窓際のベッドに腰かけて見下ろしていた通学路に、見慣れた人影が現れた。慌ててベッドから滑り降りると、折り目正しく正座をする。玄関の扉が開く音がして、ただいまと帰着を告げる声が聞こえた。内容はわからないけれど、母親と会話をしているようだ。そのくぐもった声が止み、少しおいて階段を昇る音が鳴る。ぎしりぎしりと階段を一段ずつ上がる度に音が徐々に大きくなる。私はこれでもかというほどに背筋をまっすぐ伸ばし、部屋の主の到着を待つ。果たして。

「………武士?」

 言うに事欠いてうら若き乙女に向かって開口一番武士かどうか尋ねるのはいかがなものかと思ったが、それくらい緊張感が伝わったと解釈して、それについては言及しないこととする。ひとつ頼みたい、と精一杯の厳かな声で言えば、「嫌だよ」と一蹴。ここで焦っては勝利を得られまい。私はとりあえず部屋の主こと幼馴染の郭英士が、学校指定の鞄を置いて自身の椅子に腰かけるのを待つ。小学生の頃から変わらない習慣で、郭は鞄の中身をすぐに入れ替え始めた。帰ったらまずすること、明日の時間割順に鞄の中身を入れ替えること。置き勉はしない主義。資料集くらいはしているらしいのだけれど、一度尋ねたら予習復習をするのにどうして置いて来るのか怪訝そうな顔をされた。生き方が違うらしいと悟ってそれ以来この話題には触れていないので、今回もその作業が終わるのを大人しく待つ。

「………何」

 明日の準備を終えたところで、諦めたのか郭が私の方へ向き直る。

「かたじけない。中学生男児の求めるものを教えていただきたく」
「何で武士なの?」
「いや英士が武士とかいうからつい」

 正座をして見上げる私に、座ったら?と自身のベッドを指さした。実は君が帰って来る前まではそこに座っていましたとはさすがに言わず、私はお言葉に甘えてベッドに腰かけた。

「で、何?」
「いや、さっき言ったとおり、中学生の男の子が喜ぶものって何なんだろうと思って聞きに来ました」
「どういうこと?何かプレゼントってこと?」
「そう、とある少年にセンスの良いものを送りたいという下心があって」

 郭がちらりと壁にかけられたかカレンダーへ視線を向けた。チョコレートじゃダメなの?と不思議そうに尋ねてくる。さすがは察しが良い。
 郭英士と私、は年がひとつ違いの幼馴染である。ひとつ年下のこの少年は、私よりずっと大人びていて、いつでも冷静なアドバイスをくれるので、昔からつい相談事を持ち込んでしまう。

「本人が甘いものが好きかどうかもわからないんですよ」
「聞きなよ」
「乙女心は複雑なんです。大体、あんまり話したこともないような女からの手作りのチョコレートとか不安じゃないですかね」
「誰も手作りとは言ってないけど」

 間もなく世の中はバレンタインデーを迎える。友チョコが流行ってはいるけれど、やっぱり本命には特別なものを贈りたい。
 私が今年勇気を振り絞ってチョコレートを渡そうとしている相手は、同じ塾に通う少年である。芸能人よりもよほど華やかな顔立ちをしたその少年とは、ほとんど話をしたことがない。教室内でも誰と慣れ合うでもなく一人黙々と勉強をしている姿を、離れたところから盗み見るのが最近の楽しみだった。その盗み見の御礼といえばいいのか、自分の後ろめたさを解消したいがための手段というか、そういう邪心からバレンタインデーという一大イベントを利用しようと考えついたところまでは良かったものの、身なりや持ち物から想像するに、育ちが良さそうなその少年に何を贈れば良いのか見当がつかない。そういうわけで、年が近く性別も同じである幼馴染を頼ってきたのである。

「何貰ったら嬉しい?」
「俺がから貰うという前提で答えると、そうやって悩んで考えてくれたものなら何でも嬉しいけど」
「愛されてるな」
「こうやって他の男に相談されるのは嫌かな」
「えっ」

 うっすらと浮かべた笑みが、本気であると物語っている。この幼馴染は、意味のない嘘はつかないし、自分で言うのもどうかと思うが私には甘いので、私が不利になるようなこともしない。そういうものか、と呟いて唸る。

