「私、英士のことが好き」 精一杯の勇気を振り絞って言った。 それは、椿が鮮やかに彩った公園でのこと。 いつだって英士とは学校で逢えたけれど、その日だけはどうしても、と公園に呼び出した。 柔らかい風が頬を撫でて何処かへと過ぎ去って行った。 でも、私にはその感覚なんてこれっぽっちも感じられなかった。 俯きそうになる自分に鞭打って彼を見つめ続けた。 「……、」 「ずっと、好きだったの」 震える唇を噛みしめて、同じ制服を身に纏った彼の反応を窺う。 私の告白に一度だけ驚いたように目を見開くと、英士はゆっくりと私から目を逸らした。 「ごめん」 それが、去年の話。 「英士、今日も練習?」 「ああ、まあね」 「そっか。頑張ってね」 あれから1年が経とうとしていた。 私は今日も英士に声を掛ける。 幸い、彼とは昨年に続いて今年も同じクラスになった。 席は近くないけれど、言葉を交わす機会は多い。 自分でも、よくやる、と思う。 この中学に入学してすぐに英士と席が隣になった私は、特に他意なく彼に何度も話しかけた。 彼がいつも何事にも関心がないというように自分の席で本を読んだり、何か考え事をしていて1人だったということが気になっただけだった。 そんな英士としつこくコミュニケーションを取り続けた結果、私はうっかり彼のことが好きになってしまった。 冷静で他人に興味がないけれど、本当は誰より野心家でさり気ない優しさを持っている英士に恋をしてしまったのだ。 そうして、私は彼に想いを伝えた。 自信がなかったと言えば、嘘になる。 何故なら、この学校で私以上に彼と親交のある女生徒はいないし、増して彼と名前で呼びあうような関係の人間なんてごく少数しかいなかった。 しかし、「ごめん」と昨年告げられた私は、つまるところ彼にフラれたのである。 そんな英士に対して、私は笑って見せた。 納得したように頷いて、「じゃあ、また明日学校でね」と肩を竦めてやった。 翌日、何事もなかったかのように英士に「おはよう」と告げると、彼はまた驚いたように目を見開いてから暫くの後に無愛想な返事をくれた。 それから私たちは、元通りだ。 進歩もなければ後退することのない関係を続けている。 「そうだ、。これ、この間の御礼」 「え?」 「合宿中のノート、とっておいてくれたでしょ。はい」 「、あ、ありがとう……」 そして、私の想いもまた後退することはなかった。 けれども進歩だけはし続けていた。 今、この瞬間も。 彼の差し出したコンビニで売っているような何の変哲もないチョコレート菓子。 たったそれだけのことに、心臓がドキリと飛び跳ねて疼く。 鼓動が、この人を好きだと主張を続ける。 「それじゃ」 教室を出ていく英士の後ろ姿を見送って、溜め息を1つ。 色白な彼には似合わないエナメルのスポーツバッグも、ごく稀にしか見せない控え目な微笑みも、涙が出そうなほどに愛おしい。 あの日以来口にしていない想い。そして、あの日以来育んできた想い。 それを伝える術もない現状に、涙が滲んだ。 「……、何やってるんだろう、私」 途端に、自分のことが惨めになる。 途方もない気持ちになって、私は鞄の中からマフラーを取り出して首に巻きつけた。 ここ数日で、気温はぐんと下がった。 その風の冷たさが、余計に心の温度を低下させる。 冬になると人肌が恋しくなるというのはあながち嘘ではないらしい。 吐き出した息が白く染まるのを見ると、なんだか寂しさが込み上げてきた。 「ねえ、君」 「、」 虚しさを堪え切れずに眉間に皺を寄せていると、不意に声が掛った。 おそらく、私に。 校門を出ようとしたところで顔をあげる。 そこに立っていたのは、英士だった。 「――、え?」 英士に、見えた。 「君、ヨンサ知ってる?」 「……ヨンサ?」 しかし、そう見えただけで実際は英士ではなかったようだ。 「あ、ごめん。エイシ、知ってる?」 「英士?」 英士とよく似た顔で、英士のことを呼ぶ少年。 そこまでは流暢だったはずが、英士の名を呼ぶときだけは少しイントネーションが乱れた。 そういえば、英士は韓国人とのハーフだと言っていた。 「綺麗な顔だよね、日本人離れしてるって言うか」彼を好きになる前、今となっては我ながらよくそんなことを言えたもんだと感じられるような言葉に英士が答えたのだ、「まあ、一応ハーフだからね」なんて。 ということは、この英士と見紛う国籍不明の少年は英士の親戚か何かだろう。 アジア人顔であることは間違いないし、母方か父方かどちらだったかは聞いていないけれど、どちらか側の親族のはず。 そう1人納得して、彼に答えてやる。 「英士なら今さっき帰ったところですよ」 「えー!