20歳になった。

 幼い頃、大人というのはさぞかし楽しいに違いないと思っていたし、さぞかし立派なんだろうと思っていたけれど、実際にその時が来てみれば、いつもと変わらずただ一つ年を取っただけだった。変わったことと言えばお酒が合法的に飲めるようになったことくらいだろうか。環境の変化から考えてみれば、去年の方が大きな節目だった。
 そんな、大していつもと変わらない、大学2年の冬だった。











カノン倣う











、成人式のお知らせ来たよ」

 3時限目からの授業なので、リビングでだらだらと過ごしていると、母親から声がかかる。声がした方を仰ぎ見ると、ひらりと葉書が舞い落ちてきた。開催日時や注意事項にざっと目を通す。一番下には中学3年時の各クラスの学級委員の名が一名ずつ乗っていた。成人式実行委員会というらしい。ぺらりと葉書の端から剥がした先には、同窓会のお知らせ、と大きく書かれている。同窓会、という言葉を見ると、どうしても高校時代の友人が言っていた「過去の自分が恥ずかしいことをしてくれたせいで大変行きづらい」という言葉が思い浮かぶ。果たして自分に目を背けたくなるような過去などなかったように思うけれど、ちくりと胸が痛むように苦い思いならある。我ながらいつまで引きずるのだろう、と呆れ返ってしまう。
 手にしていたボールペンをくるりと回す。出席、に力強く丸をつけた。無意識に気持ちが込められる。
 きっと来ますように。

 この気持ちに、終わりが来ますように。





 成人式会場に、彼の姿は無かった。忙しいみたいだね、と皆がそれとなく噂しているのは、同級生の中で間違いなく彼が有名人だからだった。ちゃん、久しぶりー!たくさんの声が私に降り注ぐ。一つ一つに応えながら、思い出話をしていたら、式典などあっと言う間に終わってしまった。会場の時間の都合があるのだろう、終わればすぐに追い出され、華やかな振り袖に身を包んだ女子たちは、写真撮影に勤しんでいる。たくさんの友人たちに囲まれながら撮影会を楽しんでいたら、私たちはいつの間にか最後だった。係の人らしきスーツを着た男性に、随分とそっけない態度で門外へ追いやられる。外なんだからいいじゃんねー、と中学時代からあまり変わらない様子で友人が頬を膨らませた。

―、同窓会までどっかでお茶しようって話になってるけど、来れる?」
「あ、ごめん、おばあちゃんに振り袖見せに行こうと思ってるんだよね。あー、残念!」
「そっか、でも同窓会は行くっしょ?うちら皆で行くけどどうする?」
「んー、直接会場行く」
「わかったー、じゃあまた後でね!」

 本当は式前に祖母には振り袖姿を見せてあった。なんとなく、このままずっといるのは疲れてしまいそうだと思ったのだ。何せ飲み会が待っている。そこでまたきっと騒ぐとなれば、体力を温存していくに越したことはない。
 くるりと友人たちに背を向けて歩き出すと、まだテンションの高い彼女たちの声が聞こえてきた。「そういえば郭くん、同窓会は来るらしいよ」「えっ、ほんと!?っつか何で知ってんの?」「れーちゃんが言ってた」黄色い歓声を上げながら彼女たちは遠ざかっていく。

 来るんだ。

 少しだけ動揺する心臓を落ち着かせようと、息を大きく吸い込んだ。ゆっくりと吐き出す。
 かつて、私と似ていると言った少年。けれど、妙なプライドなのか怯えなのか、とにかくそういう言葉で明確に表せない何かが邪魔をして、私は彼に近づけなかった。

 踏み込めないよ。
 でも、だからずっと、キレイなままだ。

 郭は私にそう言った。それが、最後の彼との記憶だ。なるほど、彼の言った通りだった。ずっときらきらと光ったまま、彼は、否、彼との思い出はこびりついたように私の中から剥がれていかない。ずっと光っているから、忘れることもなかった。だけど多分、このままでは囚われたままだ。

