雑煮が食べたい。 そう言いだしたのは根岸先輩だった。選手権も終え、フットワーク中心の冬期練習に入った寒い1月の半ばのことだ。正月に食べただろうが、三上先輩がなんだかよくわからないパソコン雑誌のようなものに目を滑らせている。「今年うちはお汁粉だったんだよ!」、だから雑煮が食べたいらしい。お汁粉しか食べない正月が存在するのかと気になったけれど人様の家庭には色々な事情があるようだ。 今部室にいるのはもう引退を迎えた元部長副部長と、2年生レギュラーを中心に、加えて1年生の藤代、笠井、辰巳、清水、遠野、つまりは一軍メンバー。ちなみに水野は桐原先生に呼び出されて中等部まで行ってしまっていて今はいない。 「・・・根岸、まだ先輩方もいらっしゃるんだから」 「あーいいよ渋沢気にしなくて、お前相変わらずまっじめだなー」 部長は何故か満足そうに頷くと、「じゃあ、頑張れよ」そう言って渋沢先輩と握手すると静かに部室を出ていった。それを見た副部長も三上先輩を思いっきりひっぱたくと「渋沢に迷惑かけんじゃねえぞ、三上副部長」けらけらと笑ってやっぱり同じように部室を出ていった。 引継ぎはもう終わっていたのだけれど、元幹部の2人がどうしても一軍に伝えたいことがあるからと部活後に召集されたのだった。 何故私がいるかと言うと、私も呼ばれたからだった。何で私も?、笠井にそう尋ねたら「マネージャー、しかいないからだろ。そういう意味じゃも一軍なんだよ」、当たり前のように返された。 「、じゃあ悪いんだが次の練習から、しばらくはずっと一軍を中心にサポートしてもらうことになると思うから」 「あ、はいわかりました」 「あーもういいじゃんそういう業務連絡みたいなの!雑煮食べたいー!」 根岸先輩の頭は完全に雑煮に占領されたらしい。三上先輩辺りが適当にあしらって終わるのならば、きっと水野辺りは森サッカー部を心から愛していただろう。ところがそうはいかないのが武蔵森学園サッカー部である。 「寮のおばちゃんに鍋借りればいいんじゃん!」 「お前雑煮と鍋は同じもんだと思ってんだろ。違うぞ」 はしゃぐ藤代に、三上先輩は釘をさす。 「えー、でも家で雑煮食べる時はまず鍋に作ってそれをお椀にわけるじゃないすかー」 藤代がやろうとしていることは間違いなく違うような気もしたけれど、彼はもうやる気満々だったし、渋沢先輩辺りも心なしか楽しそうだったので、私は三上先輩と顔を見合わせる。彼は少しだけ間を空けてそれから一つ、大きなため息をつくと面倒臭そうに顔を歪め、でも結局「買い出しは行かねーぞ」、と言った。三上先輩らしいなぁと思う。 「さっすが三上先輩!んじゃ俺買い出し行ってくるんで、先輩鍋よろしく!」 行こうぜ、藤代は清水と遠野を引きつれてバタバタと部室から出ていった。 藤代の出ていった部室は安堵感とそれから物足りなさが漂う。結局のところ彼はやっぱりムードメーカーで、彼を中心に回っているようなところがあるのだろう。 ちらりと横目で部室を確認する。どんなに贔屓目で見ても鍋などできる状態ではなかった。 「・・・じゃあ、あたし、ここを軽く片付けます。キャプテン、笠井、手伝ってもらえます?」 「それは構わないが、コンロはどうするつもりだ?」 「鍋と一緒に貸してもらえるんじゃないですか?」 「おいこら待て、俺に鍋とコンロ両方持って来いって言ってんのか?」 「三上先輩なら大丈夫ですよ。ね」 「っざけんな俺があのババア苦手なの、笠井、お前も知ってんだろうが!お前が行けよ。ついでにネギも連れていけ、ここに居ても邪魔だ」 三上先輩の言葉に心外だと言わんばかりに根岸先輩が反論を試みようとしたけれど、渋沢先輩の一言によってあっと言う間に鎮圧された。「確かに」、根岸先輩は片付けが苦手なのだろうか。 バタバタと藤代たちに続いて笠井と根岸先輩が部室から出ていって、結局残ったのは渋沢先輩と三上先輩と中西先輩、辰巳に大森だった。笠井も藤代もいないのはなんだか新鮮でうきうきするような、けれどやっぱり緊張するような変な感じだ。 「根岸先輩、片付け苦手でしたっけ?むしろその逆のイメージがあるんですが」 辰巳が早くも机の上に散らばった誰のものかわからないノートやらプリントやらを片していく。横でなんとなく見ていた私と大森も、彼の動きにつられてのそのそと自分の身の回りから片し始めた。 辰巳の質問に三上先輩と中西先輩は心底嫌そうに目を細め、それから2人揃って同じタイミングで「だからだよ」と言った。さらに不快そうに顔を歪めたけれど、渋沢先輩の笑顔でそれは制される。なんとなく、渋沢先輩のすごさがわかった気がした。 「ネギ、こだわりだすとすっげめんどくせぇじゃん」 「あー、そういやお前中学も高校もあいつと同じ部屋だよな。うわ絶対なりたくねぇ」 三上先輩は何か苦い思い出でもあるのか、手で追い払うような仕草をしてみせる。椅子に座って一向に動く気配を見せない2人に、「それでも動かないよりマシだと思います」と言いそうになって、それをなんとかこらえた。