「ここは桜上水じゃねえんだよ!武蔵森のルールに従えないんならやめちまえ!」 私が水分補給のためのスポーツ飲料水を作りに行っている間に何かあったらしい。グラウンドから百メートル近く離れた銀杏の木の下で、私は三上先輩のびっくりしてしまうような声を聞いた。叫んだ対象はわざわざグラウンドに行って確かめるまでもなく、水野だとわかる。 「っ、従ってるだろっ!俺は一度もここを桜上水だなんて思ったことはない!!」 普段(というか少なくとも私が彼と出会ってからは)声を荒げることをしなかった水野もさすがに反論に出たらしい。とにかく三上先輩と水野がぶつかり合っていることだけは確かなようで、私は重いタンクをなんとか胸の辺りまで持ち上げると抱えるようにして走りだす。 ぎんぎんに照りつける真夏の太陽が恐ろしいほどの威力を発揮して体力を奪っていく。綺麗に舗装されたアスファルトに光が乱反射してやたらと眩しかった。 目を細めてフェンス越しに中の様子を伺うと、コートのど真ん中に人だかりが出来ているのが見えた。今日は監督が成績会議でいない上に三年生は全員補講を受けに行っているから歯止めをかけるものがいない。ガシャン、と乱暴にアクエリアスが波々と入ったタンクを木製のベンチの上に置くと、私はグラウンドへと駆けていく。 「」 一歩グラウンドへ足を踏み入れたところで名を呼ばれ、私は自分から見て右側へと視線の位置をずらした。 錆びたフェンスに背を預けるようにして藤代がいた。 「今行っても出来ることはないよ。もともと三上先輩と水野は中学時代に色々あってぎくしゃくしてたし、むしろここでぶつかっておいた方が二人のためになるかもねー」 あっけらかんとした声で何でもないように言う藤代に、少しだけ苛立ちを覚えてしまう。そんな自分にもさらに嫌気がさして悪循環。しばらく藤代の隣でグラウンドを睨んでいたけれど、やはり藤代の言う通り私に出来ることなどないと判断した。 ずるずるとしゃがみこむ。 「・・・三上先輩、気にしてないんじゃなかったの」 「昔あったことはね。ただ水野が勝手に後ろめたさ感じてるから、それが嫌なんでしょ」 「それ、桜上水とか関係ないじゃん」 「んー、水野は桜上水と武蔵森を比較してるっていうより、武蔵森だってことを強く意識してんだよなー」 何が違うのか、私にはわからなかった。 再びゆっくりと視線を上げる。夏休みの午後のグラウンドはサッカー部以外には見当たらなくて、いつもより広い印象を受ける。その真ん中辺りで言い合う彼らの周りだけ、夏だというのに何故か少し気温が低いかのように感じた。 「んだぁ?何やってんだあいつら」 突然降ってきた声に振り返ると中西先輩がいた。今行われている紅白戦は珍しく一軍も二軍も皆交えた試合だった。全部で4チームに振り分けられていて、2チームずつ、30分交替で試合は進んでいく。3時間、つまりそれぞれ3回ゲームをしたところで試合終了だ。中西先輩はさっきまでのグループなのだろう、どうやら顔を洗ってきたばかりのようで、髪から雫がぱたぱたと落ちてアスファルトに染みを作っている。 「あー中西先輩―!見てくださいよ面白いことになってんスよ、ほら三上先輩と水野が喧嘩してる」 無邪気にそういって藤代はグラウンドを指差した。先ほどよりも声のトーンを落としたらしく、三上先輩と水野の二人の声はここまで聞こえてこない。 「ははっ、三上とうとう言ったんだーあいつもお人よしだからなー」 からからと笑う中西先輩の言葉がひっかかって私は思わず顔をしかめた。彼のことは、よくわからない。三上先輩とよく悪ふざけをしているのを見かけるけれど、よくよく考えてみればきちんと話したことなどないような気がした。 「お人よし、ってどういうことですか。水野なりに武蔵森の皆と諍いが起きないように頑張ってるのにそれをわざわざ掘り起こすようなことして、皆の気持ち、爆発させてるのに」 大分よくなってはきているものの、水野に対する風当たりは相変わらず良いとは言えない。 