 よし!小さく、けれど力強く呟く。
 同窓会までは、あと3時間。





 予想はしていた。
 少しばかり遅れて登場した郭は、会場に足を踏み入れた途端、歓声に包まれて一時飲み会がてんやわんやになった。矢継ぎ早に質問が飛ぶ。淡々といくつかに答えたら、後は早々に自分のグループへ引き上げていく。えーもっといればいいのにー、という声に肩を竦めるような仕草をする。あまり変わっていなかった。郭を取り囲んで盛り上がっていたのは、私を含めた一番騒がしいグループで、戻ってきた彼らは最初こそ落胆して見せたものの、後は郭の話を肴に酒を飲む。そうしてしまえば気分はまた上昇して、大騒ぎになる。私はと言えば、彼らと一緒に一応取り囲んでは見たものの、直接話すことはできなかった。皆があまりにも盛り上がるものだから、逆になんとなく冷めてしまったのだ。一番端のところで不思議がられない程度に盛り上がる。そして、そのまま下がる。
 相変わらず交わらない。これも変わっていなかった。
 私たちは所属するグループが違うのだ。仕方ない。
 テーブルを一つ隔てた向こう側で、郭はかつての級友たちと談笑している。彼ばかり気にかけているのももったいない。久々に会った友人たちと交流したいのは私も同じだ。一旦忘れよう、私は頭のスイッチを切り替えた。



 二次会はカラオケに行こう、ということになった。この辺りからグループ毎に別れ出す。違うグループの子たちに別れを告げながら横断歩道を渡ろうとしたところで、ポーチを化粧室に忘れてきたことを思い出した。「わ、ごめん忘れ物した、先行ってて!」「えー何してんのまったくー!じゃあ部屋番メールするね」ごめんと手を合わせて私は最初の会場へと戻り始めた。
 もう会場にはほとんど残っておらず、1人2人見かける程度だった。一応私たちはカラオケに向かっていることを伝えて私は足早に階段を駆け上がる。開けた扉の向こう側から、いらっしゃいませ!と威勢よく声をかけてくれた店員さんに頭を下げて忘れ物ですと告げて、店内奥を目指す。思っていた通りのところに、ポーチはちょこんと所在無さそうに置いてあった。はあ、と安堵の息ともため息とも取れる一呼吸を吐き出して、鞄に仕舞う。さすがに走ったらお酒が回ったようで、ふわふわと変な気分だ。冷水でうがいをして、再び居酒屋を後にする。細い階段を下ろうとしたところで、ふと一番下に人影があることに気付いた。
 どくん。
 心臓が一度波打つ。たぶんこれは、アルコールのせいじゃない。

「変わんないね」

 私に気付いて顔を上げたのは、他でもない郭英士だった。寄り掛かっていた壁から、重心をずらして、私の前に立ちはだかる。

「相変わらず、の周りには人が集まるね」
「・・・・郭には言われたくないけどなあ」
「俺のは肩書きがあるからでしょ」
「まあ、確かに、倍増していたね」
「同じだけの人数が、の周りにいたよ」

 郭とこうして話すのは、実に中学の卒業式以来だった。けれども、久しぶり、という単語がすっかり頭から抜け落ちるくらいには何も変わっていなくて、懐かしさが込み上げてくる。そうだ、この不思議な安心感が、私は好きだった。

「ところで、どうしたの?もう誰もいないと思うけど」
「うん、が俺と話をしたそうだったから、一人になるタイミング狙ってきた」
「・・・・はい?」

 間違いはなかった。確かに私は郭と話したいと思っていたけれど。

「違うの?」
「いや・・・・違わないけど・・・・え、何で?」

 何でわかったの、その意を込めて問うた私の質問を、郭はきちんと読み取ってくれたようだ。

「あのね、ずっと見られてたら、気づくに決まってるでしょ」
「みっ、」
「見てたよ」

 動揺したまま、見てないと続けようとした私の言葉は、あっさりと郭の言葉で塗りつぶされた。そんなに凝視していたつもりはないけれど、何度も送っていた視線は、気づかれていたらしい。側にいた友人たちには気づかれないよう細心の注意を払っていたので、まさか離れた郭に気付かれているとは思わなかった。
 体温が一気に上昇していく。お酒が入っていてよかったと思った。そうでなければ、きっと赤面していることがバレてしまう。

