外部生に驚くほど綺麗な人がいる、と専らの噂だった。

 どこからそんな噂が流れたのか、それは中学を卒業して間もない春休みのうちから囁かれていたもので、入学式は彼を一目見ようと廊下がごった返していた。綺麗なだけじゃそんなに噂にはならなかったのかもしれないけれど、なんと言ってもサッカー部に入るというのだからそれはもう女の子たちの関心を独り占めしていたと言っても良い。

 武蔵森サッカー部はその名を全国に轟かせるほどの強豪だ。それは中等部も高等部も同じことで、それだけで、学校の中ではちょっとしたアイドルみたいになっている。中等部でエースナンバーを背負っていた藤代くんや、1つ上の部長を務めていた渋沢先輩などは、必然的に人気がある。笠井くんや中西先輩にはなんというかコアなファンがいたりして、やっぱり皆アイドルに見えてきてしまう。藤代くんや三上先輩、それに現在高等部の部長である斉藤先輩なんかはいわゆる美形というやつで、人気もかなり高い方だけれど、誰が見ても驚くほどの美形というのはいない。それでもあれだけ人気があるのだから、サッカー部という肩書きはそれだけで株があがるのだ。

 そしてそんなサッカー部という肩書きを持ちながら驚くほどの美形とくれば。

 誰だって一目見たいと思うのが自然の摂理だと思う。

 しかも噂によると(というかもう全部噂だ)、藤代くんが選ばれていた東京選抜で10番を背負っていたほどの実力もあるという。彼氏持ちの友だちだって「それ惚れるしかないよね」と言っていたくらいだから、多分相当な数の人が注目していたはずだ。加えて高等部からは男女別校舎ではなくなるわけで、皆の異性に対する関心は2割増しになっていた。



 そしてその人物、水野竜也は確かに驚くほどの美形だった。



 サッカー部でもすぐに1軍入りを果たしており、かつ入学してすぐに行われた模試でも学年10位以内に入るほどの秀才でもあった。女の子たちは当然きゃあきゃあ騒いで学年問わず大人気で、



 けれどその結果。



 水野くんは完全に閉じこもってしまった。



 自分の世界に、とまでは言わないけれど、必要最低限の会話しかしないし、女の子と会話をしているのなんてほとんど見たことがない。藤代くんなんかと話しているときにたまに笑顔を見せるけれど、基本的には仏頂面だ。女の子たちがあまりに騒いでしまったせいで、男友達は簡単には作れなかったらしい。大体サッカー部とつるんでいて、そうでなければ本を読んでいることが多い。
 あまり、社交的なタイプではないようだった。
 藤代くんのあの不動の人気っぷりは、多分彼の性格にもあるんだと思う。人懐っこくて誰にでも話しかけてくれて、クラスでも中心的存在だ。藤代くんとはタイプが違う渋沢先輩や笠井くんなんかは、あの物腰柔らかな感じが、人を引寄せているに違いない。



 残念ながら水野くんはそのどちらでもなかった。



 あえて言うなら三上先輩なんかに近いかもしれない。仲良くなるまでガードが固くて人によっては近寄り難く感じてしまう。私なんかは三上先輩が苦手だから(あんまり話したことはないけど中学では一応同じ委員会だった)、きっと水野くんも苦手だろうなとそんなことを思う。
 そんな彼の性格のせいもあって、顔が綺麗だしそれでいい!という子たち以外は、結構彼に対してマイナスイメージを持ち始めていた。正直言って、水野くんは完全なる被害者だ。勝手に大騒ぎされて勝手に失望されちゃたまらない。





「今日も水野さまはこれまた不機嫌そうな顔してるねー」

 考え事をしていたらふいに上から声が降ってきた。親友の結衣ちゃんがそう言いながら朝ごはんらしきパンを頬張っている。結衣ちゃんは昔から中西先輩一筋で、他には見向きもしない。ついでに言うと他校に彼氏がいたりなんかもして、多分本当にアイドルみたいに憧れているんだと思う。そのせいか水野くんにはあまり関心を示さなかった少数派で、いつも水野くんに関して何かしら不満を言っている。

はさー、一体どこがいいのあんな子の」

 遠慮のない物言いに苦笑してしまう。

「んー、ああいうところかな。ちやほやされるのが大嫌いで、でもそれを上手くかわす方法は知らなくて、なんだか呆れるほど不器用なところが可愛くない?」
「可愛くないよ、うざい」
「結衣ちゃん、それ言い過ぎ」

 私が言うと、結衣ちゃんは肩を竦めただけで、何も言わなかった。

 実際、水野くんに対して苦手意識があるわけだし、どうしてこんなに気になるのかわからないけれど、あえて答えを見つけるならば、徹底的に外部を遮断している彼の内側が見てみたいと思うからなのかもしれない。
 同じクラスにならなければ多分こんなに興味は出なかったと思う。その他大勢の女の子たちと同じように最初は興味本位で近づいて、でもそれ以上は近づけない。飽きるかもしれないし、それこそ結衣ちゃんが中西先輩に対してそうしているようにまるでアイドルか何かみたいに扱って、適度に騒いでいただけかもしれない。

 けれど偶然にも私と水野くんは同じクラスになったわけで。

 しかもなんと偶然にも同じ委員会になったわけで。

 まだ一度も話したことはないけれど、今日の放課後に委員会の初顔合わせが行われるから、そこで何か得られればいいな、なんて思う。

「じゃあさ、。あたしにも水野さまが良い子だって思えるように今日の委員会頑張って仲良くなってきなよ、じゃがりこあげるから」
「じゃがりこ何に使うの」
「これ食べる?みたいな。そこから生まれるラブロマンス」
「生まれないよっ!でも仲良くはなってくるつもりだから」

