偶然のような必然。









らいろまあち。









「今日、三上の誕生日らしいな」

放課後の日課のうちの一つになりつつある、食堂にてチョコを購入していた時だった。購買のすぐ近くの席を丸々一つ分陣取っていた団体のうちの一人がそんなことを言った。それに対して興味がなさそうに、へぇ、と言ったのは今年の新入生で最も注目を集めた少年だ。部活がなくて喜んでるんじゃないですか、猫目の少年が少しだけ、まるで皮肉るように口の端をあげた。

「そういや三上先輩って平日で部活が無い日、いつもどこに行ってんすか?寮にはいないっすよね」

泣き黶の少年が、クーリッシュをくわえたまま思い出したように言う。この寒い中よくアイスなんて食べられるな、と身震いをしながら彼を見て、サッカー部の元気印、藤代くんというのはこの人か、と妙に納得した。あの馬鹿が、という三上くんの声が蘇ってくる。

「さぁ、知らないな。中西、お前知らねーの?同じクラスだろ?」

藤代くんの質問を受けて、さらにその質問を中西くんとやらに投げたのは、今現在私と同じクラスの根岸くんだ。

「知るわけないだろ。興味ないし。どっかで寝てんじゃねぇの?」

私は彼らの会話に耳を傾けたまま、ダースのビターを購入する。いつもより、少し遅めの速度で出口へと向かった。

自然と口元が弛んでしまう。
三上くんが今どこにいるのか知っている私は、三上くんの世界を独り占めしているような、くすぐったい気持ちになって、少しだけ頬が熱くなった。
あまり、イメージと結び付かないから、皆知らないんだろうか。

「あ、」

先程始めに、へぇ、と言ったっきり黙って会話を聞いていた少年――確か水野くん――が、そこで小さく声を発した。驚いたように一斉に皆が振り返ったところを見ると、彼はこういう場面で発言をしないタイプらしいことがわかる。振り返ったその顔に、水野くんは一瞬たじろいで見せたけれど、すぐにまた元に戻るとぽつりと呟いた。

「そういえば、前、本読んでるの、見かけました」
「本?あいつ、何真面目くさっちゃってんだよ。っつか図書室ってこと?」
「そうです。でも、次の日、喧騒がうるさいってすごく嫌そうな顔してたからもういないと思いますけどね」

その水野くんの言葉に、私は何だか優越感を覚えたような不思議な気持ちになって、気付けばスキップをしそうになっていた。自覚しているつもりだったけれど、私の恋心は思っていたよりもずっと大きかったらしい。気持ちが勝手に一人歩きをして、春風のようにいつのまにか回り込まれている。気を付けなければ、新たな何かを連れてきたそれに気付かないのだ。
とにかく早く出ようと、冷たく冷えた食堂の扉を開けた、まさにその時だった。





「はぁ?図書室の上のボイラー?」





根岸くんの驚いたような、呆れたような、どっちつかずの声が、私の体を突き抜けた。ば、と勢い良く振り返ると、ちょうど顔を挙げた水野くんと視線がぶつかる。けれどそれに構っている時間はなくて急いで彼の右横へと視線を滑らせた。するとちょうど、藤代くんの影になって見えていなかった席から、誰かが顔を出して、ゆっくりと首を縦に振った。

「外は寒くて人が来ないから」
「そこまでして三上は人のいないところで読書したいわけ?変なのー」
「ボイラーの側は熱がある」
「なるほど、っつかマムシお前なんで知ってんだよ?」
「図書室の立入禁止の非常階段をのぼるのを見て後付けたから」

