この世界の色彩を求めて 2






ドリーム小説  この間雑誌で来てたジャケットが好みだから店教えろだとか、俺はこっちの般教で代返するからお前はあっちの般教よろしくだとか、大体はおよそどうでも良い話だった。冬休み前の閑散とした学食で、友人と向い合せに座って遅い昼食を取っている。黄瀬は海外ロケのせいで1週間丸々顔を出せなかった大学構内を見渡し、こんなにも人の気配は少なかっただろうか、と驚いた。
 黄瀬とて勉学を無駄だと思っているわけではないけれど、最近の若者の例に漏れることなく、あまり熱心に大学の勉強に励んでいるわけでもなかった。本格的に始めた芸能活動も最近引っ張りだこで、出席を重視する授業は、油断しているとすぐに落としてしまいかねない。だからこうして、突然挟まれる小テストの存在を教えてもらったり、プリントを確保しておいてくれる友人と、月に一度くらいは会う約束をしている。今日も、仕事の関係上ひと月も顔を出せていない一般教養の授業で出されたという課題のプリントを受け取るため、撮影の合間に大学へ寄ったのだった。
 友人は人懐っこく、知り合いも多い。その人脈を駆使して、黄瀬が受けている授業のコピーや代返を頼んでくれている。俳優業にも挑戦し始めた今、正直黄瀬のスケジュールはかなり厳しい。学校なんてやめてしまったら、とも言われるけれど、黄瀬は頑として卒業するつもりでいる。芸能科があるわけもない普通の私立校は、当然のように黄瀬の仕事など関係なく成績を突き付けてくるわけで、卒業のためには友人の協力が不可欠だった。
 プリントを受け取って、丁度昼時だったこともあって昼食を済ませ、実の無い話を二人でだらだらと続けていたら、「だからさー、黄瀬も今度飲みに行こうぜ。あ、そういややっぱり青峰次の大会出ないんだってな。あ、そうだ黄瀬外語の子たちとの合コン来る気ある?」と、さらりととんでもない台詞を挟んできたのだった。

「・・・・は?」
「いや、なんでそんな怒ってんの?黄瀬合コン嫌いだったっけ?」
「女の子は好きっスよ、じゃなくて、その前」
「え?何学科飲み?」
「違う、青峰っちが、」
「青峰?ああ、だから、青峰次の大会欠場すんだってさ。何、知らなかった?てっきり知ってるもんだと思ってたけど。俺も詳しくはわかんないけど、黒子の話によればスランプとかなんとか?不調でスタメンどころかベンチにさえも入れられなかったのなんて、あいつの人生で初めてなんじゃねーの?」

 黄瀬としてはもっと詳しく聞きたかったのだけれど、「あ、やべそろそろ行かないと。遅刻するとずっと不機嫌だからさー真ちゃん」と、友人―――高尾和成はさっさと引き上げてしまったのだった。黄瀬はしばらくその場から動けずに、ただじっと、空になったお椀を見つめていた。










 日本海側には砂浜などないのかと思っていた。中学の頃に音楽の授業で習った歌が原因なのかもしれない。岩肌が剥き出しとなっていて、覗き込むのさえ勇気がいるような猛々しい場面を想像していたが、宿屋の主人におすすめだと教えてもらったスポットは、反対側から差し込んでくる朝日を受けてきらきらと輝いていた。海は凪いでいる。海水浴場というほどは広くない砂浜には、人はいない。昨晩も今朝も雪は降っていないけれど、そこかしこに雪化粧が施されている。雪国北海道にある函館さえも、雪はそれほどまでには積もらないと聞いた。海側はあまり積もらないというのは本当らしい。昨日途中下車した時に見た一面の銀世界は、ここにはない。それでも冬の朝は冷え込みがひどく、関東圏とはわけが違う突き刺すような冷たさに、これが身体の芯から冷えるということなのだと思い知った。

