「初めて、ホワイトクリスマスが見られるかもしれないな」
「初めて?アメリカ降らねーの?」
「俺がいたところはあまり」
「ふーん、俺もほとんどないー。積もったりしたのは記憶にないかも」
「東京は降らないのか?」
「うん、降るとしても年明けかな」
「楽しみだな」
「なんで?」
「ホワイトクリスマスはやっぱり憧れるじゃないか」
「そういうもん?」
「そういうもん」



 目が覚めた瞬間、あまりの静けさに思わず辺りを見渡した。ぐるりと視線を一周したところで、特に変わり映えのしない、寮の自室があるだけだ。それでも異様な程静かだった。時計を確認すれば、まだ午前4時。それにしては外が明るいような気がして、紫原はカーテンをそろりとあけてみた。

 白だ。

 全部白い。地上にあるもの全てが白に覆い尽くされている。それでもまだ足りないのか、空からはしんしんと雪が降り続いていた。一面の白が光を放っていて、まだ夜明け前だというのに明るかった。白と静寂。雪の日は車も電車も音しねーから、気を付けたほうがいーぜ。そうアドバイスをくれた福井を思い出し、なるほどと思った。音が、飲み込まれる。
 カーテン一枚開けただけでも、冷気が入り込んできたような気がして、紫原は乱暴にカーテンを閉めると、再び眠りについた。



「・・・・ぶはっ!」

 のそり、と緩慢な動きで部室へ入ってきた紫原を一目見て、福井は盛大に吹き出した。隣で筋力トレーニングに勤しんでいた岡村も、何事かと顔をあげ、同じように反応する。WCを終え引退を迎えたはずの三年生が今日も部室にいることに、紫原は最早違和感を覚えなくなってきていた。年内は顔を出すと言っていた彼らの言葉に嘘はなかったようだ。受験は大丈夫なのだろうかと思わないこともないが、基本的に興味はない。従って紫原は特に聞くこともせず、毎日朝練にまで顔を出す彼らを受け入れている。

「あはははははははは!!!おまっ、それ・・・・どっから来たんだよ!」
「なんじゃい紫原は山の上にでも住んでんのか!?流行りの熊牧場か!?」
「うるさいゴリラ」

 紫原アアアアアア!と食って掛かって来る岡村をひょいと身軽に躱して紫原は部室の奥へと上がり込む。はあ、と自身を見下ろして思わずため息が出るのは、自分の半分が雪にまみれているからだ。一体何がどうなればこんなにも綺麗に右半分だけ白でコーティングされるのかわからない。何度も雪を払い落とそうと努力してせいで、手袋は水分を吸いこんでぐっしょりと濡れている。もう一度叩く、ぼろぼろとはがれるように、部室の暖かさで溶けかけていた雪が落ちていく。

「・・・・っと、何アルか邪魔」
「む、劉、すまない」

 部室の扉が再び開かれ、やってきたのは劉だった。開けた拍子に目の前にいた岡村にドアが当たったらしい、少し不機嫌そうに顔を歪めている。何だ何だと視線をあげた先に紫原を認めた劉は、目を見開いて驚いてみせ、それから「あーあ」と大して感情のこもっていない平坦な調子で言った。

「雪って横にも積もるアルか」
「ああそうだぞ劉、日本の雪はすごいだろ」
「初めて見た」
「そりゃそうだ俺は横に積もったことなんてねーよ」

 笑いを堪えながら福井は紫原を指さした。なかなか落ちていかない雪に苛立ち始めた紫原は、叩くのを早々に諦め、コートを脱いでストーブの近くに放り投げた。すぐに雪が溶けていく、水分となってコートに染みを作る。「そんなんじゃ乾かねーよ?」福井は相も変わらず何がそんなにツボなのか、笑いを堪えたままだ。

「はー。なんで皆同じ道歩いて来てんのに俺だけ雪にまみれなきゃなんないわけ」
「でかいからじゃん?」
「テキトーなことばっか言ってっとひねり潰すよ」

 来たばかりの劉も、ちらほらと雪の跡が見えるものの、被害は少ないように見えた。ましてや紫原のように積もる状態にまでなっているはずもない。納得がいかない、と紫原が怒りと疑問を半々に浮かべた表情で首を捻っていると、岡村が勝ち誇ったように「教えてやろう!」と意気込む。

「そのコートが悪い!」
「は?」
「そんなコートじゃ雪にもまみれるって」
「そうじゃ、そんな雪にくっついてくださいとでも言っているようなコートじゃ横にも積もるわい」

 どういう意味、と言いかけて、紫原は、はたりと視線を劉で止めた。紫原が来ているのは、中学の時から愛用しているどこにでもあるような普通のダッフルコート。東京のビル風にも耐え抜ける優れものだ。一方で劉が着ているのは、最近CMでもやたらと見かける某店のダウンコート。紫原はそれを着たことがないので果たしてどれほど暖かいのかはわからないが、なるほど、確かにこれならば雪は積もらない、と納得した。ツルツルとしたその生地は、蛍光灯の光に当てられて不思議な色に光っている。

「知らないしそんなの・・・・」
「あとついでに言うとそんなもこもこした毛糸の手袋は意味ねーから捨てろ。雪払う時に染みない手袋買えよ」
「何それどこに売ってんの?スキー用品店?そんな可愛くないのやだ」
「可愛さとか求めてんのかよ!馬鹿にしすぎだおしゃれなのも売ってるわ!」