別に言っても構わなかったけれど、辰巳がそういうこと(上下関係みたいなもの)にうるさいので黙っておいた。 「そういうお前らだって、結構こういうのにうるさいだろう」 私が声をかけた辺りから既に黙々と片付けを始めていた渋沢先輩が、視線は相変わらず手の中の誰のものかわからない参考書に向けながら、ぽつりと呟く。話しかけられたはずの三上先輩と中西先輩がいつまでたっても返事をしないので、どうしようかと迷っていると、大森がため息をつきながら、「三上先輩、中西先輩、あなたたちのことですよ」と言った。「あ?」、予想外の展開だったからなのか、三上先輩はそんな声を出した。 「何いってんのよ、お前の方がよっぽどうるさいだろ」 三上先輩と渋沢先輩は、中学校の頃は部屋が別々だったらしいけれど、高校で同じになっただとかで、始めはお互い色々と文句を言っていたのだとこの間藤代から聞いた。意外にも三上先輩が潔癖なんだとか確かそういう話だったような気がして、「あ、そういう話聞いたことあります」と手をあげた。 「ほら、もそう言ってんじゃん」 「あ、いえ私が言ってるのは三上先輩の方です」 「は?なにそれ誰だよ、んなこと吹き込んだの」 「あー、でもわかるかも。俺も三上も他人嫌いだからじゃん」 反論しようとした私を遮ったのは中西先輩だった。その上なんだか穏やかじゃない話の流れになりそうで、三上先輩と辰巳がぎょっとしたような顔をした。渋沢先輩は苦笑しながら「中西、そういう言い方よくないんじゃないか?」なんて言っている。大森はちらりと視線を中西先輩に向けたけれど、すぐに目の前の紙くずの処理に戻っていった。 「俺は中西と違って他のやつらに自分のもの勝手に動かされたりすんのが嫌いなだけ!他人を部屋にあげないようなお前と一緒にすんじゃねぇ」 「なーに言ってんの三上くん、俺、サッカー部の連中は部屋に入れてんじゃん」 「入れてんのは根岸含めた数人だろうが」 「この場合ネギは同室だからカウントしていいものかどうか迷うけど」 中西先輩は本当につかめない人で、中学からずっと同じ部でサッカーをしてきた笠井や藤代でさえ「あの人は基本的にミステリーだから」と理解することを放棄している。だから知り合って間もない(といってももう大分経つけれど)私が彼を理解しようだなんておこがましいにも程があるかもしれないけれど、それでもやはり気になる人だった。 この世の全てを嫌っているように見える。 なんて言ったら大げさなんだろうか。 「ちゃーん?なに俺の顔なんかついてんの?」 三上先輩と言い合っていたから、こちらに気づきはしないだろうと遠慮なしにじっと中西先輩の横顔を見詰めていたら、突然彼は振り向いた。とっさに「いえ別に」と答えて辰巳の側に逃げたけれど、上手く答えられていたかどうかはわからない。 「気になるんだけど」 にゅ、と中西先輩の手が伸びてきて、私の左腕を掴む。「ひゃ」、変な声を出して驚くと、三上先輩が、中西先輩の頭を平手打ちしたところだった。 「いい加減片付け手伝えよ!」 「えー・・・」 一瞬渋るような様子を見せたけれど、すぐに興味を失ったようにするりと私の腕から手を放した。「、大丈夫か?」渋沢先輩に顔を覗き込まれて、慌てて両手を振ってみせる、「大丈夫です、何かされたわけでもないし!」、渋沢先輩が笑って、辰巳がため息をついた。 がたがたと音を立てながら机や椅子を移動させる。真ん中に長机を2つ並べて、新品の雑巾で綺麗に拭いた。雑巾を使ったのはもちろん布巾なんてそんなものが部室にあるわけないからだ。パイプ椅子やら丸椅子やらをかき集めてなんとか12の椅子を机の周りに並べると、誰からとも無く着席する。「タバコ吸いてー」、そう言った三上先輩は渋沢先輩に頭を叩かれた。 「そういえばってさ」 唐突に目の前に座る大森が言う。 「なんでマネやろうと思ったんだ?」 バレー部だったんだろ、と大森。藤代も笠井も何も言ってないのかと思うと少しだけ意外な感じがした。椅子についた埃を右手の人差し指で拭う。最大までストーブのつまみを回しても十分に温まらない真冬の部室の寒さに首を縮込めながら、私はゆっくり口を開いた。 「呼ばれたから」 「誰に?」 怪訝そうな声で言ったのは、大森ではなく、三上先輩。 「神さま」 辰巳と三上先輩が嫌そうな顔をして、大森と渋沢先輩が目を見開いて、それから中西先輩は笑った。 何か色々質問が飛んできているけれど、もう私は答える気などさらさらなくて、窓の外を見上げていた。 ―!ドア開けてー! 藤代のそんな声に引きずられるようにして扉へと向かう。 扉の向こうで、水野が笑っていた。 |
END ++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++ 何が書きたかったって、ヒロインと中西の絡みでしたあれ全然絡んでない。 09年05月06日 |