そうなんだ!折角迎えに来たのに!腹違いだね!」 「……“入れ違い”?」 「そう、それ!」 御大層な言い間違えをしてくれた彼に、英士とは似ても似つかない性格を感じる。 似ているのは顔だけのようだ。 「ねえ、君!ヨンサとどういう関係?」 「……は?」 それがまた、突拍子もないことを聞いてくる。 どういう関係、だなんて。 「クラスメイト、ですけど」 「へえ、そうなんだ。ヨンサのこと呼び捨てにする女の子なんていないから、コイビトかと思っちゃった!」 「……残念ですけど、」 そう、残念ながら私は英士の恋人なんかではない。 残念だが、彼の期待に応えられない。 そして、私の期待にも、だ。 自分で言ってから、ひどく惨めな気持ちになった。 確かに校内でも私と英士が付き合っているのではないかなどと勘違いしてくれる輩は少なくない。 けれどこんなにも面と向かって言ってくる人は中々いない。 だから私にとって彼との仲を否定すると言うことは慣れた行為ではない。 ちくり、胸の奥が軋んだ。 「じゃあ、ちゃんの片想い?」 「――、え?」 目を、見開いた。 耳を、疑った。 彼は何と言っただろうか。 私の心を見透かしたような言葉。 それでいて、ひどく無神経な言葉。 けれど、それ以上に 「どうして、私の名前……」 彼は、一体何なんだ。 「吃驚させちゃった?僕は李潤慶。ヨンサの従兄弟」 吃驚したなんてものではない。 屈託のない笑みの中に、彼は一体何を潜めているのだろうか。 英士の従兄弟だと明かされただけでは何1つ疑問は解消しない。 彼は一体どうして私の名前を知っているのだ。 どうして、私の気持ちを、知っているのだ。 「ヨンサから聞いたことがあるんだ、君の名前。君でしょ、ちゃんって?ヨンサが名前で呼んでる女の子も珍しいからさ!」 英士から聞いたことがある。 それは一体どんな流れで、どんな話題としてだろう。 まさか、英士が彼に言ったのだろうか、自分に告白をしてきた愚かな女がいるって。 面白可笑しくネタにして、そして今日、彼は私を笑いに来たとでも言うのだろうか。 そんな考えが頭の中を一気に駆け巡る。 いや、でも英士はそんな人ではない。 他人に然して興味があるわけではないけれど他人を悪く言うような人ではない、はずだ。 私の知る限り――中々手厳しいことを言ってくれるところは大いにあるとは思うけれど。 「ね、実らない片想いなんて辛いでしょ?やめちゃいなよ」 「、なに、言ってるんですか」 僅かに細めた彼の目線は、英士にとても似ていて、英士ととても掛け離れていた。 優しげに私を気遣うような言葉の言い回しは、けれども鋭い牙をその裏に隠しているかのように思えた。 「ヨンサは君のことを好きにならないよ。絶対ね」 念を押すように付け加えられた「絶対」という言葉がやけに大きく響いた。 それは、誰より私自身がよく分かっていたことだったからかもしれない。 「あなたには、」 だけど、それでも、 だからこそ、 「あなたには、関係ない」 そんなこと、彼には言われたくなかった。 彼とよく似た顔をした彼に、言われたくなかった。 英士ではない彼に、言われたくなどなかった。 つんと、鼻先に鈍い痛みが走る。 言い放った言葉は、僅かに震えてしまった。 「……うん、そうだね」 少ししてから緩く微笑んだ彼は、そっと背を向けた。 合わせて、私も向きを変える。 彼とは別の道を進もう。 負けただなんて思わないけれど、逃げるわけじゃないけれど、同じ道なんて歩けない。 「…………」 じわり、視界が霞む。 水分を含んだ世界は、随分と歪んで見えた。 そんな中で、吹く風はそれでも尚心地良く髪の間をすり抜ける。 風が、吹いた。 「ちゃんに、ヨンサは勿体ないよ」 するり、髪先に何かが触れる。 「、」 「ヨンサは、はるばる逢いに来た従兄弟をほっぽって帰っちゃうようなオトコだからね」 よく聞けば英士よりも少し低いその声が、真後ろから聞こえた。 振り向くことも出来ずに、私はただ「え、」と声を落とす。 「ヨンサのことなんて、早く忘れちゃいなよ」 私の髪を梳いたのが風だったのか、あるいは彼の指先だったのかは、分からない。 「そうしたら、ちゃんにもっと良いオトコが現われるかもよ。例えば、」 ただ、ようやっと振り返った先で見上げた彼の眼差しがひどく優しく見えた気がした。 そんな気がした、だけかもしれないけれど。 「ボクとか」 冗談じゃない。 はっきりと、そう思った。 じくり、痛んだのは胸の奥の、もっと奥の方。 どう考えても短編で書く内容じゃなかった。 ユンたまが逢いに来たのは英士じゃなくて彼女だったというだけの話。 11年05月17日 夏乃みな |