無性に泣きたくなった。 相田リコは熱い戦いに身を投じる男たちを白線の外側から見守りながら、目の奥が自分の意志はお構い無しに熱くなってくるのを感じていた。けれど今ここで自分が涙を流すことは間違っていると思ったし、何よりなんだか悔しくて、それを必死に堪えていた。 視界が霞んでくる。バッシュが床に擦り付けられて聞こえてくる、キュッキュッ、という音が妙にはっきりとしている。選手たちの息づかいや、ボールの弾む音はもちろん空を切ってパスされる音が聞こえてくる。それに混じって、耳に届く聞きなれた声。 柄にもなく、ああこのまま時間が止まってくれればいいのに、と相田は唇を噛み締める。 「文句があるならはっきり言えばいいんじゃない?」 伊月俊は大したことないように軽い調子でそう言って、壁に背を預ける相田からタオルを受け取った。と、思ったのだけれど、相田がタオルを手放さなかったので、ピン、とタオルを引っ張り合うという妙な光景になってしまった。伊月が離してくださいと目で訴えても反対側の力が緩められる気配はない。 「そうやって自分は高みの見物ですか」 相田の声はいつにも増して低い。 「はあ、まあ、特技なんで」 「それはバスケの話でしょっ」 「別に高みの見物のつもりはないけど、あまりにも哀れだったから」 「哀れ?!私が?!」 声を荒げた瞬間にふいにタオルを握る力が緩められた、その一瞬を伊月は見逃さず、タオルを手中に納めることができた。ラインダッシュと呼ばれる、体育館にある横線全てで折り返すというキツイメニューをなんとか終えたばかりで、汗はとめどなく溢れてくる。手に入れた洗ったばかりのタオルで一通り汗をぬぐい、顔をあげると不満げな顔のまま、相田はコートを睨んでいた。 「絶対鉄平はわかってやってるんだと思う」 「・・・・そんなに賢い奴じゃないと思うけど」 「だから余計性質が悪いんでしょ」 あーくそもう一回!キャプテン日向の声が体育館に響き渡る。えー、と文句を言うのは火神、文句を言う体力も残ってないのは黒子である。木吉はけらけらと楽しそうに笑い、おう何回だっていいぞ、と天井を仰いだ。小金井や水戸部、降旗ら他の部員たちは、ラインダッシュの疲れに負けて、少し離れたところに座り込んで、四人に茶々を入れながらその様子を楽しんでいる。 「いやあ、楽しそうで何より」 「・・・・」 「いやほんと睨まれても困るんですけど怖いんですけど」 木吉がバスケ部に復帰して、もう随分と経ったように感じられる。実際の期間はまだほんの少しなのだけれど、それくらい、新生誠凛高校バスケ部に馴染んでいるのだ。木吉がいるだけで、雰囲気は違う。エースである火神や、キャプテンである日向の存在も、影響が大きいことは大きい。引き締まる。木吉はそんな二人とはまた少し違った。安定感。基盤、とでも言えばいいのだろうか。木吉がいて、好きにできる。木吉がいて、賭けに出られる。 「“あいつがいるから、外さねえ”」 「何?日向の言葉?」 「別に言ってたわけじゃないけどね、多分そういうことなんでしょ」 「何だろうね、あの信頼関係は」 いいじゃん試合になればあのコンビは頼もしいよ?伊月はゆっくりと立ち上がると、思いっきり伸びをする。混ざるか、と呟くと、汗まみれになったタオルを、相田に投げて寄越した。もちろん、綺麗に交わす、タオルは壁に当たる、落ちる。 「・・・・まあ、概ね俺も同意見だけど。心配だよな」 相田が何を言ったわけでもないのに、伊月はそんな言葉を残した。どういう意味、と相田が問いかけるよりも早く、日向たちの輪に混ざってしまって、結局彼女はその言葉を飲み込んだ。 心配だよな、伊月の言葉の意味を考える。きっとこういうことなんだろう、と相田には予想することができたけれど、どうも口に出すのは憚られた。 視線を彼女があげると、相変わらず楽しそうにボールを追いかける少年たちがいて、こうしているだけでいいのに、とほんの一瞬、そう願う。けれど人とは不思議なもので、勝敗が付くスポーツである以上、勝利を求めるし、そのために戦うのだ。 負けても、学ぶ試合はたくさんある。負けたって、良い試合だった、と言える試合は五万とある。 それでも、人は勝利を求めてしまう。 負ける悔しさを知っているからだろうか。 それとも、勝つ喜びを、知っているからだろうか。 「今、できればいいだなんて、」 今を賭けて勝負に出る木吉と。 今、彼のために勝利しようと全てを掛ける日向と。 それに付いていく仲間と、そして自分と。 止めるべきだろうか、と相田は幾度となく考えた。考えたけれど、感情がそれを力ずくで引き留める。長い目で見て、将来を見据えて行動できるほど、まだ大人ではない。しかし残念なことに、何も考えずに突っ走れるほど子どもでもなかった。感情だけで動けるほど単純ではなくて、色々なことが頭の中を駆け巡るのだ。 それでも、前だけを見て、走る。 ごちゃごちゃと考えたことには蓋をして。 今走れと貴方が言うから、試合終了の笛が鳴るまで、私たちはそれに従うのです。 |