 黄瀬は前を行く青峰の後ろを、ただ黙ってついていく。そういえばこの旅を始めてから、自分はほとんど青峰の前を歩いていないことに気が付いた。この旅も何も、一度たりとも青峰の前を行ったことなどないのだから、これは習慣であり慣れであるのかもしれないと思うと、なんだか滑稽だ。
 風に晒される範囲を少しでも小さくしようと限界までマフラーに顔を埋め、手袋をした両手をさらにポケットの中で温める。マフラー越しでも吐いた息が白いのがわかる。
 「神社だ」ふいに青峰が言った。黄瀬も立ち止まって青峰の視線の先を追っていくと、小高い山のようなところに、色褪せた小さな鳥居があるのを見つけた。海や山に行くとよく見かけるそれらは、きっとかつて人々に信仰され、愛された神々の成れの果てなのだろう。遠目に見ても荒れていることが目に見えて、空しい気持ちになる。

「寄る?」
「俺は興味ない。行きたきゃ行くけど」
「他に行くとこないなら」
「散歩だから目的はねえよ」
「んじゃ決まりっスね」

 人が踏んで出来たらしい申し訳程度の小さな道を進んで鳥居を目指す。近づいてみるとその鳥居とお社の全貌が明らかになって、遠目に見たよりも荒れているのがわかる。それでもお供えにくる人はまだいるようで、ここらの銘酒らしい日本酒の小さな瓶と、枯れてしまってはいるけれど花がぽつねんと佇んでいた。

「青峰っちの家の側にも、ちっちゃい神社、あったよね?」
「あー、あったな。さつき探しによく行ったわ」

 壊れかけて傾いている賽銭箱に、黄瀬は小銭入れから取り出した五円玉を放り投げた。青峰は端から賽銭するつもりなどないらしく、無遠慮にお社を覗き込んでいる。賽銭箱の奥にある薄汚れている紐を左右に振れば、からんからんと小気味よい音が鳴り響いた。祈るほど信仰心はないけれど、それでも条件反射みたいなもので手を合わせる。

「願い事でもあんの」

 青峰の声は意外そうだった。無いけど、と黄瀬が間髪を空けずに返事をする。青峰は何か言いたそうに口を開きかけたが、結局それ以上は何も言わなかった。
 一通りぐるりと回ってから、すぐに神社を後にした。神社以外何もないそこは、想像以上に風が吹き抜け、寒さに限界がきたからである。足早に元来た道を下ってから、もう少し海沿いに進むと、岩肌がある。風が当たらないように岩の影に、どちらからともなく座った。

「腹減ったー」
「昨日あんだけ食ったのに・・・・朝食は焼き魚だって。海沿いともなれば海の幸が豊富なんスねえ」
「肉が食いてえ」
「なら肉が有名なところに行けばよかったじゃん」
「例えば?」
「えー、西の方とか」

 他愛もない会話をする。さらさらと流れていく時間も自分たちの声も、なんだかここでは無意味に感じた。「何もねえな」青峰が言うこの言葉は、昨日に引き続き何度目になるかわからない。物理的な意味だけではないような気がして、黄瀬も静かに頷くばかりだった。ずっとアンタの隣にあったもんとかも全部無いっスよ、ぼんやりと浮かんでいた言葉を頭の片隅に留めながら、黄瀬は青峰の横顔を盗み見る。昔見たことがあるような気もしたが、それでもどこか違って見えるのは、年齢のせいなのか、それとも全然違う表情だからなのか、黄瀬には判断できなかった。



「お前さあ、何で、」



 ついてきたの、とでも続けたかったのだろう。青峰はじい、と黄瀬を見遣って、けれど結局また言葉は飲み込んでしまった。
 海とは反対側から朝日が差す。黄瀬は眩しそうに目を細めて、眼前に広がる海原を見る。きらきら、きらきら光って揺れる水面だけが、やけにリアルで、今は何もいらないと思った。



 何も、考えられなかった。










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