「、知ってる?」 今日が何の日か、笠井のその言葉に、私は古典の予習を中断して、ゆっくりと顔を上げた。 え、何?私がそう聞き返すよりも早く、彼はおはようと言う。順番おかしくないかとか思ったけれど条件反射で私もおはようと返してしまった。 「今日が何だって?」 ことりと真っ赤なシャープペンシルを木製の机に置いた。もう冬も到来しているこの時期の朝はさすがに寒い。ストーブをつけたいところだけれど、残念ながら灯油切れだった。あと20分すれば係が新に灯油を取りに行くはずだから、それまでは真っ黒なコートで身を温めなければならなかった。 「だから、今日は何の日かって話」 「え、何かあったっけ?」 何か提出物でもあったっけ、と私が首を傾げれば笠井から返ってくるのは小さなため息。ぎろりと彼を睨んでみても、意味はない。 「失格だね」 「何が」 そう聞いて見上げると笠井はにやりと笑った。ああ、あの顔は間違いなく嫌なことが起こる前触れだ。絶対に、良くないことを企んでいる。 私は必死になってほとんど活用されない脳を最大限までフル稼働して、今日と関連ある出来事を探してみたものの、見つからない。 「・・・ふうん、ほんとに知らないんだ」 そう言えば隣のジョニー(コッカスパニエル)がお嫁さんをもらう日だったかなという笠井が知る由もないような事を思い浮べたところで彼は言った。 それは本当に意外そうで、こっちこそ面を食らってしまう。そんなに大事なことならば、忘れそうもないのに。 「何の日なの?」 「さあ?自分で考えてみれば」 「考えてもまったくわからなかったから聞いてんのー」 教えなさいよ!寒さで赤くなっている手で消しゴムを引っ掴んで笠井に投げ付ける。もちろん彼はあっさりとそれを躱した。 こつん、笠井の後ろに飛んでいった消しゴムが落ちる先は、薄汚れた教室の床か、乱雑に並べられた机や椅子のはずだった。しかし、それらに当たったにしては柔らかい音が聞こえてくる。 「何してるんだ、・・・」 笠井の後ろには水野竜也があきれ顔で立っていた。 「水野!」 慌ててその消しゴムを投げたのは私ではないというようなことを言ってみたけれど、すぐに一蹴された。それもそうか、この教室には私たち以外誰もいない。 がたりと椅子を引いて鞄を置く姿さえ美しく見えて、本気で水野さえいれば私は生きていけるんじゃないかと思った。笑いかけられた日には、一日中幸せだ。 と、私が呑気にそんなことを考えている時だった。 竜也、と笠井が水野を呼ぶ声が聞こえたかと思うと、笠井から水野へ、何かが放物線を描いて投げられる。 何か、小さな箱のようなものだった。 「それなに?」 私が水野に聞くと、彼は不思議そうな顔をして、笠井を振り返った。なに?透き通る声で水野が言う。軽く振るとかたかたと音がした。 「誕生日おめでとう」 さらり、笠井は言った。 水野の顔が一瞬驚いたように固まって、そのあとに照れたような少し赤くなってお礼を言ったこととか、その包みを開けて黒いリストバンドが出てきた時の彼の反応とか、私にはおいしすぎる展開がほんの少しの間に色々起こったけれど、正直私の頭の中はそれどころではなかった。 え、なに、聞いてない、今日、誕生日? 混乱する中で、なんとかして、今日=水野の誕生日という公式だけを無理矢理飲み込んだ。 飲み込んで、10秒フリーズ。 「ちょ、笠井!なんで教えてくれなかったのよっ!!」 がたん!後ろで椅子が倒れた音がしたけれど気にしない。 知らないっていう事実の方が不思議だよ、と笠井。確かに。 好きな人の誕生日を聞いておかないで、どうするんだと思った。 水野が困ったような顔で私と笠井を見ている。あーこの顔も好きだなあ、なんて考えだした頭に、さすがの私も危機感を覚えた。そんなこと、考えている場合じゃない。 「ねぇっ水野今日のお昼私が奢ってあげるっ!」 「え、いや、いいよ」 「なんで!?誕生日なんでしょ!?」 「誕生日学食とか、何それ」 「うっさい笠井!」 お願い、そう顔の前で手を合わせて水野に頼む。少ししてから頭になんだか柔らかい感触を感じて目を開けた。 水野の手が、頭を撫でてくれている。 水野が、近い。 「別にいいから、気持ちだけで。それより、言って欲しいな、と、か・・・」 最後の方は横を向いて顔を赤らめながら彼は言った。え、と私が小さく言うと何でもないとさらにそっぽを向いてしまう。真っ赤になった彼を見ていたら何故か私まで赤くなってきて、思わず笠井を振り向いた。 おめでとう、 笠井が口の動きだけでそう言った。本日二度目の失態。なんたること。 「水野っ、」 顔を両手で挿んで無理矢理私の方に向ける。水野は、突然のことに驚いたような顔をしていた。 「誕生日、おめでとう!」 |
END +++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++ 間に合わなかったけど、水野誕生日おめでとう! ちょっと水野夢っぽくなった!お久しぶりの高校武蔵森。 07年12月02日 |