夜の洋館はどうにも不気味だ。 いくら明かりが点いているとはいえ、見慣れない無駄に装飾された階段や電灯、鏡が恐ろしい。よくもこんなところで生活できるな、と心底あいつを尊敬する。初めて訪れた時も、一人ではなかったからよかったものの、想像を超えた西洋っぷりに、感心を通り越して唖然とした。と、言うよりも、ここ近辺ではあまり洋館は見かけないために、どうしても物珍しいものは、一種の不気味さを感じてしまうのだろう。 それに加え、この洋館は規模が大きすぎる、何か、不安になる。 「さんがあの洋館嫌いなのはわかったんで早く行ってくれないですかね。店閉められないんで」 あの洋館がいかに日本人に合わないかという話を力説していたら、とうとう面倒になったらしい聞き役に回っていた少年がため息をついた。実は今私がいるところは、件の洋館から民家三軒分ほど離れた小さな本屋で、そこの一人息子と会話をしている次第である。 「堅いこというなよたっちゃん、だからたっちゃんとか呼ばれるんだよ」 「誰に聞いたんですかそれ!」 「チャラチャラした坊主から」 シゲか!と苛立たしげに舌打ちをした少年の名前は、水野竜也で、詰め襟姿がおそろしく似合わない。 本に囲まれて読書する姿は様になっているというのに、残念ながら学生服が台なしにしている。 絵になる少年とも噂をされているけれど、きっとその人たちはこの学生服姿を見ていないに違いない。 「しかし似合わないな」 「・・・会う度に言うのやめてもらえます?」 「言いたくもなるでしょ、そりゃ。鏡見た方がいいよ。そういえば黒川来た?なんか三上に、ここに置いておくように言ったから取ってこいとか言われてるんだけど」 「ああ、ありますよ。たぶんいつものやつです」 前半の助言に対しては綺麗さっぱり無視を決め込んで、がさがさと何やら紙袋を取り出す少年に目を向ける。すぐに、綺麗な状態のままで出てきた紙袋に感動しながらお礼を言う。紙袋はくしゃくしゃになりやすいというのは万人に共通する法則ではないらしい。 今度学生服着てない時に遊ぼうね、と言い残して私は外に出た。 洋館に付いてもベルは鳴らさない。裏に回って二階のある部屋目掛けて石を投げた。こつん、と強すぎず弱すぎず程よい音が響いてきて、これならば気づくだろうと数歩下がって同じ窓を見つめるけど反応はない。 しびれを切らして先程よりも大きく振りかぶったところでガラリと窓が開く。 「裏回れ、今日は空いてる」 「・・・彼女を迎えに行こうという精神はないの?」 「・・・裏」 言われて素直に裏に回ると、既に扉は開かれていて、珍しく和装の三上がいた。私の姿を確認すると、待つわけでもなく先に行ってしまう。呼び出しといて何様だ、と思いながら階段を昇って三上の部屋に入るが、そこに彼の姿はなかった。 あれ、と思いながら、部屋の入口付近で立ち往生していると、ふいにすぐ後ろから声がかかった。 「何してんの?」 「ぅお三上びっくりした!」 そこにいたのはもちろん三上で、手には湯呑みを二つ、持っている。どうやらこれを取りに行ってくれたようだ。 しかしこの洋館で、その純和風みたいな湯呑みはどうかと思う。そういうこだわりが、どうもこの一家には欠けている。通ってきた廊下には驚くべきほど立派な盆栽が置いてあった。今度来る時は豪華な西洋風の花束を持ってきてあの盆栽と入れ替えてやろう。腕の良い花屋の友人の顔を思い浮かべた。 「悪いな、仕事あがりに寄らせて」 「別にそれは構わないけど。最近は執筆中心だからそんなに疲れてないし」 「執筆ぅ?あっちの方が精神的に疲れるって言ってなかったか?」 「言ったっけ?」 そう言えば呆れたようにため息をつかれる。水野少年といい三上といい、人に対してため息はよくない。 三上が、明かりをつける。通された部屋は相変わらず整然としていて個性がなく、どうも面白みに欠ける部屋だった。 