなかった。少なくとも今は。同じ3年の森山や小堀と連絡を取っていないわけではなかったが、毎日一緒にいるわけでもない。大学入学までのこの空白の時間を、世の中の高校3年生は一体どうやって埋めているのだろう、と疑問に思う。そうして何をするわけでもなく、何となく雑誌をめくりながら家で寝転んでいたところに、黄瀬からのメールが入った。『どうせ暇してんでしょ!』という失礼極まりないタイトルに、『バスケしましょう』という本文。その下には集合場所と時間だけ。随分と勝手だなと思いつつも、結局すぐに身支度を終え、30分後には家を出ていた。暇であることは間違いなかったし、バスケに誘われて笠松が動かないはずがない。 笠松が指定された場所に着いたのは、集合時間の20分前だった。誰もいないだろうと思っていた公園内に、見知った顔を見つけて驚く。誠凛高校2年、火神大我と黒子テツヤだった。いつからいたのか、ふたりともウォームアップがてら1on1をしている。傍から見れば、火神が黒子の練習に付き合っているようにしか見えないが、あの二人はあれでいいのだろう。声をかけるべきかどうか逡巡していると、黒子が気付いたようで、動きを止めた。黒子の視線を追うように、火神も振り返る。何度か瞬きをして、二人揃ってぺこりと一礼した。こういうところでも息の合ったコンビである。 「お久しぶりです、大学合格おめでとうございます」 「お、なんだ知ってたのか。どうも」 「黄瀬君が連絡くれたので、何故か」 「・・・・そうか。お前らも黄瀬に呼ばれて来たのか?」 「はい、というか、まあ僕らが誘ったに近いんですけど。笠松先輩にも声かけていたんですね」 黒子は手にしていたバスケットボールをベンチに置くと、汗を拭うように肩に頬を押し付けた。ボールの横に、笠松は腰かける。隣いいっすか、と言う火神は涼しい顔をしていて、黒子と体力の差が如実に現れていた。笠松の視線に気づいた火神が、「いや、これでも体力ついた方なんすよ、あいつ」と肩を竦める。案外、察しの良い男だった。 「悪いな、なんか」 「はい?何がです?」 「黄瀬とバスケするつもりだったんだろう、俺まで来ちまって」 「ああ、いや別に。バスケが出来れば僕らは誰でも良かったんで」 「おい黒子」 「だって本当のことでしょう、火神君が練習だけじゃ物足りないから誰でもいいから相手しろー、って言ったんじゃないですか。誠凛の先輩方は用事があるみたいでしたし、降旗君たちも買い物に行くって言ってましたし」 「で、黒子がついてきて、黄瀬が呼ばれたと」 「・・・・まあ、そんな感じですかね」 見た目に反して、はっきりと物を言う黒子にしては、歯切れの悪い返答だった。二つ年上の笠松に対して控えめになるのは当然なのかもしれないが、それでもどこか濁されたように感じる物言いだった。火神はいつもと変わらない様子で、ペットボトルから水分を補給している。「何か、」言いたいことでもあるのか、と続けようとしたところで、「待たせたっスー!」と聞きなれた声がした。芝の上を走ってくる金髪の男は、大きなボストンバックに制服姿だった。仕事でもあったのかもしれない。 「来るの早くないっスか?黒子っちたち、部活終わり?」 「はい、黄瀬君にメールした時点で既に電車に乗ってたので」 「あ、なるほど。笠松先輩お久しぶりっス、元気でした?」 「おう、受験勉強地獄からも解放されたしな」 「とか言って先輩別にそんなに勉強してないでしょ」 「ざけんな殴るぞ、したっつの」 笠松が右手で拳を握れば、きゃー!などとわざとらしく声を出して、黄瀬は笠松から離れていく。コートに向かう黄瀬を、あ!待てよ!と一体何に対抗しているのか、火神が追いかけていく。