 とりあえずその水浸しになってる手袋の水絞ってこい!部室を追い出された紫原は、仕方なしに近くの水道へ向かうことにした。適当な所で絞ってもよかったのだが、部室周辺となれば後から顧問に小言を言われるであろうことくらい簡単に予想がついたのだ。練習の合間の休憩や、終了後の時間を奪われるのだけは勘弁していただきたい。紫原は体育館前の水道で、ぎゅう、と水分をこれでもかと言う程に絞り出した。雪国の事情なんて知らねーし、ぶつくさと零れ出る文句に、突如「まあそう怒るなよ」と返事が返ってきて驚いて顔をあげた。壁にもたれかかるように、氷室がいた。身を包んでいるのは劉と同じ、ダウンコート。紫原と入れ違いになるように部室に顔を出した氷室は、未だ笑い転げている先輩らに事情を聞き、追いかけてきたのだと言った。

「っていうか前降った時はこんなにならなかったし・・・・」
「この間は風無かったからな」
「室ちん知ってた?」

 紫原は乱暴に手袋の水を絞る。冷え切った手にこれ以上鞭打つような真似はしたくなくて、まだ水分は随分と残っているようだったけれど、絞るのを諦めた。そしてその紫原の心情を読み取り、氷室は黙って手袋を彼の手から奪うと、思い切り絞って見せた。たたたっ、と水滴が叩き付けられる音が響く。

「考えたこともなかったよ」
「じゃーなんでそのコート?」
「たまたまだって。暖かいからな、これ」

 紫原と同じく雪とは無縁の生活を送ってきたはずの氷室は、どうやら今回は被害を免れたようだ。クリスマスに雪など降ったことがないと言っていたはずなのに、氷室の格好は雪国の人よろしく完全防寒装備になっている。紫原はもう一度大きくため息をつくと、薄暗い廊下の窓へ視線をあげた。窓硝子に激しく雪が打ち付け、外はごうごうと風が鳴っている。騒がしい。

「サイテーだよホワイトクリスマスなんて」

 いつしか楽しみだと言っていた氷室の言葉を思い出して紫原は思わずそうこぼす。何も楽しいことなどない。中学の頃、校庭に積もった雪にはしゃいでかまくらや雪だるま作りに精を出し、雪合戦で燃えたあの思い出が懐かしい。最早そんな気力など綺麗さっぱり削がれてしまうくらいに荒れた空が、分厚い雲のせいで随分と近くまで迫っているように感じられた。

「いやまあ・・・・これは予想外だよな・・・・」

 氷室も同意見なのか、顔に浮かべるのは苦笑いだ。雪で前の車が見えないこともある、と顧問がぼやいていたのはどうやら本当だったようだ。一寸先は闇、ならぬ、一寸先は雪、である。その先に何があるのかわからないという意味ではあながち間違いでもない。

「もっと静かに降るものだと思っていたから」

 顔を寄せて窓の外の吹雪きを覗き込む氷室は、とても残念そうだ。風に揺らされて、ガタガタと窓が鳴る。その窓辺に静かに佇む男の姿は、今日の天気にひどく不釣り合いに見えた。売り物でしか見たことがないけれど、スノーボールのようにふわふわと舞う雪の方が様になっているように思う。目を閉じてその様子を想像して、ふと今朝の雪を思い出した。あれ?そこで違和感に目をあける。

「でも朝4時くらいに起きた時は、風もなくてただ大量に雪が降ってただけだったよ」
「え?アツシ今日そんなに早起きしたのか?」
「バカじゃねーの?目が覚めただけ」

 ひどいな、と小さく笑った氷室に、違う、とまた違和感を覚えて、紫原は顔を横に振った。その動作をどう受け取ったのか、氷室は「まあそうか普通に考えて4時には起きないよな」とフォローするように呟く。



 しんしんと降る雪が似合うように見せかけて、そうだこの男は。



 WCで見せたその本性とも言えるべき姿を思い描き、案外この猛烈な吹雪の方が似合うのではないか、と思い直す。果たして弟分であるあの男以外に、その表情を見せることがあるのかは定かではないが。



「紫原!いつまでかかってんだ朝練始めんぞ!」
「手袋一つ絞れないとは思わなかったアル!」

 廊下の奥からざわつく外の気配を破って、福井と劉の声が響く。となればもう一人の声が聞こえてくるのは自然と想像できた。

「だって手つめてーし」
「何をわけわかんないこと抜かしてんじゃ!」
「あーもーわかったってば今行くから」

 手袋を返して欲しい、という意を込めて、紫原は氷室へ手を伸ばしたつもりだった。けれどそれをどうやら勘違いしたらしい氷室が、ごく自然の流れで自分の手を重ねてきたものだから、紫原が呆気に取られている間に、彼はそのまま歩を進め出した。ちょ、待っ、室ちん。このまま行くの?とそこまで声に出来なかったのは、振り返った氷室が相変わらず笑顔だったからだ。まーいいかと紫原も隣に並んで歩き出す。

「ねー室ちん」
「ん?」
「後で外行こう」
「いいけど、コートにまた雪がつくぞ?」
「ベンチコート着ていくから大丈夫」

 でも何で?と問いかけてくる氷室に、「きっと似合うと思う」と返せば、ますます混乱した表情になった。



 吹雪いたクリスマスも、悪くない。






君に似合うから

これも○!




   


2012年メリークリスマス!
浅海さんに捧げます!

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