春から俳優業もやり始めたみたいだよ、と緑間が高尾から聞いたのは、季節が夏になろうとしていた時だった。そういえばネットニュースのトップで、キセリョドラマ決定!なんていう見出しを見たような気もする。あまり芸能界に興味のない緑間は、それをクリックすることはしなかった。ただ、頭の片隅で、妙に納得したのを覚えている。高尾から聞いた時も、すとんと腑に落ちて、その理由に思い当るのに、時間は掛からなかった。
緑間は、高尾の在学する大学に居た。
秀徳高校OB会なるものが開催されるというので、卒業してからまだ数か月しか経っていないというのに、赴かなければならなくなった。正しくは、卒業してすぐだからこそ、なのだけれど。せっかくだから一緒に行こうとしつこく誘ってきたのは高尾の方だというのに、課題が終わらずにまだ図書室に引きこもっているという。当然先に行くと告げた緑間だったが、「知らない人がいっぱいいるところに一人で行くなんて嫌じゃん!それにほら、真ちゃん今日は運勢最悪だったでしょ初対面の人に気を付けろってあったじゃん!ね!」などと押し切られ、どういうわけか大学まで迎えに行く羽目になった。3号館の学食で待っててね、というメールを最後に高尾から返信はない。無視するわけにも行かず結局やって来たわけだが、こういう時に自分のマメというか真面目な性格は、本当に損をしている、と思った。意味などないとわかりながら、高尾のためじゃない、おはあさが言っていたからだ、と言い聞かせる。
三時も過ぎた学食は、人もまばらだった。遅い昼食を食べる学生と、それから適当に時間を潰しに来たのだろう、数人で固まって話し込んでいる学生がちらほらといる程度で、これならばどこに座っていてもすぐに発見できるだろうと踏んだ緑間は、窓際の席に腰を落ち着かせた。と、その時に、入口からは柱があって死角となっていたスペースに人がいたことに気付く。移動するか、と立ち上がりかけたところで「うっわ、びっくりした!」とその人物が驚嘆の声を上げた。その声に驚いて緑間は反射的に振り返る。そこにいたのは、他人の目を惹く男だった。
「緑間っちじゃん、何してんの?」
黄瀬涼太は、どうやら遅めの昼食を取っていたところのようで、中途半端にカレーを掬うスプーンをご飯の山に突っ込んだまま、ぽかんと口を開けていた。
「・・・・人と待ち合わせだ、お前こそここで何を、」
この大学で何をしている、という意味で問いかけて、黄瀬と高尾は同じ大学だったことを思い出し、途中で言葉を切った。そんな緑間の心境など知る由もない黄瀬は、呑気に「俺は見ての通り遅めの昼飯っス。撮影長引いてこんな時間になっちゃったんスよ。人と待ち合わせって?」などと言う。この学食で何をしている、という意味に捉えたのだろう。
「・・・・高尾だ。そういえば同じ学科だろう?高尾は課題が終わらないなどと腑抜けたことを言っていたが、黄瀬は終わっているんだろうな?」
「何それ知らないけど?選択じゃん?」
中学の頃、黄瀬と青峰はよく課題を提出しそびれて、教師だけでなく赤司や緑間からも説教されていた。再提出やテストに時間を取られるからだ。またそのパターンなのでは、と思いもしたが、何もそこまで言ってやる義理などないことに気付き、緑間は口にしなかった。自分は関係ないとまったく疑っていない様子の黄瀬に、ため息が出る。
「いやー、しかし緑間っちと会うとは。絶対飲み会とかじゃない限り会わないと思ってたっス」
「ふん、そんなのは俺もなのだよ」
色々合わないっスからね俺ら、と悪びれもせずに言うのは、きっと黄瀬も緑間もそんなのはとっくに承知していることだからだ。
黄瀬涼太を知った時、きっと仲良くなることはないだろう、と緑間は思った。もともと緑間自身が社交的な性格ではない上に、真似るのが上手い、という黄瀬の特技が―――言い方が悪いが黄瀬本人がそう自己紹介した―――きっと自分の中の根っこにある部分と折り合いを付けられない、と思ったからだ。
すぐに一軍に上がってみせるっス、という宣言通り、黄瀬はあっという間に一軍入りを果たした。あまり好かない男、灰崎とプレイが被る。灰崎と違うところは、黄瀬のそれは完璧にコピーすることだった。身体能力の差だけは埋められないのだから、多少黄瀬なりに改良されてはいるものの、対峙する相手からすれば、それは黄瀬の皮を被った誰かその人であった。
それぞれの良いところを吸収して、組み合わせて使ってくるのだから、これまた厄介だった。しかもその完成度は極めて高い。中学生だった当時、緑間を含むキセキの世代のコピーは出来ていなかったが、それでも十分脅威だった。赤司は面白いものを見つけたな、と口の端を上げていたのを覚えている。
ただ、緑間は解せなかった。他人のなりすましなど、それでバスケをしていて満足なのだろうか?とさえ思う。個人プレーが集まったようなもので出来上がったバスケスタイルを、帝光中は取っていたために――と、いうより赤司によってそう誘導されていたようなものだが――、別段試合に影響など無かったため、緑間とて黄瀬に言及したことはない。
ただ、それを良しとする黄瀬のことが解せなかった。
緑間は、幼い頃から何でも良く出来た。両親や祖父母にも褒められていたし、親戚の間でも出来の良い子供だと言われ続けていた。身体能力に恵まれていたことに加え、運動神経も良い。勉強で苦労したこともあまりなく、基本的にはテストや成績も上位をキープしている。その生真面目さ故に学級委員などに推薦されることもしばしば。校則を破るなどとは言語道断で、教師からの受けもよかった。唯一欠点を上げるとするならば、少し変わった性格故に誰からも好かれる!というわけにはいかないことくらいか。それでも友人がいないわけではなかったし、もちろんいじめにあっていたわけでもなかった。