元気ですねえ、黒子が呆れ気味に言った。 「つか黄瀬、おめーちゃんとやってんだろうな」 「ちゃんとって何すか?あ、わかった俺が大人しくしてるか気にしてんでしょ。もー笠松先輩心配しすぎ!やってますよー、仲良く!」 この間も練習終わりに飯行ってー、と黄瀬は指折り部員の名を挙げていく。入部した頃の一癖も二癖もある黄瀬を思い出して、問題なく部活動が行われているのかどうか、多少危惧していたものの、どうやらそれは杞憂だったようだ。笠松は、「ならいいけど」と安堵の表情になった。バスケやるか!と立ち上がって、先にコートに入っていた黄瀬と火神の後を追う。黒子は、と後ろを振り返ると、少し難しい顔をして黄瀬を睨むようにして見ていた。「・・・・黒子?」笠松が疑問の色を含んだ声で名前を呼ぶ。その声に黒子は反応すると、色素の薄い髪を掻き上げて、ゆっくりと立ち上がった。「何でもないです」そう言う表情は、ちっとも何でもないようには見えなかった。 予想はしていたが、気が付けば黄瀬と火神が本気モードに入っていて、黒子と笠松はどちらからともなくコートを出た。すぐにそれに気づいた黄瀬が「何やってんすか二人とも!」と声を荒げたけれど、戻るつもりなど毛頭ない。僕らのことならお気になさらず気の済むまでどうぞ、と黒子が言い、さっさと外のベンチに腰を落ち着けた。タオルを頭から被る彼は、相当疲弊しているようだった。そう言えば部活をやってきたと言っていた。体力の底が知れないような火神とは違い、黒子は部活で既に大分体力を消耗していたようで、それを隠すこともなく、隣の木に体重を預けて長く息を吐く。笠松はというと、続けられないほど疲労していたわけではなかったが、受験勉強中に走り込みはしていたもののさすがに体力は落ちていたようで、黒子に合わせてありがたく休ませてもらうことにした。大体、獲物を狩る猛獣のような目をした二人相手にやってなどいられない。 「・・・・笠松先輩は、好きに戻ってくださいね」 「いや、あれ終わるまでは行けねえだろ・・・・」 「相当かかりますよ」 「・・・・お前いつもよくこんなの相手にしてられたな、しかも五人も」 「よく言われます。お褒めいただき光栄です」 「褒めてねえ」 黄瀬一人だって大変だった、と笠松が言えば、高尾君も同じことを言ってました、と返ってくる。高尾和成の相棒、緑間真太郎を思い浮かべて、あれは確かに一人じゃなきゃやってらんねえな、と苦笑する。黄瀬も大概扱いづらい男だったが、ルールを刷り込んでしまえば楽だった。あの異様なまでにこだわりを持つ男は、それ以上に扱いが難しそうだ。 「・・・・貴方がそうやって黄瀬君を飼いならしたせいで面倒なことになっているんですけどね」 タオルの下から零れ出てきた言葉に、考え事を口にしてしまったのかと、笠松は慌てて口元を抑えた。今更そんなことをしても意味などないのだけれど、条件反射だ。 「声には出ていないです。顔に出てました」 「・・・・」 「人の心なんて読めないですよ。少し予測するのが人より長けているだけです。バスケのスタイル上どうしても、・・・・考えちゃうんですよ。読まれたくないのなら、せめてもう少し隠してください、黄瀬君ほど上手くやれとは言わないので」 「お前さ、何か・・・・、言いたいことでもあんのかよ」 「・・・・顔に出ていましたか」 「モロな。隠すつもりねえだろ」 「まあ、気づいてくれたらラッキー、くらいには思ってました」 嘘つけ!と笠松が突っ込む。黒子が整わない息のまま、あはは、と笑う。表情は無表情のままである。 「ここのところ、といっても一か月くらいですかね、ずっと黄瀬君からバスケしようってメールが来ていて」 それは多分火神君も同じだと思います。