「あ!そうか、それで盆栽こっちに持ってくればいいのか!」 「あ?盆栽?」 「いや、こっちの話」 いつも通りの定位置、部屋の隅の本棚の横に座り込んで緑茶をいただく。癒されるなあ、と思わず頬を緩ませた。緑茶のおいしさには、紅茶だかなんだか、とにかく外国製のものは絶対に勝てない。 「はい、これ頼まれてた本。で、用って?中西の絵でも入った?」 「さんきゅ。まさに」 三上は立ち上がると本棚の上から、随分と大きな紙を下ろしてきた。 「うわ・・・・今回のはまた大きいな」 ざっと畳一枚分。 浮世絵というのは、版木などの関係からあまり大きなものは見かけない。それをこれだけ大きくしたのだから相当時間もかけたのだろうと思いきや、四時間で全てを仕上げただとか三上が言って、どこまで型破りな才能を持っているんだと呆れた。 夜明け前らしい神社と、一人の女性が立っている、なんとも不思議な絵だった。中西の絵は独特で、いつも驚かされるけれど、今回のはちょっとばかり理解に苦しみそうだった。 「どうする?いらねえなら他に回すけど」 「ん、いる。でも一応上に許可取ってみないとわかんないかも、大きすぎる」 「あ、そう。じゃあわかり次第連絡して。それまで引き取り人はってことにしておくから」 女性誌の、編集長を思い出して、彼女ならばすぐに許可をくれるだろう、とは思ったけれど、一応私一人で判断していいほどその雑誌はローカルではなくなってきているので仕方ない。 「それより、お前寝てる?」 「え、何急に、寝てるけど」 嘘付けよ、と三上が私の前髪を払おうと手を伸ばしてきたのを、条件反射で振り払うと、あからさまに苛立ちの表情を見せた。そんな顔されても困る、今は夜という時間とこの前髪でどうにか誤魔化しているけれど、光を当てられたら完全にわかってしまう。 「そういう三上だって寝てないでしょ、最近草ばっか見てるって渋沢くん言っていたよ」 「草っていうな、薬草と香草だ」 お互い様じゃん三上が寝ろよ!とか何とか言い合いながら、じりじりと詰められる間合いを、間に本やら何やらを挟むことでなんとか保つ。しばらくその攻防を繰り返していると、ついに三上が切れた。 「あーっもうめんどくせーな!!わかったよ今すぐ寝りゃお前も寝るんだな!?」 「だからどっからそういう話になったよ!?」 うっせえな、と三上が立ち上がってそのまま腕を掴まれた。咄嗟の出来事で反応できず、そのままベッドの中へと引きずり込まれてしまう。「狭い」「文句言うな高級なベッドで寝られることを有難く思え」動き回っていたら捕獲された。体格差ではどうしようもなくて、なんとなく悔しい。 三上、と言いかけたところで遮られる。「文句は明日聞いてやるからとりあえず寝るぞ」そう言ってベッドの側に置いてあるランプの灯りを消した。 明日も早くから出かけなければならず、今日はさっさと退散する予定だったのに、三上といると結局ほだされているような気がしてならない。 認めないけど。 「ねー三上ー、・・・・三上?」 「・・・・あんだよ?」 「何怒ってんの?」 聞きたいことがあって声をかけて見れば、三上の声は明らかに怒気を含んでいて、疑問をぶつけると、返ってきたのは沈黙で。 「言いたいことあるならはっきり言ってくれる?なに?」 「・・・・お前、いい加減、名前、」 「は?なに?名前?私の?」 「・・・・なんでもねえよ!」 完全に背を向けられる。名前だけじゃわからないんですけど、と思考回路が動き始めて数秒、あ!と私は声をあげた。灯りもない状態な上に背を向けられているせいで表情は見えないけれど、間違いなく照れているに違いない。ちょっとだけ嬉しくなって手を伸ばす。 「おやすみ亮また明日」 返事の代わりに、手が重なった。 明日におやすみなさい END 浅海レナさんへ。 12年06月04日 |