春が来た。
 そう言って珍しく東京にある宿舎にいた奥羽本線が、紙袋一杯に詰まった草花を置いていったのは、つい先ほどのことである。春も何も東京では夏日の気温を叩き出していたが、春が遅い東北では、ようやく新緑芽吹き桜も咲き乱れた、ということなのだろう。「ける」と短い一言と共にその紙袋を奥羽本線から差し出され、受け取ったのは埼京線だった。
 埼京線はあまり奥羽本線と話したことがない。鉄道の敷設が国を挙げての事業として立ち上がり、全国に瞬く間に広がっていった明治から大正、昭和初期に完成した多くの元国鉄路線とは異なり、埼京線は東北・上越新幹線開業の際に、併せて敷設された新線である。国鉄時代には、各地の路線がやれ緊急会議だのなんだのと首都圏へ召集されていたと聞くが、民間になってからはそう多くはない。
 故に、埼京線は同じ会社に所属してはいるものの、首都圏まで線路が伸びていない奥羽本線や信越本線、羽越本線などの地方路線とはあまり関わりがなかった。本線と雖も地方から首都圏まで走っているのは、東北本線、東海道本線、中央本線くらいのもので、他は顔を合わせる機会も少ない。
 仕事のついでに顔を出したのであろう奥羽本線は、滞在時間も短く、結局たまたま居合わせた埼京線に、紙袋を託す形になった。
 東北訛りを新鮮に感じながら、にこにことその紙袋を受け取り、奥羽本線を見送ったところまでは良かったものの、いざ中身を広げて見れば見た事のない草花ばかりだったのである。はて、と埼京線は首を傾げた。草花と言っても、色鮮やかな花弁がついているものはなく、花瓶に入れたところで部屋のインテリアになりそうもない。物によっては丈が短く、くるりと丸まっているものもあり、どう取り扱うのが正当なのかわからないものも多い。ひとまず比較的丈が長く、鮮やかな色をしたものを花瓶に入れてみよう、と、埼京線は談話室を後にする。花瓶なんてどこかにあったろうか、と考えを巡らせてみるが、そんな風流を愛でるためのものが、この宿舎にあるとは思えなかった。

「埼京線?何してるんだ?」

 山手線よろしく、ぐるぐると廊下を行き来していた埼京線を、聞きなれた声が呼び止める。はた、と足を止めて振り向くと、怪訝な顔をした武蔵野線が立っていた。

「お疲れ様〜、ちょうど良いところに!ねえねえ、花瓶がどこにあるか知らない?」
「は?花瓶?」
「そう、さっき奥羽がこれくれたんだけど」

 がさがさと紙袋から埼京線が取り出した草花に、なるほどと武蔵野線は頷いた。どうやらこれを活けるための花瓶を探しているようだ、と理解する。

「なんでこんな雑草貰ったんだよ?」
「ざっ…雑草って言うなよ!わざわざ東北から仕事で来ていた奥羽本線が、東北にも春が来たからってこれくれんたんだよ!?」
「こちとらもう夏かよって感じの気温だけど。っつーか花瓶なんてそんな洒落たものがこの宿舎にあるとも思えんけど。大体、これまで花とか活けてあんの、見た事ある?」
「う…、ないから困ってるんだろ」

 どうしたものか、と大の男が2人顔を突き合わせて悩んだところで、花瓶が出てくるわけでもない。最終的に、「コップでいいんじゃね?」という武蔵野線のアイデアが採用され、2人は食堂へと向かう。
 食堂の扉からは、明かりが漏れていた。週に何度か来てくれるまかないさんは、今日は既に帰宅しているはずで、従って誰か先客がいるのだろう。遅番だった者が夕食を食べているのかもしれない。ガラリ、と引き戸を引くと、予想通り食事中の路線が2人いた。京浜東北線と山手線である。

「やっほー☆埼京に武蔵野、お疲れ様!今日は武蔵野は5分程度の遅れで済んでたね☆上出来上出来☆」

 ぱかぱかと不自然に口を上下に動かしながら、まず挨拶をしてきたのは山手線(内回り)である。京浜東北線はちらりと視線だけ寄越し、軽く会釈する。

「どうもどうも。5分なんて遅れのうちに入らないから、今日は定時さ!っつか前から思ってたけど、意外と周囲路線のことよく見てるよな」
「当たり前☆乗り入れはしてないけど乗り換えでどこ路線も影響してくるからね!」
「僕らは武蔵野線が遅れようとそんなに影響受けないけどね。で、君らは何しに来たの?」