「わかんないよ、俺の話だから。でも、もしが毎年くれていた誕生日プレゼントとかバレンタインのチョコレートとかを、他の男と一緒に選んでいたんだとしたら、今度からはそいつに相談するんじゃなくて直接聞いてねとは思うし」
「うーん、でもほら、相手はそこまで私に思い入れはないだろうし」

 どうしたものかと私はベッドから立ち上がる。特に意味はない。何となく座っていると落ち着かないような気がして、部屋の中をうろうろとする。「」郭が呼ぶ声がして、私はくるりと振り返った。手を差し出されるが、それがどういう意図の行動なのかいまいちわからず、とりあえず同じように両手を差し出したら、そのまま引き寄せられた。見上げてくる郭の表情は、相変わらずうっすらと微笑みが浮かんでいた。

「その人にはどうしてバレンタインにプレゼントを渡そうと思ったの」
「いや、日頃の御礼というか」
「俺にいつもくれるのは何でなんだっけ」
「…うん?」

 幼馴染だからとか習慣だからと返すのは簡単だけれど、どうしてかそう答えたらいけない気がして、私は首を傾げた。

「お世話になってるからその御礼。と、」
「と?」
「これからもお世話になりますの意味を込めた賄賂?」
「言い方は20点だけど理由としては及第点ってところかな」

 ぱ、と両手を解放される。郭は本棚へ手を伸ばすと、適当な雑誌を数冊渡してくれた。男性向けのファッション誌らしい。年齢層はどう見てももう少し高そうだけれど、持っていても不思議じゃないと思わせるところがさすがである。

「何かヒントでもあるんじゃない?」
「あるかなー、でもありがとう、これ借りてっていい?」
「いいよ。悩んだら連絡して」

 礼を述べて渡された雑誌を鞄に入れる。学校から帰ってきたその足でここへ来て良かったと思った。鞄がなくとも何の支障もない距離ではあるけれど。
 ちなみに、と私はふと顔を上げる。

「もしかして妬いた?」

 郭がとやかく言うのも珍しいなと思い、疑問に思ったことをそのまま口にする。問いを受けた張本人は、どこか楽しげに笑って見せた。返事はない。
 私たちは別に付き合っているわけではないのだけれど、生まれたその時から兄弟みたいにお互いが近くにいすぎて、切り離して考えることが出来ない。今のところは恋人にならずとも会いたい時に会えるしいつでも最優先に位置付けてくれるので不満もないが、誰かを選べと言われたなら他に選択のしようがないのではないかとは思っている。
 郭がどう考えているのかを知ることは出来ないけれど、大体同じようなものだろう。
 ちゃん夕飯どうするー?と階下から声がかかる。今日は帰ります!と大きな声で返事をして、そのまま鞄を手に立ち上がる。じゃあ英士またね、声をかけてひらりと手を振り出て行こうとするが、玄関先まで見送りに来てくれた。

「また相談するかも」
「どうぞ何なりと」

 自分がされたら嫌だと言う割に、他人の相談に乗ってはくれるらしい。踏み込んで確認する必要性はあまり感じないので、どういう感情が元になっているのか、詳しくは聞かない。椎名くんは何なら喜んでくれるんだろうなあ、と呟きながら扉を閉めると、直前に何か声が追いかけてきたような気もしたが、戻るのも面倒でそのまま郭家を後にした。





テリトリーの外側で







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夢アンソロ『あの日のあした』キリ番企画。
海条陸さんに捧げます。
リクエストに応えられているのか非常に疑問ですが、英士夢(?)でした。
距離を保ったヒロインと郭の関係も好きなのですが、幼馴染等のテリトリー内の人に対しては距離感が少しおかしい英士というのも好きだったなあと思いながら書いておりました。
想像とは違うものかもしれませんが、少しでもお楽しみいただけていたら幸いです。

海条陸さんへ> web拍手ではアンソロの感想もありがとうございました。
私も笛夢と共に青春を駆け抜けたので、アンソロであの時を思い出していただけていたら嬉しいです。
リクエスト、ありがとうございました!

またまたサイトに掲載するのを失念してしまっておりました…。これにてピクシブから撤退です。

20年3月1日 ピクシブ掲載
21年5月8日 サイト再録



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