窓越しに切り取った空が、作り物のように青い。 夏の空特有の、どっしりと質量のありそうな、けれど真っ白でふわふわしていそうな、そんな雲がいくつも浮かんでいる。ゆっくりとした速度でそれは流れていった。こんなにも晴れているけれど、きっともうじき雨が降るのだろう。夏の夕立は、幼い頃から不思議だった。 「はい、テツくん、これでよかった?」 昨日食べたアイスキャンディーみたいな、涼やかで甘い声が降ってくる。黒子がぼんやりと窓の外に向けていた目を、一度ゆっくり瞬きをしてから上げた。向かいの席に腰掛けようとする桃井と目が合う。どうぞ、と差し出されたアイスコーヒーを受け取る。掌にじんわりと伝わる水滴とコップの温度が心地よい。店内はそれほど冷房が効いていない。ここ最近、ずっと節電が謳われている。そのせいもあってか、店内の温度は適度な生ぬるさだった。暑いと文句を言う客も現れそうではあるけれど、除湿はしてあるからなのか、さほど不快ではない。冷房の風が肌を撫でるのが嫌いな黒子にとって、丁度良かった。 「ありがとうございます。青峰くんは?」 「なんかね、お腹空いたんだって。フードメニューから選んでる。信じられないよねーほんとあの胃袋どうなってんだか」 「変わりませんね」 「変わらないどころか、図体でかくなったから食べる量は増えてるよ!」 黒子たちは高校3年生になった。高校最後の夏が始まると同時に、受験生としてのスタートも切った。どうにも進級したばかりの頃は、受験生だという自覚はなかった。けれどどういうわけか、暑い夏休みが始まると、途端に焦るのだ。何かが無言の圧力をかけてくる。 「テツくん次の駿台受ける?」 「僕は私立に絞ることにしたので、駿台ではなく河合にしました」 「あー、文系は河合って言うもんねえ、本当かどうかわかんないけど」 私どっちも受けるんだよねえ、と桃井はため息をつき、目を伏せる。何故勉強はこんなにも人を憂鬱にさせるのだろう。黒子とて、勉強が心底嫌いなわけではないけれど、少なくとも晴れやかな気分にはならない。「・・・・青峰くんは決まったんですか」あと少しすれば本人も来るはずだけれど、どうしてか黒子は桃井にそれを尋ねた。自分でもよくわからない。桃井は少しの間考える仕草をして見せ、それから「決まってないはず」と不機嫌そうに言う。 「バスケが出来ればいいんだって」 「でしょうね」 「どうせなら強いところに行きたいとか、そういうの無いのって聞いたら、俺が行けばどこでも強くなんだろ、とか言ってさ!そういう話じゃなくてーって感じ!」 「まあ、青峰君らしいといえばらしいですけど」 「まあね、しかもすっごい良い笑顔でさ!あーもうさ、ほんとに、」 むかつく!と桃井が拳を突き上げたのと、「あー?誰がむかつくんだよ」と、トレーいっぱいにサンドウィッチやらポテトやらを載せた青峰が現れたのはほぼ同時だった。一瞬呆けた桃井だったが、次の瞬間には慌てる風でもなく、べつにい、とふてくされた。こういうところが、少し変わったな、と黒子は思う。良い方向に変わった。青峰が尖っていた時期は、そんな風には言えなかったはずだ。 「まあ、誰って君以外いないわけですが」 「あ?」 「・・・・いや、まあ何となくテツくんなら言っちゃうんじゃないかなーとは思ってたんだけど」 黒子に対する反応も、ここ一年で大分落ち着いてきた。桃井は頬杖をついて、黒子の言葉を拾っていく。その様子が存外優しげで、黒子は思わず目を逸らした。 「人がいねー間に人の悪口言いやがって、趣味悪いなお前ら・・・・」 「安心してください、2割くらいは褒めてますから」 「ほぼ褒めてねーだろうがよ」 こうして青峰や桃井と、もう一度他愛もない会話を、しかもこんな昼下がりの街中の喫茶店で、できるようになるだなんて、黒子は大げさでも何でもなく、まったく思ってもいなかった。