昨日までの五月晴れが嘘のように胡乱な色をした空だった。頭上を覆い尽くす曇天は、雨を連れてくる気配こそないものの、とても重苦しい。緑間は教室の窓からそんな空を眺めてはため息をついた。晴れの日が好きなわけではないが、やはり曇りよりは心が晴れる。昨日突き抜けるような高い空に清々しい思いをしたばかりで、その反動だと言わんばかりの厚い雲が、スピードを上げて流れていく。
 ぎゃはは!と、曇り空に似つかわしくないほど賑やかな声が聞こえる。教室の一角を陣取って、トランプに興じている5人組で、クラスでも中心的な存在だ。サッカー部に野球部、テニス部と日によく焼けた面子の中に、一人混ざる白い男は紛れもなく高尾だ。脆弱なわけでは決してないけれど、体育館が主たる活動場所であるバスケ部は、あまり日に焼けない。加えて秀徳高校は全国大会の常連校である。そうともなれば、当然のことながら体育館の使用権は優先的に回ってきて、ほとんど外で練習をすることなどなかった。高尾とて色白とは言い難いのだけれど、外で活動する運動部に交じってしまえば、いやに白く見えた。
 緑間は、その集団からすぐ近くに一人座っている。好き好んで喧騒の中心近くにいるはずもなく、ただ単にそこが緑間の席だからだ。長い昼休みも半分を過ぎようとしていた。今日はあまり占いの順位が良くない。そういう日は自主練をしてもあまり良いことはない。緑間は読みかけの文庫本に目を落とす。

「あ、ばっかおい高尾てめーふざけんな!」
「やりい!俺の勝ちー」

 けらけらと軽い笑い声を混ぜた高尾の声が、すっと教室を横切っていく。高くも低くもない声だが、彼の声はよく響いた。あれ結局高尾くん勝ったの?側で井戸端会議を営んでいた女子数名が、興味を示したようにわらわらと寄ってきた。緑間の周りが、少し窮屈になる。

「約束だかんな、お前らこれから一週間ジュースおごれよ?」
「俺金欠って言ったじゃん!?もう一回!」
「金欠なら勝負すんじゃねーよ!」

 だめです約束は守ってくださーい、逃げるように席を外す高尾を数名が追いかける。それをひょいと軽く高尾が躱すと、バランスを崩したのかガタガタと追っていた生徒が崩れていく。きゃあ!と黄色い悲鳴をあげて散っていく女生徒の体が緑間の席にあたり、かしゃん、とシャープペンシルが軽快な音を立てて転がった。

「あ、ごめん!」

 ぶつかった女生徒は慌てた様子でしゃがみこむと、落としたシャープペンシルを拾って緑間に差し出す。気にしていない、という意味をこめて「別に」と短く答えて受け取ると、何故か怯えたような顔をされた。ごめんね、ともう一度謝ると、そそくさとその場から去っていく。高い身長と低い声、それにお世辞にも愛想が良いとは言えない態度も相まって、緑間は昔から人に敬遠されがちだった。今回もきっとそうだろうと、最早慣れてしまった緑間は、女生徒に怒っているわけではないことを伝えるのも億劫で、そのまま読書に戻る。

 と、また誰かが緑間の机を大きく揺らした。今度はシャープペンシルのみならず、筆箱毎床に落下していき、文房具がぶちまけられた。誰しもが想像する通り、ノートまとめを綺麗にきっちり行う緑間の筆箱には、ラインマーカーや赤、青、緑のボールペン、定規に何故かコンパスなど、そこらの男子高校生はもとより、女子高生よりもたくさんの文具類が詰め込まれている。それがぶちまけられたのだから、当然のことながら大きな音がして、辺りにいた生徒は皆一様に振り返った。



「わー真ちゃんごめん!」



 緑間よりも早く散らばった文具類を集め始めたのは他でもない、高尾だった。忙しなく拾い集め、筆箱の中に放り込んでいく。一瞬時が止まったかのように動きを止めていた緑間は、はあー、と長い溜息をついて自分もしゃがみこんだ。

「ほんっとごめんわざとじゃないよ?」
「もしもわざとだったなら許さないのだよ」

 こえー、と肩を竦めて、高尾は遠くまで転がってしまったペンを拾うため立ち上がって走っていく。さんきゅー、と高尾が御礼を言った相手は、どうやら先ほどシャープペンシルを拾ってくれた女生徒のようだ。

「はい、これで全部?ごめんね真ちゃん」

 差し出されるペンを受け取りながら、奇妙な既視感。別に、と先ほどと同じように返すと、高尾は大きくにやりと笑った。

「よかったー!気にしてないってことだよな?よかったよかったー」

 高尾は大げさに安堵して見せた。曇り空をバックに高尾が笑うと、その曇天が少し和らいだように見えた。視界の端で、女生徒が胸をなでおろしたような気もしたが、緑間は特に気に留めなかった。もういいから戻れ、そう緑間が高尾に告げる直前、高尾―早くしないとおごんねーぞ!、と呼ばれて元いたグループへと戻っていった。
 緑間はガタガタと音を立てながら、ズレてしまった机を元の位置に戻すと、今度こそ本当に読書を再開した。





交差しては引いてゆく






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