東京選抜に受かったんだ、と言うと、みはこっちがびっくりするくらい喜んだ。すごいすごいすごいと何度も何度も連呼して、それから両手を握り締めておめでとうと言った。「あ、そうだ!東京選抜にはね、」くるりと何故か一回転してみせて、あたしの友だちがいるんだよ、とまた嬉しそうに笑った。





「うーえーはらっ」

 そう聞こえたのとほぼ同時に、上から覆いかぶさるように圧し掛かってきたのは桜庭雄一郎だった。9月になったと言えども夏はまだまだ残っていて、しかも練習後で体温も上昇している時にそんなことをされてはたまらない。どけよー、と自分でも情けないくらいの声で言うと、桜庭は、「なんだよお前今日はやけにへばってんなー」と素直に立ち上がる。

「あー、わかった、昨日と夜遅くまで電話してたんだな!?」
「うるさー。その通りですがなにかー」
「うわムカツクなにその余裕ぶん殴ってやりてえ」

 あの日きみは自分だって部活で疲れているだろうに、受かったとそれだけ送ったメールを見て、家に帰らずにすっ飛んで来てくれた。近くの公園で、きが合格祝いだと言って買ってきてくれたガリガリ君を食べながらブランコを漕いで、選抜合宿の様子を話している間、ずっとにこにこしながら聞いていた。
 一通り話し終えて、「友だちって、何て名前?」と尋ねると、満面の笑みで「桜庭雄一郎くん!」と答えた。可愛い彼女が嬉しそうに自分ではない男の話をするのを聞いて、嫉妬しなかったと言えば嘘になる。

「あ、そうだ忘れてた、から預かってるもんあるんだった」

 ほらよ、と桜庭が投げて寄越したのは一本のシャープペンシル。

「一昨日ん家に忘れてっただろ?昨日がうち来てそれ置いてった」

 どこに行ったのかと思えばどうやらきみの家に忘れていったらしい。
 と桜庭雄一郎は幼馴染だ。家が隣同士で、しかも部屋の窓を開ければ相手の部屋の窓が届く距離にあるだなんて、少女漫画家だって今時使わない設定だ。初めてきみの部屋を訪れて、ひどく緊張していた矢先に、カーテンを開け放して「そこ雄の部屋ね」と言われた身になって考えてみてほしい。言いたいことがありすぎて結局それについては突っ込めなかった。

「しかし上原も丸くなったよなー、始めの頃なんて俺に噛み付かんばかりの勢いだったってのに」
「そうだっけ?始めの頃の桜庭なんて俺は印象に残ってないけど、何か会話しましたか?」
「話しかけて来たのはそっちだろ!!覚えとけ!!」

 桜庭は力任せにロッカーを開けた。そ振動が伝わってきて、隣の郭が迷惑そうに顔をしかめたけれど、多分桜庭は気づいていない。
 汗ばんで気持ち悪いTシャツから腕を抜き取りながらさっき桜庭に言われたことを考える。だってあれは仕方がなかった。きみから散々桜庭雄一郎という男について聞かされていて、しかもベタ褒めしていたから、そりゃもう想像を絶するくらい嫉妬していたから。「絶対淳と気が合うと思うな」ときみは言ったけれど、正直絶対に仲良くなれないと思っていた。否、仲良くなる気がなかったと言った方が正しいのかもしれない。
 そうやって嫉妬の塊みたいだったにも関わらず、そんなことは気にしていないのか気づいていないのか桜庭は無邪気に話しかけてきたりなんかして、挙句3回目の練習の時にはきみから話を聞いていたらしく「水臭いやつだな!」と背中を引っぱたきながら笑った。
 幼馴染で家が隣同士で同い年だなんて、ぜったい桜庭だってきみのことが好きに決まってると思っていたけれど、話していくうちに桜庭からは嫉妬だかそういうものがまったく感じられないことに気づいた。あれこれもしかして、と考えを改めたのは、桜庭とはきみが言った通り気が合うかもしれないと思い始めた夏の終わり。多分、選抜では一番よく話しているという事実もいい加減認めなくては、と思ったのも多分この時。



 きみは本当によく見ていてくれているんだなと思った。

 性格は違うのに桜庭とは気が合った。





「じゃーなー上原また来週―」

 さっさと帰ろうとする桜庭に待てよと声をかけると、ああ、と何言っていないのに頷いた。きみの家に向かうことをどうやら見透かされているらしい、こういう時だけ察しが良くても困る、試合でもその野力を発揮していただきたい。

