「なんだ?あいつら喧嘩したのか」

渋沢先輩の声に、私と水野は顔を上げる。先輩が見据える先には黙々とラインを引く笠井と、そこから十分に距離を取ったところで何やらしゃがみこんでいる藤代がいた。真冬の寒いグラウンドを、笠井はひたすら整備していく。

「喧嘩、なんですかね。昨日の夜風呂から戻ったときには既にあの状態だったんだですけど。藤代、めちゃくちゃ機嫌悪かったんですよ」

水野は困惑顔だ。無理もないだろう、笠井と藤代なんて、言い合いこそすれど喧嘩にまで発展することのなさそうな2人だ。私も中学の頃から一応2人を知ってはいるものの、あんな風に口を利かなくなるのは初めて見た。



「ふうん、久々だな」



凍えた手に息を吹きかけながら、ひょっこりと渋沢先輩の後ろから現れたのは中西先輩だ。

「・・・久々?」

「今まで喧嘩してるの、見たこと無いですけど」中西先輩を不思議そうに眺めながら水野は言う。彼の言葉は私の本心でもあった。久々、ということは前にもこういうことがあったのだろうか。

「あれ?そっかそういや高等部に上がってから初めてだな。昔はそれこそ週に1回は衝突してたんだぜ、あいつら」
「週1!?そんなにですか!?」

私は素っ頓狂な声を出す。

「1年の、一番ひどい時な。まぁ、藤代が無意識に笠井を怒らせるんだけど」

だから今回もたぶんそうだろ、中西先輩は楽しそうに口元を歪めて笑っている。どうやら笑いを堪えているらしかった。



藤代と笠井。



渋沢先輩と三上先輩とはまた違う二人組。中等部の部長副部長を共に努めただけあって、やはりというかなんというか、越えられない絆が二人にはある。絆なんて生易しいものではないと笠井あたりは言いそうだけれど、少なくとも外部にはそう見える。

藤代は、もしもこの世に本当に天才がいるのだとしたら、彼のことを言うのだと言われれば誰もが納得してしまうほどのサッカーセンスを持っている。



強い。



強豪と謳われる武蔵森の部員から見ても、彼は異質な存在なのだそうだ。他に同じタイプの人間をあげるとすれば渋沢先輩と水野くらいしか当てはまらないらしい。ただし、水野の場合、強いとは違う、のだと笠井は言った。私にはまだ違いがわからない。
時折、笠井はひどく藤代を嫌悪する。罵ったりするわけではない。ただ、目が、そう訴えるのだった。



――誠二は前しか見ないから、あいつの後ろをついていく俺たちの気持ちなんてわからないんだよ。



一度だけ、笠井が私に見せた、たぶん本音だった。

また、藤代は後ろを顧みなかったのだろうか。

「・・・渋沢先輩は、声かけてあげないんですか?」

私にこんなことを言う資格はないのだとわかっていても、どうしても言わずにはいられなかった。藤代と同じ領域にいるのが渋沢先輩と水野しかいないというのなら、適任なのは渋沢先輩だ、と思う。

「藤代が、一人になっちゃいますよ」

私の言葉を受けて、渋沢先輩と中西先輩は驚いたようだった。

「・・・俺たちが行けば簡単だがな。これはそういう問題じゃない」
「それに、渋沢は、今や部内で最もそういうことをやっちゃいけない人間なんだぜ?」

何故、と私が聞くよりも先に、水野が「キャプテンって面倒ですよね、特にここでは」と綺麗な顔を歪めながら言った。そういえば水野も中学時代キャプテンを務めていたと、笠井から聞いたような気もする。だがしかし、それがわかったところで、私の疑問は解決されたわけではなく、むしろ不信感は増したと言っていい。詰め寄ろうと渋沢先輩を見上げるけれど、彼は既にその話題は終わったとでも言わんばかりに、中西先輩に話しかけた。





「中西、お前、何か知ってるな?」





相変わらず変に笑いを堪えている中西先輩を右肘で小突いて渋沢先輩は少しだけ睨みつけた。急に話題を振られて中西先輩は一瞬表情を固めたけれど、すぐにまたいつものように薄い笑みを貼り付けた。「笑って誤魔化すな」、渋沢先輩はため息をつく。

「別に詳しく知ってるわけじゃないんだけど。ただ思い当たる節があるだけで」
「なんだ?」
「さぁ?同室の三上くんにでも聞いたらどうですか?」

どうやら中西先輩に言うつもりはないらしい。渋沢先輩もそんな中西先輩の性格を知っているからか、それ以上食い下がることはしなかった。

ピーッ、と集合を告げるホイッスルが校庭から響く。
いつもならば新キャプテンの渋沢先輩が集合をかけるのだけれど、今日はなにやら監督の方から話があるらしく、校庭の端に監督は真っ黒な武蔵森のボアを着込んで寒そうに立っていた。「練習に影響が出なきゃいいけど」、水野はぽつりと呟くと、既に駆け出していた渋沢先輩に続く。私も水野の後に続こうとして、中西先輩に遮られた。





、お前、藤代のこと良く見ておけよ?」





笠井は俺らで見とくから、中西先輩はそう言った。
その言葉の意味を理解しようとできうる限り頑張ったつもりだったけれど、結局何のことなのかさっぱりわからず、私は監督の元へと向かいながら、中西先輩の横に並んだ。「どういう意味ですか?というか、なんで」、正直、混乱を隠せない。

「いいか、今藤代は笠井と喧嘩してんだぞ」



誰が藤代を何かあった時止めんだよ、中西先輩は呆れ顔で言う。



「お前、昔、三上を屋上で見たな?」
「屋上・・・?あぁ、はい、見ましたけど」
「そういう関係のことでもめてんの、たぶん」

体のあちこちに傷を負っていた三上先輩を思い出して、あぁそういうことかと妙に納得した。
たぶん藤代たちは私にそういう類の話は一切しないだろう。だけど何も知らないから、言えないからこそ何かできることがあるのかもしれない。

歪な円を描く部員たちに私たちが合流すると、すぐに簡単なミーティングのようなものが始められた。盗み見た藤代と笠井は相変わらず不機嫌で、腹を立てているのだということだけが伺い知れた。何がどうなってあの2人が喧嘩なんかをする羽目になったのかはわからないけれど、とにかく。





この衝突は、しばらく続くような気がした。





せめてそこから彼らが何かを得られますように。









   


END
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09年03月03日


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