わからない。

サッカーができないことに苦しむ貴方に、私は何もできなかった。

小さな口から紡ぎ出されたその言葉の意味を理解するのに時間がかかった。

答えを知らなかったからだ。










のリミット










「・・・・・・・・・・・・・何してんだよ」

真っ暗な公園。
空にはたくさんの輝く星と、白い月。もう6月の半ばになっているというのに、夜の空気は肌には少し寒かった。気がつけば制服のまま、ブランコに揺られていたらしい私は、聞きなれた声で現実世界へと引き戻される。空ろな目で空を見上げると、茶色い髪が視界の端に現れた。全体像を掴むためにゆっくりとそちらに視線を送る。

「竜也」

綺麗な顔を不機嫌そうに歪めた水野竜也が、月を背中に私を見下ろしている。
さわさわと吹く風に舞う、色素の薄い見事な茶髪の輝きに目を細めた。昼間毎日学校で見ているはずなのに、私の知っているそれとは違う色のように見えて一瞬心が奪われる。

「竜也こそ何してんの、今何時だと思ってんの」
「・・・・・・じゃあなんでお前は俺にメールなんかしてきたんだ?」
「・・・・・・・・・・・したっけ?」
「・・・・・・・・・・・。」

ほら、と言って証拠物件を取り出した竜也は呆れ顔で。
差し出された携帯を見れば、差出人の名が私の短いメール。

公園。

並んでいるのは句読点を合わせてもたったの3文字。
本気で送った覚えのないそのメールに私は首をかしげながら自分の携帯を取り出した。送信BOXを見てみれば、一番上に「水野竜也」。

「あれぇ?」
「ったく。せっかく来てやったのに」

そう言って竜也は隣もブランコに腰掛けた。ギィ、と嫌な音を立ててブランコは揺れる。真夜中にブランコなんて、中々幻想的じゃない?と笑って竜也に言ってみたら、馬鹿、と2文字で返された。
つられて私もゆらゆらと小さく揺れる。
真っ暗な闇が全てを飲み込んで不思議な世界だった。こんなに夜遅くに出歩いたのは初めてかもしれない。
目の前の大型マンションの明かりも、もうほとんど消えていて、街頭と、三日月型に欠けた月灯りだけが白く淡く光っている。

「・・・・・・・・・で?」

ふいに竜也がそう言った。

「何?」
「何って・・・・、お前、俺に用があったんだろ?」

怪訝そうな顔で竜也が言う。
あぁ、と私は半ば投げやりに返事をした。

「ねえ、どうして人は怪我をするんだろう。」

隣で竜也が息を呑むのがわかった。
なんて、残酷な質問をしているのだろう、と私は他人事のように考えていた。
将の怪我を一番気にしているのは竜也だということぐらい、私にだってわかっていた。別にあれは竜也のせいなんかじゃない。それに大体、もしもあの怪我が竜也のせいだと言うのなら、シゲは一体どうなるんだという話だ。

将は結局、春の大会になって出られるようにはならなかった。
春の大会どころではない。その後の夏の大会だって出場できないし、それ以前にサッカーを今後続けることができるのかどうかさえ、わからない。

「・・・・・・・もうすぐ、夏の大会だね」

ぽつり、私は小さくそう呟く。

「・・・・・・昨日ね、高井がうちに来たよ。将のユニフォームを貸して欲しい、ってそう言うの。あれ、は、将のユニフォームだよ。他の人が着るなんて絶対、ダメ、だよ」

私は風祭家に居候させてもらっている身だ。
バスケの強い私立校に通うために、親の反対を押し切って九州からやってきた。
功兄の家に住むことを、彼が認めてくれなかったら、私は今ここにはいないだろう。
そして、私の1年後に将も一緒に住むことになった。
同い年の、小さな従兄弟。
サッカーをこよなく愛していて、サッカーがなくちゃ生きていけないんじゃないかってくらいサッカーを必要としていて、サッカーと共に生きている人。
私だって、バスケが好きだし、全国に出場するくらいの実力はあるし、多分並の人よりも、バスケに対する情熱はあると思う。