「一昨日会ったばっかなのに、また来んの?」
「いいだろ別に、好きなんだからさー。なんだよ文句あんの?」
「誰もダメなんて言ってないだろ!いいんじゃねえの彼女思いで」

 タタン、と揺れる電車は休日だというのに何故か満席で、ちょうど一日のうちで最も混む時間帯にあたってしまったのだということに気づく。練習でへろへろになってしまった体をぴっちりとしまったドアの預けてなんとか耐える。「ん家着いたらまず寝そうだな、お前」桜庭の言葉に足を踏みつけてやったけれど、頭の片隅では同じことを考えていた。それでも多分きみは笑いながら許してくれるんだろう。
 太陽はほぼ姿を消していて、遠い空の向こうにその名残が見えるだけ。練習場からきみの家までは電車で30分ほど。本当に体中が悲鳴をあげていて、とてもじゃないけれど楽しくおしゃべりをするという気分ではなかった。桜庭も始めは話しかけてきていたけれど、いつまで経ってもうんとかううんしか言わない人間に飽きたのか、ちょうどきみの家と練習場の真ん中にある橋に差し掛かった時は既にお互い無言になっていた。ゆっくりと時間だけが過ぎていく。
 車内アナウンスがきみの家までの最寄り駅を告げた時、意識はほとんど夢の国へと旅立っていて、慌てて起きた。あと三分乗っていたら確実に眠っていたに違いない。改札を出て左に曲がろうとしたところで、桜庭が右に折れた。何してんの、と訝しげに振り返ると、「わり、俺今日図書館寄ってくから」と恐ろしく似合わない言葉を吐いた。

「図書館?なにしに行くんだよナンパ?」
「ちっげーよアホ!本借りに行くんだっつの!」

 これでも優等生ですからあ、と桜庭は笑って手を振った。それに応えるために右手をあげて、ひどく重たいことに気づく。もうほんとに限界なんだろうなあと思う。
 桜庭と別れて、もう何度もやってきた道をゆっくりと進んでいく。小さなスーパーとか赤いポストとか表札が外れかかってる山崎さん家とか、見慣れた全てが愛しく感じるのは多分きみが住んでいる町だから。なんとなく遠回りをしたい気分になっていつもの近道を逸れて大通りへと出る。新しく見る景色をできる限り覚えておこうと右に左に世話しなく視線を向けていると、ふと古びた建物が目に入った。それなりに高さのある建物だけれど、今までの道からだとビルの影に入って見えなかったようだ。気になって近づいて、建物の前にある石碑のようなものに目を向けて、呆然とする。



 図書館だった。



 あのアホ、と俺はため息混じりに誰に言うわけでもなく呟く。
 きみはいつも家から数十メートル離れた公園で待っていてくれることを知っていた桜庭は、どうやら気を使って駅前か何かで時間を潰していくことにしたらしい。今までに無いくらい疲れきっていると、自分だけではなく、他人から見てもわかったのだろう、何かに遠慮して桜庭はそういう行動に出たようだ。きみに会ってすぐに倒れこみたいとぼやいていたのを聞かれていたのかもしれない。いくら何でも人目につくようなところでそんなことはしないのに、桜庭は本気にしたらしかった。それでもからかったりせずにああいう行動に出られるなんて、すごい奴だ。別に憧れたりはしないけど。



「淳!」



 考え事をしているうちにきみのいる公園まで来ていたらしい。ぱたぱたと寄ってきて、おかえりなさいときみは言った。「雄は?」きみは不思議そうに友だの名前を呼ぶ。



 それには答えずに、「俺らって良い友だちを持ったよね」と空を仰ぎ見ながら言うと、きみは屈託無く笑った。



END
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重松清さん//きみのともだち(きみに読む物語さまへ提出)
人称が「きみ」で進むお話ですが、呼び手は最後の章まで出てきません。誰かな誰かなと気にしながら読むものの、主要な人物は全員出てきてしまうので、最後までわからないと思います。意外すぎる人が呼び手。
ある女の子を軸に、その子の友だちに視点が当てられて進むので、各章毎に「きみ」と呼ばれる対象が変わります。すごく温かいお話で、感動できるので皆さんも是非読んでみてくださいな。

090916 夜桜ココ


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