努力という言葉を知らない人だと思っていた。 終わったあ!と叫んで突然騒がしくなった友人に、まだ明日の分が残ってるでしょう、と言うと「ちゃんにはわかんないよ!」と言われた。 高校三年の定期テストは入試を控えた生徒たちのことを考慮して、普通一・二年生とは異なった日程で行われる。その多くの例に漏れることなく武蔵森学園の高校三年生も今までとは時期をずらしてテストに追われていた。 「ちゃん、またノート貸して」 語尾にハートまたは星マークを付けていそうな甘い声でそう言ってきたのは、一応同じグループの子で、嫌な顔を見せないようにと自分を抑えて、はい、と明日の教科のノートを渡すと心底うれしそうに笑って「コピー取ってくるからちょっと待ってね!」と言った。パタパタと駆けていく彼女の頭には綺麗に脱色された栗色に似合う可愛らしいコサージュが付いていて、走るとビーズ同士がぶつかり合うようなかちゃかちゃという音がした。短いスカートから覗く足はすらりと長く、紺色のハイソックスもあってなおのことほっそりとして見える。扉のところで誰かに呼び止められたらしく振り向いた笑顔には、ぱっちり二重でくりくりとした目と真っ赤な可愛らしい唇があった。 私には無いもの。 だからと言って、欲しいと思ったこともないけれど。 彼女が戻って来るまでの間やることも特になかったので英語の単語帳を開いて明日のテストに向けて確認をしていた。なかなか覚えられない類語に苦戦しながらぶつぶつと呟いていると後ろから、、と声をかけられた。 単語帳を閉じて振り向くと、クラスの中でも一番華やかなグループのリーダーみたいな子が取り巻きを二人連れて立っていた。 「みっちゃん、どうかした?」 わかってはいたけれど私は敢えて問い掛ける。 「今日さあ、ここわかんなかったんだよね、教えてよ、ならわかるっしょ?」 そういって差し出されたのは数学の問題用紙で、六番の問題に大きく×が付いていた。これはね、と私が説明していくと、長い髪を指先で弄びながら彼女はさすがさすがとそう言う。 「はやっぱすごいな。いいなー頭良いって」 彼女はそう言った。 私はこの言葉が大嫌いだった。 人がどれだけ努力しているかも知らないで、才能の一言で済ませようとする。おまけに自分は私より勉強していないくせにひがまれたり羨ましがられる意味がわからない。 世の中には確かに天才と呼ばれるほどの才能を持ち得ると言われる人だっている。だけれどその多くは人よりも努力した結果その称号を得たのだと思っている。生まれた時から才能のあった天才なんて本の一握りだ。 私は、学力社会なんて大嫌いだと思う反面、ある意味一番利に叶った話だとも思う。 大半の人がその学力を得るためにどこかの地点で、果てしない努力をしたからだと思っているからだ。例えばそれは大学受験に向けた半年だけだったかもしれないし、中学の三年間だったのかもしれない。いずれにせよ、必死になって努力した時間があったからこそ、学力を得ることができたはずなのだ。 私だってその通りで、他に何も持っていなかったのでひたすらに勉強だけを頑張った。人がなんと言おうとこれは私の努力が花開いたものであって羨む暇があれば同じように努力してみればいい、と思う。 だけどもちろんそんなことを言えるわけもなくて、私は曖昧に笑ってそんなことないよと言った。 「努力してんだろ」 ふいにそんな声が聞こえてきて私たちは一斉にそちらを向く。 椅子にもたれ掛かりながら雑誌に目を落としているその人は、クラスメイトの三上亮だった。 三上くんは天下の強豪、武蔵森学園サッカー部レギュラーでありながら国立大学を狙う、いわゆる天才児だ。あれだけの量の練習をこなしておきながら一体いつ勉強なんかしているのか到底想像もつかない。効率よく勉強をしているのだろうなと思うとまるで雲の上の人のように思えてくる。 私とは違う、数少ない才能の持ち主。 ひがむならあいつにしてくれと思いながら彼女たちを振り返ると既に興味が削がれたのか数学の問題用紙をまとめていて、それを乱雑に鞄に詰め込むと、「助かったーサンキュー」と教室を出て行った。 それを確認して三上くんは、はー、と長い息を吐いて「あーゆーの、嫌い」と眉をひそめる。 「前から思ってたけど」 三上くんが顔をあげる。 「俺、これでも結構努力してんのよ」 いきなり何の話だ、と今度は私が目を細めて疑う番だった。そんなに大きくもない目をなんどかぱちぱちさせて、彼を見る。言っておくけれど私と彼はそこまで親しい間柄ではない。 「それでもには勝てねえ。それって、相当努力してるってことだろ」 すげえな、と彼は言った。目線は雑誌に戻っている。 何なの、というと三上くんは、お前はすげえって話、とだけ言った。 彼は天才なんだと思っていた。 私みたいに量をこなして身についた能力ではなく効率よくやってきた結果なんだと思っていた。 憧れと、嫉妬の対象だった。 だけど。 意外にも、近くにいた。 |
END ++++++++++++++++++++++++++++++++ No.2「地上5センチの恋心」 O-19*FestivalW提出作品。 09年12月28日 HP収録 |