けれど。

将のそれとは比べ物にならないことも、ちゃんとわかっている。
まるで日常生活の一部であるかのように筋トレをして牛乳を飲んで走りこみをして靴を磨いて。
いつだったか家の中で腕立てをしている将を見て、功兄がこう言った。





あいつ、歯磨きでもするように筋トレするよな。





声を出して笑ったけど、あぁ、なんて的確な表現なんだろう、と私は思った。
彼にとってそれは本当に日常を切り取ったような出来事で、苦痛でも何でもないのだろう。階段ダッシュだってリフティングだって、全てケロリとこなしてしまう。
多分、将にとってサッカーは、本当に、本当に切り離せないものなんだろうと思う。



一緒に生まれてきて、一緒に死んでいく。





「・・・・・・将から、サッカーを取り上げるなんて、絶対にやっちゃいけないことなのに。そんなこと、神様にだって許されない」





竜也が困ったような表情で私を見ていた。



ねぇ、どうしてあなたは怪我をしなかったの?

どうして将なの?

だってあの子、今年3年生なんだよ。

最後の大会なんだよ?

どうして?

なんで?

どうして私は怪我をしないの?

どうしてシゲは怪我をしないの?

どうして桜上水の皆は将がいないのにサッカーを続けるの?



視界が霧が出てきたように霞んできた。それが涙のせいだと気づくのにはしばらく時間が必要で。竜也にハンカチを差し出されて初めて頬を伝うその存在に私は気づいた。



どうして、誰よりも努力している彼がこんなことにならなければいけなかったのだろう。

誰よりもサッカーを必要としていたのに。



差し出されたハンカチで涙を拭うのも億劫で、私は空に浮かぶ月を見上げた。
全部全部、この世界の全てに吐き気がする。
将があんなにつらい思いをしているのに、どうして世界は回るんだろう。
彼がこの世界から消えてしまった後ならば、好きに回ればいいと思う。
まだ、彼がこの世界にいるこの状態で、どうして当たり前のように世界は明日を迎えるんだろう。
彼を置いてどうして世界は回るのだろう。

彼を置いて、





どうして私は先へ進むのだろう。





声を出して泣きそうになり、今は深夜なんだと私は慌ててその声をかみ殺した。変な嗚咽が喉からでる。
詰まってなにも言えなくなった私に竜也は黙って腕を回した。





『サッカー、いつできるかな』





将の質問に私は答えることができなかった。
慰めの一言も出てこなくて、なんて薄情な人間なんだろうと心の中で自分に毒づいてみても答えはない。
その沈黙に耐えられなくで私はすぐに話題を変えた。もうすぐサッカー部大会なんでしょ?竜也に聞いたよ、将、応援行かないの?
サッカーができない彼になんて残酷なことを聞いたんだろう。
将は悲しそうに微笑んだだけ。
そして窓の外を見て、こう言った。




『別に、勝って欲しいとも思わないし』





ショックだった。
どうして?そう聞けば、出られないからだよ、とそう言うだけ。
サッカーが彼から離れてしまうことが、こんなにも彼を別人にしてしまうとは思わなかった。

こんなになるまで私は何もしてあげなかった。

何もしてあげられなかった。

きっとこの先だって、私には何もできないだろう。



竜也が何度も背中を優しく撫でてくれる。
それに合わせるように私は声を殺して泣いている。
泣きたいのは私なんかじゃない。
私なんかよりももっとずっと泣きたい人がいるのに。

それでも私の涙は止まらなかった。


















「ねぇ、竜也・・・将、は、いつサッカーができるの?」


















沈黙だけが、返ってきた。


END
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夢・・・か?これ。(聞かれても)
どうでもいいけど水野が出てきた意味は。(ほんとに)

07年06月24日


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