何でも出来て良いね、と羨望されることも少なくない。
バスケを始めたばかりの頃も、その身体能力の高さを買われ、注目されていたうちの一人だった。しかし、ここで緑間は幼い頃から見ないようにしてきた問題と、真正面からぶつかることになった。
飛び抜けた才能は無いのだ。
背が高いと言ってもバスケ界の中で脅威と言われるほどでもない。
運動神経が良いと言っても青峰のようにフォームレスでシュートを決められるわけでもないし、第一あんなフォームからシュートを打てば、筋肉が可笑しな方へ行ってしまうに違いない。
赤司のように、敵をねじ伏せることができるほどの目と頭脳を持っていたわけでもなかった。
全国大会常連の帝光中学で、それが無いということは、その他大勢に埋もれていってしまうことが時間の問題だということくらい、年端も行かぬ緑間でもわかることだった。
さてそれではどうするか、緑間は考えた。
まずは母に相談した。母は緑間の話を真剣に聞いてくれ、最後に「お母さんはバスケがよくわからないから、具体的にはアドバイスできないけど」と前置きをした後で、「何事も技術を極めることはできるんじゃないかしら。経験とか時間が物を言う、そういうもの」と微笑んだのだった。
かくして、緑間のシュートは生まれたのだった。
キセキの世代は、まとめて天才と称されることが多い。緑間とて、もちろん凡人から見れば羨ましいほどの才能にあふれた天才なのだろうけれど、自分では厳密に分類すると、赤司青峰紫原を天性の天才、自分や黒子は秀才に分類されるのだと思っている。黒子は少し特殊ではあるが、生まれ持った才能など何もなかった彼が、同じフィールドに上がってきたのは、彼がたった一つ、パスに絞って自分を磨きあげたからだ。緑間は黒子ほど一つに特化しているわけではないが、シュートならば右に出るものなどいない、と自負できるほどには、自信を持っている。そのシュートは、文字通り血の滲むような努力で手に入れた武器なのだ。
では果たして黄瀬はどちらに分類されるのかと言えば、前者なのだとは思う。あんな風に見ただけで自分の身体に信号を送り、それをコピーしてみせる能力は天才だ。でもそれは、黄瀬と言っていいのかどうか、いつも緑間は疑問に思っていた。多分黄瀬は、自分自身を定義づけることをひどく恐れている。恐れている、という表現が正しいのかどうかは定かではないが、どうしてかいつも自分を確立させるために他人を要する。「多分無いんですよ、こう在りたいとかそういう理想が」黄瀬を見ていつだったかそう漏らしたのは黒子だったはずだ。「憧れはいると思いますよ。それこそ青峰君とか。でも黄瀬君は青峰君になりたいわけじゃない。少なくとも今は。一体何考えているんだか」呆れの混じった声は、それでも確かに、かつて教育係だったことからの同情なのかはわからないが、少しの心配も含まれていた。
ちっとも似ていないと言われるけれど、緑間は黄瀬と自分は似ているところがある、と常々思っていた。
そつなくこなすことに慣れている。
器用不器用の差が歴然としすぎていてわかりにくいことは確かだが、似通った部分が根本にあるのだった。
表面的な部分は何も一致しなくて、本当に合わないけれど。
かつて緑間は、抜きんでたものを持っていない自分が、嫌いだった。
だから、それを良しとする黄瀬は、理解できなかった。
ほぼ全てで反発するし、唯一の似通った所は同族嫌悪に近い。彼らがあまり親しくならなかったのは、無理もなかった。
「そういえば、俳優業もやるそうだな」
緑間がそんなことを黄瀬に言ってみようと思ったのは、久方ぶりに会って黄瀬について考えていたからかもしれない。黙ってカレーを食していた黄瀬は、声をかけられたことを意外に思ったのか、ぱちぱちと大きく瞬きをする。緑間の声は、人の少ない食堂に、思いの外良く響いた。
「んー、まあ。何でそんなこと?最も興味ないと思ってたけど」
「・・・・興味は無いが、良い選択だとは思った」
「は?」
「お前は、何でもこなせるだろう。その分、打ち込んできたものはバスケ以外ないだろうし、別に自分のアイデンティティになるものも持っていない。バスケを辞めるのなら、自分ではない誰かになる俳優業は、お前に向いていると思っただけだ」
最初にこの学食で緑間を見かけた時のように、黄瀬はまたぽかんと口を開けて、呆けている。しばらくそうして緑間を穴があくほど見つめてきた後に、重力に耐えられなくなったカレーがスプーンからべちゃりと落ちた音で、ようやく我に返ったようだった。
「えー、よくわかんないけど、俺、何気にけなされてないっスか?アイデンティティが無いとかそういう」
「アイデンティティが無い云々を言っていたのは黒子だがな。さすが黄瀬の教育係だっただけあるのだよ」
「ひどっ!俺何でそんな色んな人からけなされてんの!?」
「俺はけなしてなどいないのだよ」
「いやでも褒めてはなくないっスか!?」
納得がいかない、とぶつくさ文句を黄瀬が呟き出したところで、入口から高尾が猛スピードで駆けこんでくるのが見えた。すぐに緑間と黄瀬を発見したところは、さすがというべきか。
「じゃあな」
「え、あ、来た?はいはい、またね」
バスケを辞めたと聞いたとき、さて自分を持たないあの男はどうなるのだろう、と思ったけれど、案外どうにかなりそうだ。ここから先は緑間の出る幕ではない。
上手く事が進めばいい、と緑間はそんなことを思った。
割合に、本気でそう思った。