「アキラ、最近遊んでくれなくなったよね」

塔矢アキラが学校から帰ってみると、幼なじみの少女が眉間に皺を寄せた状態で、居間でちゃっかりお茶を飲んでいた。とは幼稚園の頃からの知り合いだけれど、お互いの中学入学を境にあまり会わなくなっていた。塔矢は今までに増して碁に専念するようになっていたし、も部活動に精を出していて必然と会える時間が減ったのだった。
ゴトン、と乱暴に湯呑みをテーブルに置いてから、は、塔矢にテーブルを挟んで目の前に座るよう言う。塔矢は何が何なのかよくわからないまま言われた通りに腰を降ろした。「遊んでくれなくなった」、はもう一度そう言った。

「遊んでくれなくなった、って最近は会ってもいなかったじゃないか」

どうやら両親ともに不在らしい。「どうやって入った?」「さっきまでおばさんいたの」の機嫌は相変わらず下降気味だ。あまり頻繁に会わなくなって随分経つのに、何故このタイミングでこんなことを言いだしたのか些か疑問ではあるが、正直の考えていることがわからないのはいつものことなので塔矢は特に気にする風でもなく、カバンから宿題をやるべく数学セット一式を取り出した。その完全に無視されたような状態をは面白く思わなかったらしい。これでも食べて待ってて頂戴ね、と塔矢の母親が出してくれた煎餅をひとかけら、思いっきり投げ付ける。もちろん華麗に避けられてしまったけれど。

「どうしたの、。何か言いたいことあるなら言ったら?」

ゆっくりと、塔矢は持っていたシャープペンシルを机の上に置く。
はどちらかと言うと感情の起伏があまり無い方だった。幼なじみの塔矢に似たのかもしれない。あまり声を荒げるようなこともしないし、自分の感情を露にすることもない。
ただ一つ例外があるとすれば、それは塔矢の関わっていることだった。しかもプラスの感情ではなくマイナスの感情であることがほとんどで、例えるならばおもちゃを取り上げられた子供の反応に近い。のそれに塔矢はもういい加減慣れてしまったけれど、それでも気の良いもの、ではないことは確かだ。

「アキラ、最近あたしが一番じゃなくなったよね」
「・・・何言って、」
「優先順位代わったじゃない」
「ちょっと、何言ってるのか全然わからない」

もともと碁が第一優先だ、そう少しだけ怒ったように言う塔矢に、は微かに頬を膨らませた、「それは知ってるよ、そうじゃなくて」、不満げに視線を横にやりながら彼女は乱暴にため息を吐く。

塔矢アキラは碁の名人である男を父に持ち、幼いころから碁石碁盤をおもちゃ代わりに育ってきた。そこらの子供では歯が立たないくらいの実力を持ち、したがって昔から何かと普通の子供たちとは違う部分が多かった。放課後は碁会所へ行ってしまうことが多いし、何よりまずあまり他の子供とは遊ばない。愛想が悪いとか見下しているとかそういうのではなく、きっと碁を好きになりすぎたのだと思う。だからこそいつも傍にいることを許されていたは特別だった。否、少なくとも彼女自身はそう思っていた。

ところが、小学校六年生のある日を堺に、彼は何かが変わった。は始めは、きっと碁をもっと真剣に行おうと思ったに違いないと考えていたが、どうも違うらしいことに最近気が付いた。





何かを追っている。





そんな印象だった。
それはタイトルだとか碁の何かだとかには思えなくて、ああこれはきっと『誰か』を追っているのだ、とは確信した。
別に塔矢を責めるつもりはないし、彼を束縛する権利だってには持ち合わせていないけれど、ただ、面白くない。
碁を除けば塔矢の中では一番であったことは間違いないことで、だからこそ別に会えなくなったって構わなかったのだけれど。





最近、それが崩れている。





が塔矢に嫌われたわけではないことくらい、にもわかっている。その誰かがきっとを上回る何かを持っているのだろうことも、そしてそれは碁であろうことも、きちんとわかっているつもりだ。

「・・・ライバルでも、現れたの」

が沈んだ声で問うと、塔矢は曖昧に笑う。不審に思ってが視線を投げ掛けると、塔矢は困ったように目を窓の外に向けた。





「わからないんだ」





ライバルなのかどうかわからない、と塔矢は言う。「プロの人?」はじっと塔矢を見つめた。「違うよ僕らと同じ年の男の子」、塔矢のその言葉には心底驚いた。塔矢ほどの技量持った中学生はそうそういない。

「その子は中学生にしてはすごいけどアキラほどじゃないからライバルかどうかわからないの?」

塔矢はゆるゆると首を振った。子供の帰宅を促すチャイムが町中に鳴り響くのを、はどこか意識の遠くで聞いている。

「棋力に、ムラがあるんだ」
「ムラ?」
「そう、強いときは本当に強い。2回、負けたよ」

負けたの!?、が素っ頓狂な声を上げると塔矢はしっかりとした視線と声で「負けた」と2回言った。
でもしかし、聞いてみれば中学にあがって対決した彼は驚くほど弱かったらしい。それこそまさに、雲泥の差、だったと塔矢は言う。

「だけど、」

が、その子ライバルじゃないよだから追い掛けないで、と言おうとしたところで塔矢が先に口を開き、少し、低いような、響くような声で言った。思わず姿勢を正してしまう。








「彼は絶対ここまで来る」








確信、のようだった。文句を続ける予定だったは塔矢の本気を見て、とうとうその言葉の続きを紡ぐことはできなかった。



――ああたぶん、これから彼らはあたしの知らない世界に行くんだ。



誇らしいけれど、やっぱり少しだけ淋しかった。



――あたしは、囲碁なんて、大嫌い。











   



あたしも連れてって。





END
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陽ちゃんに捧げます。やふー対策教えてくれてありがとう!遅れてごめんなさいorz

09年02月17日


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