 武蔵森学園の女子の中で、1番始めに仲良くなろうともう心に決めてある。結衣ちゃんが2つ目のパンに手を伸ばしたところでSHRを告げる鐘が鳴った。










さん?」

 放課後、部活動掲示板を確認して教室に戻ると水野くんがいた。既に委員会に行く準備は整えてあるようで、荷物を持って私の机に体重を預けていた。教室のドアを開けた私に気づいてゆっくりと振り返る。

「あ、ごめんね、もしかして待っててくれた?」
「うん、せっかく同じ委員会だし。・・・・っていうのは建前で、実は家庭科室がどこかわからないから、連れていってもらおうと思ったんだ」

 水野くんは申し訳なさそうに言った。あれ、少しイメージと違う、と私が驚いていると、「何?」と少し眉根を寄せた。

「なんでもない。ちょっと待って、今すぐ準備するから」

 机の中に放り込まれていたノートや教科書をカバンに無造作に詰め込んでいく。その間水野くんは黙って側に立っていた。やっぱり少し気まずい。それに何となく教室にいる人たちから注目されているような気がして、私はさっさと荷物をまとめると「行こうか」と声をかけた。特別棟にある家庭科室はここからそれなりに離れている。

「あ、水野くん、あたし、っていうんだ。せっかく同じ委員会に入ったわけだし、是非ともフルネームで覚えてくれると嬉しいんだけど」
「知ってるよ」

 絶対に私の名前なんて知らないだろうなと思っていたから、その返事は意外すぎて言葉に詰まった。

「・・・・なんだよ」

 また、眉を顰めて怪訝そうな顔をする。

「あ、いや、まさか知ってるとは思わなくて」
「だって同じクラスで同じ委員会なんだぞ?知らない方がおかしいだろ」
「・・・・そうかなー、結衣ちゃんなんて自分の相方の苗字さえも覚えてなかったけど。だってまだ入学して1週間だよ?あ、結衣ちゃんっていうのは、」
「田久さん」
「・・・・・・・・・・知ってるんだ」

 さらにびっくりして、今度は驚きを少しも隠さずに、思わず、すごいねえ、なんて言ってしまう。入学してから1週間の水野くんは、どう控えめに言ってもクラスに馴染んでいるとは言い難くて、とてもじゃないけれど女子の名前なんて把握しているとは思えなかった。男子だって席が近い数人とサッカー部としか会話をしているのを見たことがない。



さんと、よく一緒にいるから」



 一瞬言葉の意味を上手く理解ができなくて、誰が?と問えばもちろん「田久さんだよ」という返事が返ってくる。はあ、と間抜けな返事をして、それから廊下でも注目されていることに気が付いた。入学式ほどではないにせよ、やっぱり彼はまだ話題の人であるらしい。今日が全委員会初会合の日でなかったら、とんでもない噂が飛びかねない勢いだ。各教室に向かう生徒たちの視線は間違いなく私たちに注がれていた。それでも私と水野くんが同じ委員会である以上今更ここで分かれるわけにも行かなくて、私は日が落ちていつもとは違う色に染まっている校舎の廊下を歩くペースを少しだけ上げた。

「それ、どういう意味?」

 なんとなく周囲の様子を窺うように私が聞くと、水野くんはなんだか嫌そうな顔をした。聞いてはいけないことを聞いたのかな、と後悔しても、もう遅い。「ごめん」と謝ると「何が」と言われた。
 水野くんに冷たい印象を持ってしまうのはこの話し方のせいなのかもしれない。短い単語だけが発せられていて、素っ気無い印象を相手に与える。普通に話しているように傍からは見えるかもしれないけれど、これでも私は緊張しているのだ。多少話してみて印象は変わったものの、苦手意識は完全に無くなったわけではない。

「・・・・クラスの、」

 ぽつり、と水野くんが言う。きょとんとした表情で彼を見ると、少しだけ顔を赤らめて私とは反対方向に顔を背けていた。

「クラスの女子、って誰から話せばいいかわからないし、さん、同じ委員会になったから、覚えようと思ってなんとなく目で追ってたから」

 そうしたら田久さんを嫌でも覚えるよ、と最後はほとんど吐き捨てるみたいに水野くんは言った。



 水野くんと言えば才色兼備で、いつもクールで読書家で、きゃあきゃあ騒ぐ女の子なんて大嫌い。



 と、いうイメージだったのだけれど。

 確かに不器用な印象は受けていたけれどそれはどちらかと言えば面倒くさくて今まで関わってこなかったタイプが周りをうろついているからどうすればいいのかわからない、みたいな感じなのかと思っていたのだけれど。



「なにそれ可愛いな!」



 私が言うと、水野くんは真っ赤になって「馬鹿にしてんだろ!」と言った。そんなまさかと思うけれど多分彼には伝わっていない。気づけば既に家庭科室のある廊下に差し掛かっていて、目ざとくそれを見つけたらしい水野くんは、ほとんど駆けるようにして家庭科室に入ってしまった。開いた口が塞がらないまま私はその水野くんを見送って。「邪魔なんだけど」と家庭科室の先にある理科室に向かおうとしている結衣ちゃんの腕を掴んで「やばいよ結衣ちゃん水野くんのことを皆は大きく誤解してるよ何あの人ほんと不器用!」、叫んだところで、はあああああ?と相手にしてもらえず、いいからさっさと行きなさいと言われた。





 お母さん!あたし、恋しました!






来は予測不可能すぎた





 
END
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44's LoveStory 2009さま提出。

09年12月25日


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