似ていないね、と人は言う。
 似ているよね、と彼は言う。










12時42分続く











 デザイン性とその遮光機能の高性能具合に惹かれて購入したカーテンは、太陽が空高く昇っても、一筋の明かりも室内への侵入を許さない。お陰様で熟睡できると言えばできるのだけれど、休日は目を覚ませば昼頃というのもしばしばだ。その日も二人で出かけようと約束していたというのに、がベッドから顔を出した時刻は、既に11時を過ぎていた。「・・・・げっ、」低く唸って飛び起きる。バタンと大きな音を立てて寝室の扉を開けると、開けっ放しになっている廊下とリビングを繋ぐ扉の向こう側で、郭がゆっくりと振り返った。

「おはよう、随分寝てたね」
「・・・・ほんっとにすみません!」

 ソファにもたれかかる郭は、諦めたような顔をしている。それでもその表情から決して怒っているわけではないのだということが窺えて、はひとまずほっと胸を撫で下ろした。

「気遣わせてごめん」
「起こさなかったこと言ってる?があんまり幸せそうに寝てるもんだから、起こさなかっただけ。俺の意思だし、そこは気にしなくていいよ」

 リビングルームの入口で何となく佇んでいるに、郭は「顔洗ってきたら」と淡々と言う。はーい、と大人しく返事をして、は洗面所へと向かった。

 同棲を始めて丸一か月が過ぎた。郭のシーズンオフに合わせて都内のマンションを借りたのだ。リーグ戦が始まってしまえば家を空けることの方が多くなる。どうせなら今のうちに、と言い出したのは郭だった。拠点は広島で、加えて遠征や合宿の多い郭を都内に縛るようなことをして良いのだろうかとは心配していたが、彼曰く、「帰る場所は別にどこだって同じだよ」とのこと。そんなものだろうか、とが首を傾げたところで郭本人が良いと言うのだから別に反論する必要もない。

 顔を洗って幾分かクリアになった思考回路で、今日の予定を思い返し、は一人でため息をついた。やってしまった、というより他ない。壁にかかるカレンダーが示す日付は1月25日。郭の誕生日である。
 横浜まで足を伸ばしてデートする予定だったのだが、丸つぶれである。ディナーぐらいしか行けない。しかし思い返してみれば、ランチの予約を取ろうとしたを止めたのは郭で、こうなることを予想していたのかもしれなかった。仕事が忙しいことを、気にかけてくれたのだろう。
 リビングのテーブルの上には、が眠っている間に郭が準備したのだろう、いつの間にやらホットサンドとサラダが用意されている。広島では料理をする機会が多いのだという郭の腕は、めきめきと上がっていて、そろそろは追い抜かれているのではないかと思っている。こういう軽食の類は、完全に抜かされていると言って良い。そういうわけで最近、が力を入れている料理は少し凝った物になりつつあった。こういうものは郭に任せることにしたのである。
 が席につけば、美味しいコーヒーを両手に携えて郭が台所から顔を出す。

「・・・・何から何まですみません、誕生日なのに」
「誕生日だから好きにしてるんだよ。具も完全に俺の好み」
「好き嫌いないんで構いません、すみません」


 項垂れ気味のに、郭が名を呼ぶ。ぴくりと思わず緊張したのは、その声が思いの外優しかったからだった。
 いっそ責めてくれれば楽なのに、などと自分勝手に思ってしまった思考にも嫌気が差す。

「俺は別に、今日一日家で過ごすんでも構わないって最初から言ってたでしょ。もちろん、が考えてくれたデートも楽しみにはしていたけど。寝坊してしまった分はもう謝って貰ったから、謝罪はこれ以上いらない」
「・・・・はい、」
「誕生日お祝いしてくれるんでしょ。どうせなら楽しいことだけにしてよ」

 ね、と笑う郭の表情につられて、も少し眉を下げて笑った。それじゃあいただきます、二人仲良く手を合わせる。

 いつもそうなのだ、こうして最終的には甘やかされてしまう。怒られることはあまり無かった。と同じことでは腹を立てない。そういえば、とは自分もあまり彼の行動に対して腹を立てることはないと気づく。喧嘩が無いわけではない、が、多くはない。
 似ていないよね、と言われることが多い二人だが、案外ぶつかり合うことはないのだ。

