夕闇の迫る街角を折れてすぐだった。見覚えのある顔が向こう側からやってきて、黒子はすぐにそれが高尾和成であるとわかった。側に人は見当たらず、どうやら一人のようだった。何か良いことでもあったのか、鼻歌混じりに近づいてくる高尾はひどく上機嫌だ。このまま何もなかったのように通り過ぎようか、と黒子が思った矢先に、あちらが黒子に気が付いた。あっれー黒子じゃんどうもー部活帰り?今暇?じゃーちょっと付き合ってよ。黒子がお久しぶりですと挨拶を返す暇さえ与えず、一気に捲し立てると、高尾はさっさと行ってしまう。黒子が来た道と逆側に折れ、姿が見えなくなった。付いていかなければならない理由などない。このまま帰ろうか、黒子はしばし考え、やがて高尾の後を追った。 「あれ、ほんとに来てる」 後ろを行く自分のことなどまったく気に留めていないようなペースで好きに歩いていくなあ、と黒子は思っていたが、どうやら本当に気にしていなかったようだ。通勤や通学で賑わう通りを抜けて空地の前に来たところで、ようやく高尾は振り返った。振り返った先に黒子の姿を認めて、驚きの表情を見せる。「誘ったのは高尾君じゃないですか」黒子は少しばかり表情を歪めて、ガードレールに腰掛ける。 「そうだけどさー、知らない人に付いていっちゃいけません!ってお母さんに言われなかったの?」 「知らない人じゃないでしょう」 「あ、そっか」 日が落ちるまであと一時間もないだろう。橙の色に染まり始めた空き地へと高尾は足を延ばす。立入禁止の看板が掲げられたロープを一瞬の躊躇いもなく飛び越え、雑草の覆い茂るそこへと踏み入れた。歩道を挟んで反対側のガードレールに腰かけたまま、黒子は動かない。 「その様子だと・・・・特に用事はなかったわけですか」 「用がないと誘っちゃだめなの?」 「だめではないですが、意味がわかりません」 真ちゃんみたいなこと言うんだな、そう言うや否や、高尾はその場にしゃがみ込んで何やら捜索し始めた。頬を撫でていく風はひんやりと冷たい。夏が終わり、秋の涼しさというよりも、冬が近いことを意識させられた。黒子はすっかり冷えてしまった両手をポケットの中へと乱暴に突っ込んだ。 「上機嫌ですね」 「わかる?」 背高く生い茂っている雑草の間を、高尾は行ったり来たりと忙しい。黒子が声をかけても作業を途中でやめることなく、視線は地面へと向いたまま返事が返ってきた。 「誰でもわかるくらいには楽しそうでしたけど」 「まじで!うわー気を付けよう」 「何があったんです?」 高尾の上機嫌の原因に、興味があるかないかと言われれば、即答できる程度には興味がなかったが、黒子はただ惰性で会話を続けた。そもそも高尾自身とそこまで親しいわけではない。試合をしたのも一度きりだ。そんな男になぜ付いて来たのかと問われれば、黒子自身にもわからず、魔が差した、とでも言いたいくらいだった。何って言われるとあれなんだけど、考える様子の高尾の手には、何やら棒切れが握られている。 「お前すごいな」 「・・・・はい?」 質問の答えではないことくらい、黒子にもわかる。突然羨望の言葉を投げかけられ、戸惑いを隠しきれなかった。怪訝そうに眉根を寄せたのが、高尾に伝わったのだろう、「だってさ」と続きの言葉を紡ぐ。 「五人もいたわけだろ」 あんな天才みたいな化けモンがさ。 ぱきん、握られていた棒がいともたやすくあっさりと真っ二つになる。何の話かと思えばキセキの世代に話だった。黒子が、光と認識する、彼らの話だった。 俺は緑間一人だけでも、いっぱいだ。 何故かはにかむように高尾が笑う。笑って、また雑草に潜り込む。夕陽が反射して、真っ黒なはずの学ランが、見慣れたユニフォームのように見える。彼の隣に立つ、いっそ憎らしいほどの努力の天才を思い出した。黒子はゆっくりとガードレールから腰を浮かす。 「五人いると思っていたのは、どうやら僕だけだったみたいですけど」 ガシャン、とぶら下がった黄色と黒の縞々模様の看板が大きな音を立てた。上手く超えたつもりだったが、どうやら足が当たってしまったらしい。揺れるそれを一瞥して、黒子はそのまま空地へと踏み入れた。 「寂しいと思ったことはないですか?」 ん?と振り返った高尾の手には、キーホルダーが握られていて、それを探していたのだということにやっと気が付いた。それが彼の落し物なのか、それとも他人のものなのか、そもそも何故こんなところにあるのか、等気になったことはいくつもあるけれど、それを無理矢理飲み込んだのは、今ここで会話を中断してしまえば、きっと答えが聞けないと思ったからだ。 これは寂しいという気持ちに近い、と黒子が自覚できるようになるまでに、随分と時間が必要だった。圧倒的な力を持ってして相手をねじ伏せることのできる一人が、五人集まって出来上がったチームで、黒子は独りだった。チームの役に立つとはどういうことなのか、自分の役割が何なのか考えてみるといい。黒子にそれを教えたのは赤司で、チームに引き入れたのも赤司だった。憧れていた青峰と同じチームでプレイできることが嬉しかったし、先輩方からも一目置かれていた赤司に必要とされている、と思えたことも嬉しかった。自分が繋いだボールが、彼らの手によってネットを揺らす瞬間が何よりも幸福だった。 けれど、ある時気づいてしまった。 彼らは、一人でも点を取れる、一人でも勝てる、それはつまり。 それは、チームがバラバラだ、と気づいたのとほぼ同時だった。不安、焦燥感、そういうマイナスの感情が渦巻いていく。けれど黒子には、もうどうしようもできなかったし、当時自分のことで手一杯だった彼に、周りを見渡す余裕などなかった。 結果として、黒子は光を失った。寂しい、という自分の感情をもて余しているうちに、取り返しのつかないところまで来てしまったのだ。 そうして、全部を手放した。 隣に立つことを諦めて、戦うことを決めた。 その気持ちに迷いはないし、悔いはない。 けれど。 「幸せだよ」 俺はあいつの隣でバスケするって決めてんの。言い切る高尾に、ああ、と思わず安堵の息が漏れる。 確かに離れることを選んだのは自分で。 間違っていることに気付かせようとしたのも自分で。 それについては、絶対に成し遂げなければならないことだと思っているし、そのために敵になることを選んだ。 自らが隣に立つ未来は捨てた。 だから、代わりが現れるのを待っていた。自分には出来なかったことを、最後までやり遂げてくれるであろう人を。自分勝手だと知りながら、願わずにはいられなかった。最善策を尽くして尽くして尽くしても、それでもまだ努力をするあの男が、意外にも一番先に出会えたようだ。 願わくは、バスケの神様からの愛情を一身に受ける、あの人にも現れますように。 |