 食事を終えたらしい京浜東北線は、立ち上がって食器を返却しながら言った。自分用に食後のお茶を用意する傍ら、全員分ついでに淹れているところが彼らしい。実はさー、と埼京線は椅子に腰を降ろしながら経緯を説明する。長机に紙袋の中身を広げていくと、思っていたよりも多くの種類があったことがわかった。物珍しげに山手線がひとつひとつ確かめるように手に取っては戻すを繰り返す。

「……」

 全員分のお茶をお盆に乗せて戻ってきた京浜東北線は、机の上に広げられていく草花を見て、眉根を寄せた。

「なにさ京浜。言いたいことあるなら言ってよ」
「じゃあ言うけど。これ、活けてどうするの?雑草じゃん」
「だよなー、俺もそう言ったんだけど」
「だから!雑草って言うなよ!せっかく奥羽がくれたんだから!明後日本線会議があるんだろ?その時までせめて飾っておいてあげないと!」
「君も何気にひどいこと言ってるけど自覚してる?」

 正体不明の草花を前に、お茶を啜りながらどうすれば少しでも可愛らしく活けられるかということを議論した。幸いなことに、路線の多くが酒飲みであって、洒落た花瓶はなくとも、洒落た酒器は豊富である。やたらと細長いシャンパングラスや、少し変わった一合瓶を戸棚から取り出し、丈のあるものから活けていく。挿すには丈の長さが足りないものは、ガラスの大皿に水を入れ、そこに浮かべるという方法を採用した。

「埼京、これどうする?根っこの部分な気がするけど…」

 あらかた挿すなり浮かべるなりしたところで、京浜東北線が、最後に残ったものを手に取った。少し丸く膨らみのある茎のような、根のようなもので、浮かべるにしても挿すにしても違う気がする。ああでもないこうでもないと議論を白熱させていると、ガラリと扉の開く音がした。

「なんだあ?揃いも揃ってこんな時間に何してんだ?」

 扉横に立っていたのは、高崎線である。風呂から上がったばかりのようで、首からタオルをぶら下げている。共用の冷蔵庫から麦茶を取りだし、自分のコップを探すが見当たらない。それもそのはず、高崎線のコップは残念ながら使用中だ。あ、とその事実にいち早く気付いたのは埼京線で、慌てふためくように周囲を見渡す。

「ご、ごめん高崎!コップ今ここに、」

 あるよ、と伝えようとした埼京線が言葉を飲み込んだのは、高崎線の後ろに、もうひとつの影を認めたからであった。何してんの…、と高崎線によく似た声で言ったのは、宇都宮線である。「おー、やっぱりお前らニコイチなんだなあ」と空気を読まずに発言したのは武蔵野線で、明らかに宇都宮線は面白くなさそうな顔をしている。わわわわわわ!より挙動不審になる埼京線を、見慣れたものと言わんばかりに、京浜東北線も山手線も、特に気にもしない。

「高崎のコップどれ?わかんないから自分で探してよ」

 京浜東北線に呼ばれ、高崎線は机に並べられたコップや酒器を見下ろす。しばらく無言で視線をテーブルの端から端まで行ったり来たりさせていたが、耐えられないとばかりに突然ゲラゲラと笑い出した。

「えっ、ちょ、ま、…ぶふっ!お前らほんと何してんの!?」
「……だから言ったじゃん」
「え!?何でそんな皆俺が悪いみたいな顔してんの!?さっきまで真剣に考えてたじゃん!」
「いやー、まあ、高崎が笑うのもわかるけどなあ。奥羽が置いてったやつを埼京がどうしていいかわからんって言うから、オレらも協力してたとこー」

 間延びした口調で淡々と事実を説明する武蔵野線だが、高崎線は聞いていない。腹を抱えて笑い転げている彼に、段々と苛立ってきたのか、埼京線が声を張り上げた。

「そんなに笑うことないだろ!東京に出張で来た奥羽が、春が来たからってくれたんだぞ!確かに雑草みたいだしやってること子どもじみてんなって思うけど、人からの好意を無下にしたくない!」
「雑草!?今雑草って言った!?」
「……は?」

 思いも寄らないところに食いついた高崎線に、埼京線の振り上げていた拳は行き場を無くす。山手線と京浜東北線、武蔵野線も、高崎線の言葉に首を傾げた。

「高崎、笑うのはその辺にしといたら。この人たち、これが何かわかってないんでしょ」
「いや、だって…ぶふっ!おいお前のお気に入りの徳利にも何か刺さってんぞ」

 一度も口で勝ったことのない宇都宮線のお気に入りを、知らなかったとは言え勝手に使ってしまったことに怯え、埼京線は思わず背筋を伸ばす。言われてみればこれを使って飲んでいるのを一度見た事があるような気もするが、それが宇都宮線のものだとは、つゆほどにも思わなかった。ふうん、と低く漏らされた一言に、埼京線だけでなく、武蔵野線も青い顔をしてるのがわかる。