「こういうところが、似ているよね」

 の考えを見透かしているわけではないだろうが、重なり合うように郭が言った。

「・・・・でもよく、似ていないね、って言われるよね」
「それこそ、中学の時から言われてるけど。確かに、は人懐っこくて明るくて、休日は外に出るのが大好きで、俺は仲良い友人が数人いれば満足だから万人に受けが良いような性格ではないし、休日は部屋にいることも多い。それでも根幹には相手がやりたいことをさせてあげたいし少しでも近づけたら良いなと思っている。そのための努力は惜しまない。そういうところは似ていると思うよ」
「そういうのって、恋人同士なら普通じゃないの?」
「普通なようで、案外少ないと思うよ。価値観が似た者同士が多いのって、元々そこの部分が重なってるからでしょ」
「なるほど。自分と違う相手の方が、良い意味で気を使えるし自分のためにもなると思うんだけどなあ。それに無い物ねだりとも言うように、自分には無いものに惹かれていくもんかとばかり」
「無い物ねだりって、自分が欲しいと思っていて、持っていないものを羨望することだと思うんだよね。俺たちがお互いに求めるものは違うでしょ。いいな、って思うというよりも、お互いに補うというか」

 が持っていないものを、郭はたくさん持っている。それを素敵だと思うけれど、確かにああなりたいと憧れるのとは違う。料理の件に関しても、それは明確だった。
 郭は既に食事を終えていて、食後のコーヒーを楽しんでいる。が最後の一口を飲み込むまで、マグカップを片手にその様子を見守っていた。
 そんな彼はふわりと微かな微笑みを湛えていて、はなんとなく気まずいようなむず痒いような気持ちになる。

「・・・・見すぎですよお兄さん」
「幸せだなあと思って」
「・・・・今?!寝坊した彼女見ていることが!?」
「はは、うん、そう」

 手出して、と郭の言葉が続く。何が何だかよくわからないまま、は黙って右手を差し出した。「違う、反対」不満気にそう言われたので、仕方なく差し出していた手を入れ替える。

 それはもう、ごく自然な動作だった。
 流れるようにするりと郭の手が動き、あ、と気が付いた時にはの左手の薬指にシンプルな指輪が光っている。
 動きと止めたまま言葉を発せずにいるを、郭はまた幸せそうに眺め、「結婚しようよ」と言った。そう、プロポーズである。

が仕事で疲れてるのに俺の誕生日のために色々と考えてくれていて、それが駄目になっても、こうやって二人でゆっくりと朝ごはんだか昼ごはんだかわからないような時間に食事を摂って、その間中がおそらく今日どうやって挽回しようかなって必死に悩んでいるのを見てたら、これはもう手放せないなって思った」

 音を立てずに指輪に口づけがひとつ。それでもまだ、は固まったままだ。

「多分、これから先喧嘩もするし、似ていないことも多いから、嫌な思いをすることもあると思う。でも、そういうのを、とならちゃんと乗り越えていけると思うんだよね。昔、俺がきっと一生踏み込めないって言ったの、覚えてる?」

 郭が問いかけると、そこでようやくはひとつ頷いた。

「あれは別に、線引きしているって意味で言ったんじゃないよ。ちゃんとお互いに向き合って、尊重していけるって意味だった」

 あの時は付き合っていたわけじゃないから、結果として突き放すみたいな言い方になっちゃったけどね。
 ぼんやりとするの頭の中に、じわりじわりと郭の声が広がっていく。
 プロポーズって夜景の見えるレストランでロマンティックに行われるものじゃないの!?とか、言うなら今じゃなくて夜でしょ!?とか、なんで自分の誕生日にこの人プロポーズしてんの!?とか言ってやりたいことは山のようにあるはずなのに、郭の落ち着いた声が身体中を侵食していて、それが幸福へと誘っていく。反論できないまま、口を開いたり閉じたり、何とも滑稽なことを繰り返していると、堪えきれなくなったのか、郭が吹き出した。

「言いたいことあるなら後で聞いてあげるから」

 返事は?ということなんだろう。そのまま返すのは悔しくて、「今、はいかイエスで迷ってる」と返してやれば、今度は声をあげて短く笑う。

 踏み込むことは無いと言われたあの日から、今日のこの瞬間に結びつくとは誰が予想しただろう。否、郭は予想していたのかもしれないけれど。



 思い出だけがきらきらと光っていた。
 その光が随分と強烈で、先にある道など、見えやしなかったのだ。

 ある冬の午後の昼下がり、二人揃って続く道に向かって歩き出す。





END
++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++
郭英士誕生日企画【0125―vol.time―】様提出
HPにあげるのを忘れていた…

16年05月08日 HP再録

back