「納得がいかない」

 黙って黙々と仕事をこなしていた笠井が、口を開いたと思えば出てきた言葉はそんなものだった。
 仮入部も終わり、今週末で入部も締め切るという4月下旬。データの整理に追われていた私の横で、笠井はその日当番である部誌に何やら細かい文字を書き込んでいた。部室のドアを開けるなりズカズカと入り込んできて、そして何も言わずに隣の席に腰を降ろすと部誌を書きはじめたものだから、唖然としてその様子を覗っていた。いつまで経っても一向に笠井が私に興味を向けないので、段々と馬鹿らしくなって私も自分の仕事をしていたところなのだけれど。
 ギシ、と古くなった木製の椅子を軋ませてゆっくりと顔をあげ、隣の笠井を盗み見る。視線は部誌に向けたままだった。

「・・・・何が?」

 返事をしてみる。

「あ?」

 ひどい仕打ちだと思った。せっかく人が返事を返したというのにこの態度。それだけ笠井が怒り狂っているということなのか、はたまた普段が猫被っているということなのか。後者の場合、これまでの私と笠井の付き合いが恐ろしく薄っぺらなものだったことになるので怖すぎて御免被りたい。

「いや・・・・だから、何が納得いかないのかなあ、と思いまして・・・・」
「・・・・俺、口に出してた?」
「そりゃもうはっきりと」

 はあ、と笠井は盛大なため息をついた。正直ため息をつきたいのはこっちだよ!と言ってやりたかったけれど、本人がこれまで見たことがないくらい参っているようにも見えたので、私は黙っていた。
 笠井とは別に何でも話せる仲というわけではない。
 もちろん比較的仲の良い方だし、否、かなり仲の良い部類に入るけれど、それは部活という媒体が私たちを介しているからであって、部活動の関係ない話で、そこまで深い話をしたことはない。お互いが身をおく環境が似ているから(クラスも部活も一緒)、言葉が少なくても大体のことは通じてしまうのが、私をたまに勘違いさせるけれど、別に大親友というわけではない。
 はずだ。
 だから、笠井が苛立ちを覚えているのはわかるけれど、それが何故なのか、皆目見当がつかなかった。

「・・・・はさ、縦社会、実力至上主義をどう思う?」
「・・・・うわー、これまた重い話題だな・・・・」
「重いって思う程度には、自身がそれとここと、切っても切れない関係性があるってわかってるってことだよ」
「いやー、それはどうだろう・・・・」

 そういうことか。
 ああそれに対して苛立っているのか。

 それならば、何となく想像はつく。ここ最近の部活の雰囲気を思い出して、私は少しだけざわついた心を無理矢理落ち着かせなければならなかった。今まで当事者ではない振りをして、目を閉じていた事実が、いきなり目の前に放り出された。避けようにもさすがに道はない。

「でも、よくも悪くも、それが作用してるよね。そういう意味では、ここは上手く回っていると思う」
「上手く?それはの大好きな水野がああいう立場なのがわかって言ってんの?」
「そうだよ。それに別に水野だけじゃないでしょ、藤代だって渋沢先輩だって、三上先輩だってそういう立ち位置でしょ」

 私も笠井も、もやがかかったような発言しかしない。それは、認めるのが怖いというのもあるし、何よりも自分の気持ちがはっきりとしてしまうことが怖いからだ。少なくとも私は。
 笠井は今、何を考えているのだろう。
 いつも笠井を見ていると、そんなに不安そうな顔をしないで、と言いたくなる。けれどそれを認めることも、ましてや他人に見せることも嫌っているんだと思う、そう感じてしまうから、上手く話しかけることはできない。

 私は、選手ではない。

 だから、わからないことが多い。

 

 特に、サッカーにかける想いは。



「羨望と嫉みはいつだって紙一重だからね」



 ぽつん、とまるで転がるにように言葉が響く。笠井が言ったのだ。私は、そこの込められた気持ちも読み取ることはできなかった。薄暗い部室の中で、笠井の表情はいつも以上に白く見える。そうだね、と同意してしまうことは簡単だけれど、笠井と、さらに言えば部員たちと、同じフィールドに立ったことのない私から同意を得たところで、きっと笠井の得にはならないだろう、と言葉にはしなかった。
 そうしてそれを、悔しいと思う。

「でも、」

 自分が思っていた以上に、大きくてピンと張りつめたような声が出た。少しだけ目を見開いて驚いた表情を見せる笠井を、真正面から捉えながら、私は言葉の続きを探す。



「それを受け入れる必要なんて、どこにもないよ。紙一重だけど、違うもの」



 だから笠井は、藤代みたいになる必要はないんだよ。そう言えば、笠井の瞳が、一度大きく揺らいだように見えた。
 嫉みを向けられた人を、可哀想だと思う。理不尽だと思う。けれど意外なことに本人たちはそれを受け入れる、三上先輩と水野はただ耐えて、藤代は正論すぎる正論を持って言い返す。だから私は言いくるめられてしまう。そこで、諦める。
 けれど、笠井は違った。
 おかしいと思うことを、真正面から攻撃する。例えば、藤代を。
 嫉む人を、ではなく、それを受け入れる、藤代や水野を。
 理由は至ってシンプルだ。自分は、そちら側にいないから、理解ができない。多分、そういうこと。そして、私も笠井側の人間だ。おそらくはほとんどがこちら側で、向こう側の輝いている人たちの方が、少数なのだ。
 それなのに、勝てない。
 それは多分、絶対的に正しいのは、向こう側だから。

 帰ろう、と笠井が立ち上がる。私は返事はせずにその後に続いた。日が落ちて暗くなった校内を、無言のまま歩いていく。ひんやりとした空気が、春だということさえ忘れさせる。
 校門を出て、十字路で別れるまで、結局笠井は一言も話さなかった。



 ――仕方ないことじゃん、差があることは事実なんだから。



 いつかの藤代の声が、浮かんで消えた。







   


END
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なんだかこのシリーズいつから暗くなったんだろう…。

12年04月24日


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