「で、何?」
「・・・・何、と言われると困るんですけどね・・・・」
「用もなくあんなに見てたの?」
「うっ・・・・」

 改めて、用、と聞かれると言葉に詰まる。私が勝手に過去から引きずっている名前をつけられない感情を清算したいと思っているだけで、郭にとっては何でもないことなのだ。しかも清算しようにもどうすれば良いのかいまいちわからない。ぐるぐると思考がおかしな方向に回路を繋いでいく。アルコールのせいだ。

 歩こうか、と郭が言った。カラオケに行かなければ、という思いが頭の片隅を掠めたけれど、結局私はひとつ頷いて横に並ぶ。普段であればこんな風に静かにしていたら、きっとどうしたのと質問攻めにされるだろう。郭だっていつもの私を見ているだろうに、何も言って来なかった。そういえば昔も私は郭の前では静かだった。ほっと息をつける場所に、久しぶりに帰ってきた気分だ。

「あのさ、郭が言った通りだった」
「うん?」
「ずっと、キレイなままだったよ」

 少し歩いたところで私がぽつりと呟けば、郭はぴたりと足を止めた。私は彼より二三歩先に進んで立ち止まる。
 踏み込むことはないと、彼にかつて断言された。それは多分、私たちが反対側を向いていたからだ。

「郭が言うみたいに、私たちは多分、お互い重なることはないんだろうなって思った、けど」

 何が言いたいのだろう。
 正直自分でもよくわからなかった。けれどここで話すことを躊躇ってしまったら、きっと本当に一生重ならないで終わってしまうに違いなかった。
 今日会わなければ、ずっとそのままで、諦めたのかもしれない。でも、会ってしまった。もう一度、彼の空気に触れてしまったら、名前のわからない感情が溢れ出てしまいそうになった。多分、もう溢れている。

「・・・・でも、ずっときらきらしてる、から。・・・・忘れられなかったよ」

 怖くて振り返ることはできない。
 踏み込むことが怖くて線引きしていたのは私で。その線を少し飛び越えるだけでもこんなに緊張するのかと呆れた。
 、と郭の静かな、けれど凛とした声が呼ぶ。その声に引かれるように私はゆっくりと彼へ向き直る。かつてのまま、少し大人びたけれど変わらない、彼の目が、じっと私を見つめている。

「あのね、それ、どういう意味で言ってるかわかってるの?」
「・・・・どうだろう、名前をつけるのはずっと避けてるから」
「前から思ってたけど、気持ちを追いかけるように話していくよね。考えてないでしょ」
「えっ、いや考えてるよ!考えて、わからないからさ、」
「とりあえず従ってみた?」
「・・・・そんな感じ?」

 そういうところも反対なんだよね・・・・、と言う彼の声は、呆れているようで、優しかった。

「俺は今告白されているということでいいんだよね?」
「やっぱりこれは、恋なのかな?」
「・・・・忘れられないんでしょ、誰かのことが」
「忘れられないね、郭のことが」
「それはつまり、」
「好きです?うん、そうだね、好き」

 今度こそ、呆れられた。はあ、と長い息を吐き出して、彼は片手を額に当てる。自覚してなさそうだったから離れたんだけどね、そう言った郭の言葉の真意を考えて私は笑った。

「大丈夫、ほらもう踏み込んでも怖くないよ!」
「いきなり開き直られてもね・・・・」



 気持ちばかりが先行した。それに向き合うことも名前をつけてしまうことも怖くて先を行く気持ちを追いかけることは出来なかったのだ。
 そういう風に足踏みしてしまう程度に、私はまだ子供だった。
 何も変わらないと思っていた20歳。

 大人になったから、追いかけてみよう。

 名前を付けることが怖かったあの気持ちに、終わりを告げる。

 ちゃんと、恋をしてみよう。





END
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郭英士誕生日企画【0125―vol.music―】様提出

15年01月20日 HP再録

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