ぎゃーさすがマムシ恐えー!ぇ、まさかお前俺の後とかもつけてないよな!?
最後の方はもう、聞いていなかった。
放課後の生徒たちで賑わう廊下を、駆け出していたから。










私が三上亮と出会ったのは、空がまだ高くなりはじめたばかりの、コスモスが綺麗な季節だった。

そもそも私が図書室の屋上を知ったのは、本当に偶然で、三上亮に出会う数週間前の昼休みだった。他の校舎よりも背の低い図書室の屋上に、二階の教室の窓から、数学のプリントが舞っていってしまったのが事の始まりだった。昼休みの次の授業に提出だったので、放っておくわけにも行かず、私は立入禁止のプラカードをぶら下げた、茶色くさびた鎖をくぐり抜けて、今はもう使われなくなった非常階段を上った。
さすがに鍵がかかっているかなと思っていた屋上への扉は、いともあっさりと開いてしまって、少し拍子抜けしたのを覚えている。
開けた扉からは、夏の名残りを少しだけ残した風が吹き抜けていった。私は罪悪感と好奇心の両方が、マーブル状に溶け合ったような気持ちで屋上へと身を乗り出すと、開けた視界に驚いた。思ったよりも綺麗な空間。円柱の形をしたボイラーだけがごぅんごぅんと静かに稼働していて、それ以外には何もなかった。隅の方でかさかさと風に乗り切れずに留まっているプリントを拾い上げ、腰を下ろす。
見上げた空は真っ青で、私はそこに病み付きになった。

私が月曜日と水曜日の放課後にそこに行くようになってから三週間と三日目。
唯一の物体であるボイラーに背を預けるように、三上くんは黒いハードカバーの本を読んでいた。人がいると思っていなかった私は、驚きと、それから目を伏せがちに本を読む彼の横顔にどきりとしたのが原因で、思わずその場で固まってしまった。ざり、一歩後ろへ下がったときの靴が地面をこする音で、その人物は顔を挙げた。

「・・・この本、あんたの?」

三上くんはそう言って、読みかけの本を持ち上げた。
私が月曜日に忘れていった本だった。










「・・・何をそんなに慌ててんだ?」

力任せに屋上の扉を開けた私に、三上くんは驚いたように目をぱちくりとさせた。昨日の昼休みにはまだ読みかけだった、カバーを外された文庫本は、既に読み終えたらしく無造作に彼の左側に置いてある。

「っ、え、ぁ、うん。いや、でも、今日約束して、たしっ」

短く上がる呼吸をなんとか押さえ込もうと肩で息をしながらそう言うと、変なところで途切れがちになってしまった。三上くんが笑う。

「とりあえず座れば」

三上くんは少しだけ体を左側へ寄せて、それから右手で自分の横をぽんぽんと二回叩く。一人で勝手に緊張しながら彼の隣へ腰を降ろした。最近ではいつもこの体勢なのに、慣れそうな気配は一向に訪れない。

って放課後も毎日ここにいんの?」
「ううん、月水だけだよ」

三上くんがここにやってくるのは、火曜と金曜の昼休みだけだ。大抵は古典の授業の予習をしていて、たまに前日にやっておいた時だけ本を読んでいる。放課後は、強豪武蔵森サッカー部に所属している彼に、ここに来る時間などあるわけがない。
私はというと、ここを見つけた当初はほとんど毎日通っていたが、最近はめっきり冷え込んできたせいで、三上くんと同じ昼休みと、月水の放課後にしか来ていない。ここまで来てしまえば、ボイラーの熱で寒さなんてどうとでもなるけれど、来るまでの少しの距離が、ひどく億劫なのだ。冬の木枯らしの威力には毎年ほとほと困っている。

「悪かったな」

じ、と私に視線を寄越したまま三上くんが言う。意味を理解することができなくて、私は、え?と聞き返した。

「今日、火曜だろ」

私は慌てて手を振った。

「いや、別にそれは大丈夫だよ、ほら、私暇だしそれに、」

三上くんに会えるならいつでも来るし、そう言いかけて口をつぐむ。三上くんが怪訝そうな顔をしたけれど、なんとか適当にそれを誤魔化した。

「で、何でさっきあんなに慌ててたんだよ」
「え・・・?あ!」

言われて思い出す。私はくるんと体を90度回転させて三上くんの方を向いた。

「サッカー部の人、ここ知っちゃったみたい!」

はぁ?三上くんが変な声を出した。傍から見てもわかるくらい、みるみると機嫌が降下していく。
三上くんがここに来る理由は、当たり前だけれど私と会うためなんかじゃなくて、サッカー部やクラスの知り合いに会わないためだった。予習をしている姿を見られたくないらしい。理由を問うと、そんなキャラじゃねぇから、と返された。ああ、この人のこういうところも好きだな、と微笑んむと怒られた、「何笑ってんだよ」。
とにかくそんなわけで、私は屋上についたら一刻も早く彼に連絡しようと思っていたのだった。三上くんに見とれている場合ではない。もちろん、私の、二人だけの場所を取られてしまったという思いもあっての行動だけれど。

