『黄瀬さんお誕生日おめでとうございます!』

 点けっぱなしにしていたテレビから、甲高い女性アナウンサーの声が聞こえた。彼女が言った「きせ」という言葉に条件反射で反応してしまい、メール画面に集中していた意識は一気にテレビへと惹きつけられる。灰崎祥吾は苦虫を噛み潰したような表情で、薄型テレビの画面を睨みつけていた。天気予報だけ見てから大学へ向かおうとしていたら、いつの間にやら灰崎が欲しかった情報は流れていたようで、特集コーナーへ切り替わっている。窓の外はどんよりとした重たい曇天だった。降水確率で折りたたみ傘にするか、長物傘にするか考えようとしていた灰崎の計画は果たされずに終わった。面倒なので折りたたみ傘を乱暴に鞄に突っこんで、勢いよくファスナーを締める。そういえばあの男の誕生日は、梅雨のジメジメした時期だったと思い出す。どこからやってくるのか、四六時中黄瀬に纏わりついていた女生徒たちが、にあわなーい、と妙に甘ったるい声で言っていたことが印象に残っていた。
 むしろお似合いだ、と思う灰崎の中での黄瀬涼太という男の像と、世の中の女性陣が見上げている黄瀬涼太は、きっと別人に違いない。

『最近絶好調の黄瀬涼太さんに、誕生日プレゼントを用意しましたー!』
『えー、不調だったら貰えなかったんスか!?』
『まあ、そういうことです。いやしかし本当に最近は黄瀬さんを見ない日はないんじゃないかってくらい、色んなところに引っ張りだこですね!』

 アナウンサーは嬉しそうにはしゃいでいる。お前と黄瀬は何の関係もねえだろうが、と灰崎は毒づきながら、苛立つ気持ちを発散するようにガリガリと頭を掻き毟る。セットした髪型が崩れていることに、本人は気づいていない。舌打ちを一つしつつも、視線はテレビ画面から動かなかった。最近妙に黄瀬を見かけるようになったと思ったら、出演している映画が好調なことに加えて、どうも黄瀬の誕生日が近かったことも関係していたようだ。

『映画も好調ですし!』
『はは、まあ、あれは俺は関係ないんじゃない?なんたって主役が国民的スターなわけっスから』

 ご一緒出来て本当に光栄っす!と定番の女性が見たら黄色い悲鳴を上げるような爽やか営業スマイルで答える黄瀬は、灰崎にとって何度見ても気味が悪いものだった。胡散臭いと言えばいいのだろうか、あの男はあんなに綺麗なだけの男ではない。けれども、芸能人とし、黄瀬涼太が一貫して崩さないそのスタイルには、彼の他の一面を知る灰崎と雖も賞賛を覚えずにはいられない。よくもそこまで自分を作り上げることができるものだと思う。
 灰崎は時計を見上げた。そろそろ家を出なければ間に合わない。こんな男のせいで遅刻をするなんて言語道断だった。テレビのリモコンを手に取ろうと立ち上がる。ぱき、と膝が渇いた音を立てて、灰崎はますます不快そうに眉根を寄せた。

『いやー、でも私も拝見しましたが、黄瀬さんのあの迫真の演技!あまりにもリアルすぎて、実は元ヤンなのではないかという噂まで広がっているとかいないとか?』
『えー!なんスかそれー!俺一生懸命頑張って不良役演じきったっていうのに世間はそんな評価なんスか!?』
『だってあまりにも慣れてるように見えましたからね〜。で、どうなんですか?実際どれくらい不良だったんですか?まさかまったく違うとは言わせませんよ!』

 ははは、と共演者から笑い声が上がっている。黄瀬は不満そうに否定の言葉を何度か繰り返したが、どうやら信じてもらえないらしい。そらお前は不良みてーなもんだからな、と灰崎は思わず口の端を上げて、嬉しそうに呟く。黄瀬涼太とはお世辞にも仲が良い間柄とは言えない。だからこうして、あの男が少しでも意に反することが起これば、それが例えテレビの枠の中での出来事だとしても、妙な優越感を覚えるのだった。ほら言ったろ、誤魔化せるわけねえだろ。灰崎はリモコンを手にすると、電源を落とそうとした。

『昔ほんとどうしようもないような不良がチームメイトにいたことがあって。まああんま関わりはなかったんスけど。そいつを見てたから、慣れた風に見えるんじゃないんスかね。・・・・ってこれでも全然納得いかないっす!なんスか慣れてるってー!』

 まさか、と灰崎は思わず手を止めた。画面越しに黄瀬を凝視する。目が合うはずなどないのはわかっていたが、そうせずにはいられなかったのだ。

『じゃあ、はい!黄瀬さん!役になりきって視聴者に誕生日プレゼントの御礼を一言!』
『これ視聴者からなの?』

 ゴホン、と黄瀬が咳払いをする。目を閉じて意識を集中させているようだった。ぱち、とゆっくり瞼があがり、彼の双眼は、鋭さを増して、まっすぐ灰崎を睨んでいた。否、何も画面越しの灰崎を見つけたわけではないだろうが、その勢いに灰崎は一瞬でも怯んでしまった。すぐに我に返り、その事実にカッと怒りを覚える。火花でも散りそうなほどに画面を睨み返すと、ブツン!とテレビの電源を落とした。真っ黒になった画面に、まだ黄瀬がいるような気がして、不快になる。



 画面に映し出された自分は、黄瀬と同じ顔をしている、ように見えた。



 ガン!と側にあった椅子を蹴り飛ばし、灰崎は家を出て行く。もう予定した電車には間に合わない。縁など切れたと思っていた男に、予定外に振り回され、今すぐにでも殴りかかりたい衝動に駆られた。けれど残念ながら、黄瀬は今ここにはいない。ガリ、と歯を擦り合わせた時、小さな痛みが走った。一拍遅れて鉄の味が口に広がる。つ、と垂れてきた血を拭うと、灰崎は苛立ちを抑えきれないまま、駅へと足早に向かっていった。

 身体の奥に、熱は燻ったままだった。





once in a blue moon






 


びっくりするほど祝っていない。

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