隙あらば何かとつっかかってくる者が学年問わずいる上に、あの水野の、人に従えない無駄にプライドの高い性格が壁となって、結局誤解を招くばかりだった。 今も、三上先輩と水野の喧嘩を取り巻いている人たちは皆、どうやら三上先輩側らしい。 「あー?そっかそっか、ちゃん水野が好きなんだっけ?」 何故かちゃんと私を呼ぶ中西先輩に言い返してやるべきだったのかもしれないけれど、とりあえず。 「・・・・・それ、誰に」 「三上」 「・・・・・・・・・・・・・・・・・」 隣で藤代が爆笑した。 「いやいやいいんじゃない?いいと思うよ、うん、お似合いじゃないかな」 「・・・今はそんなことはどうでもいいんです!質問に答えてください!」 「うわ、こえー。はいはい、だから、あれを言うのが三上でよかったな水野くん、っていう話」 中西先輩苦手なんだよ、教室でそう話していた水野の姿が目に浮かぶ。なるほど、確かにこれは彼にとって苦手な部類に入るかもしれない、と私はなんとなくそんなことを思った。私と水野は割と似ていると思う。回りくどく言われることに苛立ちを覚えるタイプ。 ちらりと視線を戻してみるけれど、グラウンドに出来た人だかりは相変わらず動く気配を見せなかった。 「どういう意味ですか」 「考えてみろよ?あれ、三上だから水野が反論しても怒られないですんでるんだぞ?三上以外の奴にあんな風に切れたら、水野、ここでもうサッカーできなくなるだろうなー」 何がおかしいのか中西先輩はくすくすと笑った。 確かに、中西先輩の言うことは正しいと思う。中学時代に何があったのか知らないけれど、三上先輩は水野にタメ口をきかれることも本気で嫌がっているようには思えないし、結局何かとサッカー部内で水野に助言を与えているのも彼だ。水野が1つ上の先輩たちにあまり嫌われていないのも、三上先輩が面倒を見ている(と言えるかどうか微妙なラインの構い方だが)からだと私は思っている。と、いうよりも水野の態度があからさまに問題なのは三上先輩に対してだけなのであり、それを三上先輩本人が気にしていないのなら別に構わないと思っているらしい。 「でもほんと、三上先輩でよかったよねー」 藤代はいつもの笑顔で言った。 「そうじゃなかったら仲直りとかきっとできないもん」 「・・・じゃぁこれは、仲直りするの?」 「するよ、絶対する、見てて」 三上先輩はそういう人だから、と太陽を背にして言う藤代は、やっぱり笑っていた。 「他の人だったら、でも藤代助けに行くでしょ?」 「まっさかー!だって俺の問題じゃないもん!」 「ははっ、藤代サイテー!」 「えー、中西先輩だってそうでしょ!」 俺はオトモダチじゃないからそれでもいいんですよー、中西先輩は言う。「だけどお前はオトモダチだろー」「いいんです、それこそ水野のためっていうか?」藤代は相変わらずだ。 武蔵森サッカー部は結構シビアな世界だと思う。その中で生き抜いていくために、どうやら皆それぞれ自分の位置を確立しているようだった。 マネージャーの私には、わからない世界。 グラウンドに出来ていた人だかりが散っていく。 どうやら試合再開のようだ。よくよく見れば、水野と同じチームに笠井もいるようで、水野の頭をぺしりと彼が叩いているのが見えた。 あとで笠井に、少しだけ三上先輩と水野の間で交わされた会話の内容を聞いてみよう、そう1人決心して、私はアクエリアスの入ったタンクを持ち上げると、後ろで未だにじゃれあっている藤代と中西先輩を残して、白い砂埃のあがる校庭に足を踏み入れた。 |
END ++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++ 私の中の藤代さんのイメージが少しこんにちはしてるお話でした。 08年09月29日 |