ぽつりぽつりと言う黒子の声は、まだ幾らか迷っているようだった。言いたいことがあるという割に、それを他人に、笠松に打ち明けるべきなのかどうか迷っているのだろう。声がいつもよりも慎重だった。整っていない息を調整するように、肩が呼吸をするたび上下に動く。 「楽しくないんじゃないですかね、今。彼は絶対にそんなこと言いませんけど」 「・・・・楽しくないって何が」 「さあ。海常バスケ部が、じゃないですか」 杞憂ではなかったのか、と笠松はため息をつく。 帝光中学キセキの世代。 彼ら五人には共通して欠けているものがあった。それをいちいち指摘してやるつもりなどないが、チームである以上、放っておくわけにもいかなかった。黒子っちはね、多分青峰っちを取り戻したいんスよ。黄瀬がいつだったか、笠松にそれを言った。黄瀬から青峰の話を聞いたときには、どんだけ傲慢でどんだけ馬鹿なんだ今すぐに殴りてえ、と思ったものだ。それでも別に、笠松にとって青峰はわざわざそれを指摘してやるほどの仲でもなかったし、入り込む余地もないと判断して、大して興味もわかずに聞き流した。と同時に、それはお前もそうだろう、と、殊自分のことに関しては大分疎い男に、呆れもした。多分、黒子が立ち向かっていかなければならないと思っていた相手は、青峰だけじゃなかった。キセキの世代皆そうであったはずだ。黒子に確認したことはないけれど、それはほとんど確信だった。黄瀬を変えたのは海常高校バスケ部という環境も大きかったはずだが、それと同じくらい、黒子テツヤ、ひいては誠凛高校も影響しているはずだ。 なるほどだから黒子と火神なのか、と笠松は納得する。 「貴方一体どんな方法であれを手懐けたんですか?」 「・・・・棘のある言い方だな、別に特別なことなんてしてねえよ。ただ海常高校のやり方を教えただけだ」 「簡単に言いますけどね、僕は今まで黄瀬君ほど他人を入らせない人を見たことがないです。それに、他人に対する線引きがはっきりしすぎていて、いっそ清々しいくらいです。・・・・まあ、その分認めたら惜しみなく突然全部くれるんで、戸惑いますけど」 黄瀬の黒子への態度を思い出して、笠松は少し同情した。入部して間もない頃、普段笠松たちが見てきた黄瀬と、黒子や青峰に対する態度が異なり、驚いたりもした。いつの間にか、自分もそちら側に回っていたようで、すっかり忘れていたけれど。 これは憶測ですが、と前置きをし、息も大分整った黒子は、頭から被っていたタオルを外すと、真っ直ぐに黄瀬を見た。相変わらず常人の動きとは思えないようなスピードやジャンプ力で、攻防が繰り広げられている。 「多分、きちんと認めていないんじゃないですか」 問いかけなのか、それともただ呟いただけなのか、わからなかった。笠松は返事をするわけでもなく、同じように黄瀬を追う。あんな風に綺麗にコート上を駆け抜ける男と、ついこの間まで同じチームで試合をしていたことが、嘘みたいに思えた。 「・・・・さっきも言ったけどな、別に俺は自分のやり方を教えたわけでもねえし、ただ海常高校でやっていくのに必要なことを教えただけだ。黄瀬だったからじゃねえ、1年全員に教えた」 「そうなんでしょうね、で、多分黄瀬君もそれをわかっているつもりなんだとは思います。でも多分、まだ、貴方たちと他の海常の皆さんとは線引きしてるんでしょう。いや、下手したら貴方だけなんでしょうかね。そこは、わからないですけど。」 「俺は別にそんなにあいつに影響してねえよ」 「・・・・本気で言ってるんだとしたら、僕、笠松先輩への認識が大分変りますが」 「はあ」 笠松は先程の黄瀬の言葉を思い出していた。