闇


  沈



   
 良し嫌いもの、という考え方がある。




 私がまだ現世で生きていた頃に流行っていて、怪談ものなんかを書き溜めていた近所の学者も確かこの考えを持っていたはずだ。

 良し嫌いもの。

 良いものは悪いという、なんとも不思議な考え方。

 でもとにかくそんな考えが江戸やら大阪やらで流行っていて、私の両親もその社会風潮にしっかり感化されていた。
 私自身がその考えに納得していただとか、そういうわけではなくて、生まれてきたら周りがそうだった。完璧よりも何か欠点があるものを好む。家は結構大きな紙問屋で、店に尋ねてくるお客様にもそんなことを言っていた。
 両親の影響も大きかったけれど、私もこの世には完璧なんてものはないと思っていた。商売の謳い文句なんかにそんな言葉が入っているとどうしても疑ってしまう。そんなにこの世の中甘くないし、簡単な作りではない。



 幼い頃から変なものを見た。

 数えで五つくらいのことだから、はっきりとは覚えていないけれど、確か黄熱病にかかって生死の間をさ迷ったことがきっかけだったと思う。
 熱にうなされた時に真っ黒な着物に身を包んだ男が見えた、「まだ生きたい?」、そんなようなことを聞かれた。その時はすごく身体がつらくて頭ががんがんとしていて、ああこんなのが続くんなら嫌だなと思ったから、私は首を横に振った。そうしたら男はうっすらと笑って、ならまだ生きろ、と。



 目が覚めてとりあえず生きていることを知った。

 両親は泣き崩れるように私を抱きしめてよかったと繰り返す。あなた絶対助からないと言われたのよ、という母親の言葉を聞いて、あの人が助けてくれたのかなとそう思った。
 しばらくは絶対安静で、部屋から動くことができなかったのだけれど、やがて身体も回復して外へ出られるようになって違和感に気づく。

 まず、家が騒がしい。

 人が多い。
 しかも怪我人や病人のような人が多い。
 けれどそれを両親に尋ねるようなことはしなかった。彼らには見えていないことが、明白だったからだ。
 その中に、先日無くなったお隣りの咲ちゃんを見つけて、それから昔の藩主も見つけた。
 曖昧に、この人たちは世の中からいなくなってしまった人だと理解した。

 次に、「黒い」人が多い。

 肌が黒いわけじゃない。黒いもやみたいなものに、包まれている人がたくさんいた。
 これは両親に尋ねた。
 すると母親の周りの黒いもやが増えた。
 怖かったので嘘だよと笑った。



 もともとそんなに活発なタイプではなかった私は、毎日自分の周りをじっと観察することに専念するようになった。店に来る人、前を通過していく人、大名行列、たくさん見た。

 たくさん見て、たくさん考えて。



 あの黒いもやは人間の悪い部分なのだと知った。



 基本的に持っていない人はいない。ただ子供の方がそれが薄いことに気がついた。それから大人はその差が激しいことに気がついた。
 叔母は、静かな人だった。両親はあまり役に立たないからと疎んでいたけれど、私は叔母が好きだった。
 ほとんど黒いもやを持っていなかった。
 叔父は、とても愛嬌のある人で、皆から好かれていた。私は、叔父が苦手だった。
 真っ黒だったからだ。

 程なくして、私は風邪を拗らせてあっという間に亡くなった。
 数えで十と三つだった。
 また、昔一度だけ見た黒い着物の男が来て「やっと死ねるやん」と笑った。死にたかったわけじゃないよと言いたかったけれど、説明するのが面倒で、肩を竦めて見せた。



 生きていない人をたくさん見てきたから、てっきり私もああいう風になるんだと思っていたから、突然目の前が真っ暗になって、流魂街にいたときは驚いた。とは言っても当時は流魂街を知らなかったわけだから、知らない街に一気に移動したように思ったのだけれど。

 普通、流魂街にたどり着いた魂は、まず始めにそれぞれの区分に配置される。
 私にはそれがなかった。
 
 だから多分、私は特例。

 私を連れて流魂街まで着いた男はまじまじと私を観察して、「自分、霊力強いなア」と一言。死神になる?と言って、私の返事なんか聞かずに、どこかへ連れて行かれた。あとはもう、ほとんど記憶にない。
 それくらい異例の速さで護挺十三隊に入隊した。
 配属されたのは、五番隊。