「僕、うるいは好きじゃないんだけど」

 むしり取るように、宇都宮線は徳利に刺さった葉を引き抜いた。

「どうせなら、高崎のコップに挿してある方にしてくれる?」

 埼京線は、自分が持つ高崎線のコップを見下ろした。

「……え?」
「花芽わさびは好き。お湯かけるだけで食べられるから手間もかからないし」
「いやあ、うるいもわらびみたいにあく抜きが必要なわけじゃねーし、楽な方だろ」

 ようやく一息ついたらしい高崎が、埼京線から自分のコップを受け取った。ポカンとした表情でやり取りを見ていた埼京線以下4路線は、わらび、の一言に一斉に反応した。

「ええええええええええそういうことかよ!!!!」

 最初に口を開いたのは武蔵野線である。

「…見たことがあるような気はしていました」

 言い訳するように呟いたのは京浜東北線で。

「…調理される前のは初めて見た」

 ぼそりと驚きの声を上げたのは山手線。

「そうならそうと最初から言ってほしかった…」

 穴があれば即座に入ってしまいそうなほどに羞恥心を湛えながら、消え入りそうな声で言ったのは埼京線だった。

「俺もそんなに詳しい方じゃねえけど、高崎駅にこの時期になると置いてあるからなー。信越あたりが持ってきてるんだと思うけど。あ、宇都宮、これなんだっけ…、ぶふっ、う、うける、浮かんでる…!」
「どれ?…ああ、こごみでしょ。正式名称なんだったか忘れたけど。それにしても、随分洒落た方法であく抜きしてるよねえ。初めて見たよ、上官にも教えてあげよう」

 これとか何事?宇都宮線は、薄い桜色の綺麗な大皿に浮かべられた山菜たちを指さして、良い笑顔で笑う。
 まさか奥羽本線が持ってきたものが山菜だとは知らずに、せめて本線会議のある明後日までは活けておこう、などと提案していた自分を恥じて、埼京線は顔を覆った。店で天ぷらなどを食べたことはあったものの、山手線の言うように、調理される前の状態を初めて見たのである。加えて、特に草花に詳しいわけでもない。これが山菜だとわからずとも仕方のないことだろう。かつては関東でもよく採られていたのだろうし、今でももちろん採れるのだろうが、日常で目にする機会はぐっと減ってしまった。都会の中を駆け抜けている路線には、ほぼ関わりのないものになってしまっていたのである。

「あ、こしあぶらもある。さすが奥羽、わかってるよねえ」
「こしあぶらってなんだっけ」
「たまに天ぷらで出すでしょ。たらの芽とかと一緒に」

 食堂でまかない飯を食べることも出来るが、意外と不規則な勤務が多い路線たちは、自分たちの部屋にも調理器具を一通り揃えている。どうやら宇都宮線はたまに山菜を使った調理をするようだった。意外な一面を見たような気もするが、そうだこの人の正式名称は東北本線だ、と埼京線は思い出した。

「これは?」
「それはばっけ…、ふきのとう。ふきのとうくらいは君のところにも生えてると思うけど。春になると線路脇でおばあさんがよく採ってるよ」
「よくは採ってねえよ…」

 これはしどけ、こっちはみず、それはアイコ、と宇都宮線が説明していくのを、へえと感心して覗き込んでいるのは、高崎線と武蔵野線、それに山手線だった。なんとなく居心地が悪くて入れないでいるのは埼京線と京浜東北線だ。「それで?」一通り説明を終えて、宇都宮線がやはり良い笑顔のまま埼京線を振り返る。「ハイッ」変に裏返った声を埼京線が出してしまったのは、あの笑顔の宇都宮線には勝てたことがないからだ。

「山菜を目で楽しむ派の埼京は、これをどこに飾ろうとしてるのかな?手伝うよ?奥羽もさぞ喜ぶだろうなあ」
「…僕が悪かったです!すみませんでした!」
「あれ?飾らないの?それじゃ、これどうするの?」
「…あげる」
「何?」
「こちら奥羽本線が差し入れてくれた山菜になりますので、ぜひ宇都宮線に受け取ってもらいたく存じます!どのようにすればよろしいでしょうか!」
「おや、くれるのかい?それじゃとりあえず、ざるに上げとこうか。わらびはあく抜きしなきゃだし。手伝ってくれるよね?」

 埼京線以下首都圏しか走らない在来線組は、ただ首を縦に振るしか選択肢はない。



 宇都宮線もとい東北本線と中央本線が自ら調理した山菜の料理がずらりと並んだのは、2日後の本線会議後の懇親会のことであったが、残念ながら埼京線はそれをいただくことは出来なかった。





春の便りは

もう少しわかりやすくお願いします!




   


長大路線には夢見ます。


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