チームメイトを疑うなんて!だとかそんな綺麗事で信じているわけではないけれど、それと似たような感覚だった。何かあれば言う、一人で考えない、先輩には頼る。全部きちんと教えたはずだ。そして黄瀬は何も言ってこない。ならば自分が口を出すべきではない。現に、少なくとも黄瀬は自分には何も言わずに笑っている。そんなことを考えながら黄瀬を追う笠松に、黒子が痺れを切らしたように言った。 「黄瀬君のそれは、処世術のようなものでしょう」 相変わらず他人の考え事を当てるのが上手い男である。驚くのも億劫で、笠松は視線さえ動かさずに返事をする。 「処世術?」 「よく言う芸能界で身に付けたなんとか、なのか、それとももっとずっと昔から、あの容貌故に身に付けたものなのかは知りませんし、知りたくもないですが。黄瀬君は、」 一番無難な世の中の渡り方を知ってるじゃないですか、と続けようとして、黒子は口を噤んだ。眉間に皺を寄せて、怪訝そうな顔をする笠松を一瞥し、再び視線をコート内の黄色へと向ける。 「それで?お前は俺にどうにかしろって言うのか?」 「そこまでは言いませんが、こっそり軌道修正くらいはしてくださると助かります。僕は火神君ではないので体力に限界があります」 それでもこうして相手をしているのだから、なんだかんだで黒子も気にかけているのかもしれなかった。いくら中学からの友人とはいえ、中学時代楽しいことばかりではなかっただろうに、変なところで律儀である。 ガン!と凄まじい音がして、黄瀬がダンクを決めた。嬉しそうに彼が拳を突き上げたところで、どうやら勝負がついたらしい。せんぱーい見てました俺の華麗なるダンク!と黄瀬が走り寄ってくるのが見える。随分と楽しそうだ。太陽光に反射してきらきら光る。ムカつくほどに光が似合う。 「まあ、面倒かけるかもしんねーけど、大丈夫だろ」 「・・・・いなくなるから他人事だと思ってません?」 「思ってねえよ。安心しろ、お前が言うところの、黄瀬を手懐けた俺がキャプテンやってた海常高校バスケ部だぜ?あんなお子様が一人駄々こねたところで何も変わりゃしねえよ」 精神論を説くのは好きじゃない。非現実的な話をするよりも、体で覚えた方がずっと良い。黄瀬なんかよりもずっと長く海常高校バスケ部でやってきた奴らがたくさんいるのだ。何も心配などしていない。 「大体、おめーは他人の心配してる暇ねえだろが。前だけ見てろ、相棒に置いてかれるぞ」 何の話だ?さすがの火神も随分と疲れた様子で戻ってくる。後ろで黄瀬が手招きをしながら笠松を呼ぶ。 「あー、・・・・黄瀬君が笠松先輩に懐いた理由がよくわかった気がします」 「ハア?」 ほんの数か月対峙していないだけなのに、目の前の男の目まぐるしい成長には、本当に目を見張る。いっそ敬意さえ覚える始末だ。そういう類稀なる才能の持ち主が、自分に全力で向かってくることに対する快感は、多分一度味わった者にしかわからない。いつかもっと上へ行く男なのだ、この男は。自分もその時に備えて、最大限の努力をしなければならない。先へ行って、待つつもりだ。 だから、 「ちっせえことで躓いてんじゃねえぞ、黄瀬!」 |
笠松先輩が3年であることの意味を考えてみた。 たとえば高尾のように、隣にずっといるわけではないので、笠松は黄瀬に環境を与えていなくなるのだと思います。 でも黄瀬が気づくのはもう少し経ってから。 黒子は笠松がいなくなることを懸念しているわけですけど、でも黄瀬を助けてあげたりはしない。黒子はそこまで優しくない。 先輩がいなくなって2年生とぶつかるみたいなことを呟いていたまりちゃんに捧げます。 Happy Birthday!ふじみと逆の日!(笑) |