「初めまして、ちゃん。副隊長をやっとります、市丸ギンです」



 男の名を、初めて知った。










?」

 眠ってしまったらしい私の脳に、心地好いテノールの声が響く。ゆっくりと瞼を開いて光の反射に目を細めながら影を確認すると、赤が見えた。

 恋次くんだ。

「お前なー、旅禍が来て大騒ぎだっつーのに何してんだよ」
「恋次くんこそ。ここ、別に大騒ぎにもなってないけど」
「阿呆か、ちゃんと霊圧探っとけ。ここ、もうすぐ旅禍来るぞ」

 言われて首を回すついでに探ってみると、なるほど、確かにやってきている。地下か。

 最近の尸魂界は騒がしい。この間までは、ルキアさんがいなくなったとか罪を犯しただとかでバタバタしていて、今はそのルキアさんを助けるために入り込んできた旅禍との応戦に追われている。
 皆が躍起になっているみたいだったのでじゃあいいかとサボっているところを恋次くんに見つかった。

「必死だね」
「あのな、緊迫感ねえのなんてお前ぐらいだぞ?」
「緊張はしてるよ。でも、うん、恋次くんよりは緊張してないかもね。なんたってルキアさんが関わってるんだもんね」

 恋次くんが吹いた。

「でもいいの?」
「・・・何が?」
「旅禍を捕まえるってことは、ルキアさんの処刑が実行されるってことだよ?」
「・・・」

 おかしいと思う。
 あれくらいの罪で処刑が実行されるなんて聞いたことがない。ルキアさんもルキアさんで何で何も言い返さないのだろうと思うけれど、家柄とか境遇とか、そういうものがぐちゃぐちゃに絡み合っている彼女には、選択の余地なんてないのかもしれない。
 恋次くんが、ふと真剣な目で遠くを見つめた。彼の視線の先には白い塔が見える。

 そこに、彼女がいる。

 詳しいことは知らない。ただ幼なじみなのだと聞いた。

 恋次くん、と声をかけようとして、彼が振り返った。伸ばしかけた手が中途半端な位置で所在なさ気に空を切った。

「お前、藍染隊長、見張ってなくていいのか?」

 はあ、と要領を得ない返事をすると、恋次くんは眉間に皺を寄せる。

「日番谷隊長の話、聞いてなかったのかよ」
「ん、桃ちゃんに言ってたやつ?ならいいじゃん、桃ちゃんがいるんだし」
「でも、市丸隊長には、勝てねえだろ」

 そこまで言ったところで恋次くんはどこかへ行ってしまった。きっと、近づいてきた旅禍の元にでも行ったのだろう。





 市丸隊長に気をつけろと人は言う。

 日番谷隊長も桃ちゃんも、多分、あの人を疑っている。
 藍染隊長が、危ない、と。


 でも、



くん?」



 呼ばれてびくりと肩を跳ねさせた。振り返らずに、名前を呼ぶと困ったような声が響く。

「君はいつも僕が呼ぶと怯えるね」

 藍染隊長だ。
 そんなことないです、とは言わなかった。言うつもりもない。

 よく、この私の態度を巡って桃ちゃんと対立する。でも結局、それを言ったら桃ちゃんだって日番谷隊長にあんな態度じゃないと言い返して、大体決着がつかないまま終わる。苦手なものは苦手なんだから仕方ない。

 藍染隊長は小さく微笑んでここは危ないから、と私に言った。ここ最近全体的にピリピリしているせいもあって、必要以上に殺気立った尸魂界に身を置きながら、藍染隊長だけはいつもと変わらない。

 黙ったまま動かない私に、藍染隊長は先程よりも強い語調で、「行きなさい」と言った。



 藍染隊長は皆から慕われている。霊力だって半端ないし、部下皆を気遣っているし、隊長であることに驕ることもない。

 優しくて、完璧で、皆の理想。




 完璧。




 そんなもの、存在していいわけがない。





「・・・市丸さんを、どうするつもりですか」





 言ってから後悔する。息が詰まる。品定めを、されているような気分。それでも言わずにはいられなかった。最近、市丸さんの様子がおかしいことくらい私にはわかる。イヅルくんはそんなことないと呆れていたけれど、間違いない。私が、間違えるはずがない。



 彼が、口の端を、微かにあげた。



「なんのことかな」

 私は頭をぺこりと下げると、一目散に駆け出した。




 良し嫌いもの。

 良いものは悪いという、何とも不思議な考え方。
 だけど私は経験上、これが意外と間違っていないことを知っている。





 ねえ市丸さん、どうしてこんな人についていくの。





 あの人、





 真っ黒なのに。





END
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BLEACHとか久々だなあ、拍手で好きだとコメントいただいたので(単 純)

09年12月21日


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