「あー、どーすっかなーどうせバレたんだったら図書室にでも行くか・・・いや、でもなぁ」
「あのねっ」

ぶつぶつ言う三上くんに迫るようにズイと顔を近付けると、彼は少し後ろへと引いた。

「良い場所、見つけたの」










そこへ三上くんを案内すると、彼は一瞬ぽかんとした表情をして、それから私を無言で振り返った。顔全面に驚きが現れている。
私が三上くんを連れてきたところは、一般校舎の階段下だった。一階から半階だけ下がるように窪んだところがある。基本的には使われなくなった机や椅子が乱雑に置かれているそこが、半月ほど前に、姿を変えた。寄贈されて増えたグランドピアノの置く場所に困った音楽部が、調律をしなければならなくて、ここ一年くらい使われていなかったピアノを一台、持ってきた。その際に、古ぼけた机や椅子たちは、ゴミ捨て場の隣の倉庫へと運ばれていったために、スペースが少しだけ空いたのだ。調律されていないピアノを弾く人なんているわけがないから、滅多に人は来ないし、おまけに、図書室の屋上と同じように、一階の教室の床暖房のボイラーがあるために、そこだけぽっかりと暖かい。グランドピアノを避けるようにして奥に進んだところが、上手い具合に空いている。そこを利用させていただいた。

・・・お前、よくこんなとこ見つけたなー・・・え、あの椅子と机はどうしたわけ?」
「えー?いや、ちょっと倉庫からパクってきました。机あった方が勉強やりやすいかなって」
「いや、まあ、そりゃそうだけどよ・・・」
「誕生日プレゼントです、とかベタなこと言ってみる」
「ベタじゃねぇし」

何で私が三上くんの誕生日を知ってるのか彼は心底不思議そうな顔をしていたので、食堂でのサッカー部の会話を聞いて知ったことを告げた。なんだか面白くなさそうだ。
もともとここは、雨の日用に考えていた場所だった。図書室の屋上はいくらボイラーで暖まるとはいえ、屋根ばっかりはどうすることもできず、雨が降るとこの二人だけのイベントは、強制的に流れてしまっていたのだ。本当はもう少し綺麗にしてから見せるつもりだったのだけれど。食堂でたまたま今日が三上くんの誕生日だと聞いてしまったのが敗因だ。何もプレゼントを用意していなかった私の頭に真っ先に浮かんだのはこの場所だった。

「お誕生日、おめでとう」

できるかぎりの笑顔で私は言った。

「で、何か用だったの?」

三上くんは、しばらく黙ったままだった。
いつも通りならば、私は火曜日の放課後は真っすぐに家へ帰っている。しかし、今日の昼休みに、三上くんから放課後も来れるかと尋ねられたので、二つ返事で承諾したのだ。古典の予習でも手伝って欲しいのかな、とそんなことを考えていたのだけれど。

「今日、部活、休みになって、たまたま俺の誕生日で、」
「うん、すごい偶然だね」
あー、と何か言いづらそうに三上くんは言う。私は彼の言葉の続きを黙って待っていた。





「そういう日に、ただ、に会いたかっただけ、なんだけど」





へ?と間抜けな声を出すことしかできずに私は見事に固まった。それから体中が沸騰するんじゃないかと思うくらい熱を帯びて。嬉しいとかそういう感情以前に恥ずかしくて、両手で顔を覆ってしゃがみこむ。

「・・・三上くん。」

顔は見ずに問い掛ける。何だよ、という彼の声が思ったよりも近くて、私に合わせてしゃがみこんでいることが窺い知れた。



「それ、期待しちゃってもいいってことですか」



ぽつりと呟くと、短い肯定の言葉と大きな手が降ってきた。
今日最高だわ、と三上くん。

最高なのはむしろ私の方なんじゃないかという思いを、上手く伝えることはできなかった。



はっぴーばーすでー愛しい人!
貴方が生まれてきた奇蹟に感謝!



END
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三上ハピバ。中西根岸3年辰巳2年推奨の管理人がお届けいたしました。

08年01年22日


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