そろそろ宿題でも始めるか、と机に向かったと同時に光る新着メールを告げる青。ぱかりと携帯を開いて確認すればつい数時間前に別れた部活仲間から。 差出人:三上亮 件名:無題 本文:チャリ貸せ。 「?どっか行くの?」 重い腰を上げた私に、ルームシェアしている三つ上の幼なじみが訝しげにそう言った。ちょっとね、私の言葉にさらに怪訝そうな顔をした彼女だったが、すぐに興味が削がれたかのようにテレビに向き直ると、ゲームを再開してしまった。その背中にいってきますと告げると、ひらりと右手が上がった。 鉄にしては軽い、クリーム色の扉を開けて外に出ると、まとわりつくような夏の熱気が押し寄せてくる。急激に学校まで向かうのが面倒になってきたけれど、どうせ行くまで催促のメールが止まらないことを、私はとっくに学んでいた。お気に入りの去年の夏に母が買ってくれた真っ赤なビーチサンダルをぱたぱた言わせながら自転車置場へと向かう。途中ですれ違った隣に住むおばあちゃんに「あらちゃん、お買物?えらいわねぇ」と言われたのに対し曖昧な返事を返しながら、むしろ買い物よりももっと偉いことをしに行くんです誰か褒めてください、と願った。 暗い色に沈み込んでいく人気の少ない商店街を自転車で颯爽と突き進む。私の家から武蔵森まで自転車で5分。普段は歩いて通る道の景色がスピード感を増して通り過ぎていくというのは何度見ても不思議な気分になる。光るイルミネーションがぽつぽつと点滅するアーケードの端を潜り抜け、小さな坂を一気に下ると住宅街の中に学校がそびえ立っているのが見えた。夜の学校は当たり前だけれど気持ちの良いものではない。 校門のところに人影が見える。きっと三上先輩だろうなと思いながら近づくとやはり。 「あー、悪ィな」 機嫌の悪そうな彼が立っていた。 「悪いと思うんでしたらまずあのメールの文面どうにかしてくれます?あれが人に物を頼む態度ですか?」 「はいはい努力シマス。」 私は自転車から降りると三上先輩へとハンドルを託した。後ろの荷台へ回ってそこに座る。 我が武蔵森学園にはサッカー部専用の寮がある。専用も何も寮はそれしかないのだけれど。だから私のように他県に実家がある子は少なく、そういう生徒は知り合いが近くにいる場合が多かった。私は確かに所属部活はサッカー部ということになっているけれど、さすがに男子寮に入寮することはできない。そしてそんな男子寮から、最近自転車10台が盗まれるという、わけのわからない事件が起きたために現在の彼らの移動手段は専ら徒歩なのであった。 と、いうことで、ここ数日こうして私は駆り出されているのである。もちろんただで彼らに奉仕などするわけもなく。 「なんかじゃがりこの新作出たみたいなんですよねー」 「はいはい買わせていただきますよ」 三上先輩がペダルを踏み込むと、私の自転車は軽快に走りだした。 「で?今回はどうしてまた自転車が必要になったんですか?」 「あー、談話室にいるメンバーでアイス食いてえっつー話になって、たまたまそこにいたのが俺以外皆三年の先輩だったから、な」 顔に似合わずそういうところは律儀だと思う。私の勝手な想像だけれど、三上先輩は割と厳格な家で育ってきたのではないかと推測している。それを笠井に言ったらなんだかとても嫌そうな顔をされた。どうしてなのか今でもわからない。 「で?お前、その後どうなのよ?」 何の脈絡もなく突然三上先輩はそう言うと、あの彼特有のニヤニヤとした笑みを浮かべながら振り返った。まったく微塵も意味がわからなかったので、私はおそらく今日一番の眉の依り具合だったと思う。 「はあ、何がですか?」 「水野とだよ」 ぶはっ!と私は可愛げもなく吹き出した。 私が水野を好きだというのは周知の事実らしい。 「・・・どうもなにもないですよ。そもそも、ほんとに水野のこと好きなのかわからないし」 「はぁ?何ガキみたいなこと抜かしてんだよ?」 仕方ないじゃないですか、私が不貞腐れると、意味わかんねえよ、と納得がいっていないらしい彼の声。 本当に、私自身よくわからないのだから、どうしようもないのだ。 さすがに「今までに人を好きになったことがないから人を好きになるっていうのがどういうものかわからない」とかそんな馬鹿らしいことを言うつもりはない。人並みに恋だってしてきたし、今までに恋人がいた時期だってある。毎日が楽しくて、毎日が忙しかった、片思いの日々と今がどう違うのかと言われると違いはないとしか思えない。 けれど。 あの美しさを見ていると。 田舎で見た夕日と海の美しさに対する称賛と彼に対するこの思いが同じなのではないのかと思えてくるのだ。 「だって綺麗すぎでしょ・・・」 おそらくは彼の持つ美しさが私の定義する美しさにぴたりと当てはまってしまったから。 こんなにも、美しいと見とれてしまう。 「あー?んだよ、お前水野の顔が好きなのかよ」 「まあ8割は。あたしは美しいものが大好きなんで」 「なんだそりゃ」 だから先輩のことも割と好きですと言うついでに背中からしがみ付くと自転車が傾いた。「ばっ・・・!危ねえだろうが!」、三上先輩は怒鳴ったけれど、私を引き剥がそうとはしなかった。 水野を好きな理由なんて、今はまだ考えたくない。 |
END ++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++ 水野は綺麗だと思う。(・・・・・・・) 08年07月02日 |