中学時代に、止めたくても止められなかった綻びは、修正さえも難しいと思っていたのだ。 で、何の話だよ?大学の話ー、もっと言えば大ちゃんのバスケの話ですー。ああ?なんだそりゃ。決めたの?決めてねーよ、どこでもいいし、めんどくせー。 青峰と桃井の言葉が交互に飛び交うのを、黒子は氷が少し溶けて飲みやすい苦さになったアイスコーヒーを啜りながら、黙って聞き流す。目を閉じればすぐに懐かしい制服に身を包んだ二人が現れそうだ。 「テツが行くとこでもいーや」 突然、黒子の意識が現実に引き戻された。自分の名が青峰の口から飛び出して、思わず顔をしかめてしまう。何の話ですか、と黒子が言うよりも早く、桃井が夏のひまわりだって驚いてしまうような輝かんばかりの笑顔で、それに賛同する。「私もそこに通う!」と嬉しそうに言う桃井と、来んじゃねーよ、と本気では思っていなさそうな満更でもないような表情の青峰に、すっかり置いてけぼりにされた黒子は「はあ」と曖昧な返事を返した。 「何の話ですか」 「大学。通うの面倒だし、大学の近くに住もうぜ」 「お好きにどうぞ。僕は実家から通える範囲で探しますので」 「えー、絶対楽しいと思うよテツくん!」 「おめーはなんでそう自分も入れて物事進めんだよ」 「だって大ちゃんばっかりずるいじゃん!大体男二人で住んだって、絶対片付くわけないもん、ちょくちょく様子見に行ってあげる」 つまりは同じ大学に進学して、大学の近くのアパートでルームシェアでもしたらいいんじゃない、とそういうことなのだろう。確かに楽しそうですね、と、一度断ったものの、黒子は真剣な表情で答えた。多分きっと、この未来は楽しいに違いない。楽しくて、そして夢を見ているように、ふわふわとした気持ちのままでいられるのだろう。 この話はずっと続いた。 結局、三人が喫茶店を出るまで延々とこの未来像の話を繰り返し、そうして三人で笑った。青峰と桃井がどう思っていたのかは定かではないが、黒子は自分からこの話を終えることはできなかった。怖かったからだ。 何だか、砂で出来たお城にでもいるような気分だった。一瞬で崩れてしまいそうな。 同じ夢を語って、共鳴していたあの日には、もう二度と戻れないことくらい、黒子はよくわかっている。 多分、あの時一度別れた道は、途中で交わることはあっても、合流することはない。バスケに対する思いも、二人への感情も、全部あの頃とは違う。重なるように錯覚することはあっても、それは絶対に過去とは違うものなのだ。 でも空想を語ったって罪にはならないでしょう。黒子は誰に言い訳するわけでもなく、そう呟く。前を歩く桃井が、何か言ったー?と振り返ったけれど、首を横に振って否定した。 じゃあね、と桃井と青峰が去っていく。 二人の姿が見えなくなる。 目を閉じれば、またすぐに思い出す。目を開ければ現実に引き戻される。 三人で会えば、どうしたって期待する。ああ僕が好きだったあの時間が戻ってくるんじゃないか、と。けれどその期待を裏切るように、小さな変化を見つけてしまうのだった。そうして一人、絶望する。 目を閉じた奥に在る世界がずっと続きますように、と願えば良いのか、振り返らずに前だけを見て歩くべきなのか、黒子にはもうわからなかった。 ただ一つ言えることは。 世界はどうしたって変わってしまったということ。 |
この三人は、多分きっと一生元のようには戻れないだろうなあと思うのでした。 ちょっとずつちょっとずつ、でも確実に変わっていく。 triangularさん提出。 140109 HP 再録 ありがとうございました! |