目の前に広がる曇天と暗い色の海を、飽きもせず眺めている。
 かれこれ1時間以上同じ風景が続いているが、そんなに物珍しいのか、向かいに座る秋田新幹線は白い波しぶきがあがる日本海に視線を向けたままだった。

「すごいねえ。八戸線とか五能線とかもそうだけど、海沿いっていいなあ」
「そうですか?上官だって雄大な自然の中を走るじゃないですか」
「うん、山とか川はあるけど、海はないよ。海っていいな。解放感ある」

 秋田を連れていくよ、と上越新幹線から連絡が入ったのは、今朝9時頃だった。朝から山形新幹線が大雨の影響で終日運休が決まっていて、東北地方は大荒れになる予報だった。始発こそ動いたものの、秋田新幹線も順次運休や打切りが決まっていて、東京で業務に就いていた秋田新幹線は、自分の路線で帰れなくなったのである。幸いなことに、上信越地方の空模様はそこまで荒れてはおらず、上越新幹線も、新潟から秋田に伸びる羽越本線も平常運転だった。田沢湖線と奥羽本線が運転中止になった以上、秋田まで帰るルートは新潟周りしかなく、秋田新幹線はこのルートを使うのだと言った。
 羽越が秋田まで生きてるの珍しいねえ、などと信越本線や越後線にからかわれたが、雨で止まることはあまりない。冬場の風の影響を受けやすいのは海に面しているから仕方のないことなのだ。
 上越新幹線について秋田新幹線が新潟駅に降り立ったのは、午前11時半頃。僕は仕事があるから、と早々に姿を消した上越新幹線に変わって、せっかくだから美味しいもの食べたい!という秋田新幹線にたれかつ丼を食べさせて、駅弁を3つも買い込んで特急列車に乗り込んだのが13時頃。

「秋田上官、その駅弁は秋田までお持ち帰る予定ですか?」
「うん?まあそのうちお腹空くから食べるよ。まだ2時間以上あるでしょ?」

 普通そんなに早く空腹になりません、というつっこみを入れるのも面倒で、羽越本線はそれ以上何も言わなかった。
 秋田新幹線と向かいあって日本海を眺めていることが、どうにも慣れず、新潟を出てからずっと落ち着かない。そう思っているのは羽越本線だけのようで、向かいに座る秋田新幹線はしきりに海ばかり眺めている。

「ここに整備新幹線計画を立てたの、狂気の沙汰としか思えないね」

 口調こそ柔らかいものの、決して可愛らしいとは言えない話題をあっさりと口にした秋田新幹線に、羽越本線はぎょっとする。とは言え、残念ながら車内に人はまばらで、誰も2人の会話を気にかけてなどいない。相変わらず興味関心を海に向けたままの秋田新幹線に、羽越本線は呆れつつ惰性で答えを返した。

「昔は日本海側の航路も重要な運送ルートだったことを思えば、それほど不思議でもないんじゃないですか?」
「ほんとにそう思ってる?羽越ってさ、」

 ぐるん、と突然秋田新幹線が振り返る。不意打ちの動作に上手く反応出来ず、真正面から向き合う形になった。はい、とほとんど音もなく羽越本線が返事を返すと、何故か秋田新幹線の表情が一瞬揺らいだような気がした。
 やっぱり何でもない、とまた視線を海に戻してしまう。

 この人には本当によく振り回されている。どこから湧き出てくるのか、留まることの知れない食欲を満たすために、わけのわからない名目で召集がかけられることも、やれあそこの土産が欲しいだのお遣いを頼まれることも珍しくなく、新潟の星と言い、この男と言い、どうして上官とはこうも我侭なんだ、と嘆きたくもなるが、そこは路線といえども組織の一員、上の言うことには基本的に逆らえない。

 だけど、こんな一瞬。
 本当に微妙な表情や仕草から、一気に時を巻き戻され、上司になる前の出来事を思い出すことがある。

 高速鉄道という在来線よりも上位の立場でありながら、ミニ新幹線という在来線と同じ位置づけであること。
 色んな事情を飲み込まなければならなかった秋田新幹線と山形新幹線は、どこか達観した存在となった。
 候補生時代、本線である羽越含め、多数の在来を見つめる時の揺らいでいた目。

「…何ですか」

 続きをなるべく平静に促すと、秋田新幹線は数度瞬きをした。視線は海に向けたままである。

「あなたにとって、新幹線が来ないことは、きっと幸福だ」

 幸福とは、と羽越本線は考えた。新幹線が出来たら、何か不幸なことがあるのだろうか。高速鉄道は未来である。人に希望と幸せを運んでくる。
 そう信じられているから、整備されていくのだ。

「…仰っている意味が、よくわかりません。いつだって、新幹線の開業は待ち望んでいます」

 地方で在来線が譲渡されても、線路を共用した結果本数が激減しても、最悪の場合廃線になったりしても、だ。
 何もなかった地に、線路を敷設したのは、人を物を、人の想いを運ぼうとしたからであって、それは今でも変わらない使命である。
 形が変われどそれが果たされるのであれば構わない。
 羽越本線はそう思っている。
 整備新幹線の話が出た時から、きっと関係する在来線はこれまでに折り合いをつけている。信越本線だって東北本線だってわかっている。これからどんどん区間が短くなる北陸本線だって、九州の在来線だって、北海道の在来線だって、それはわかっている。
 高速鉄道の化身たちだって、普段はこんな弱気な発言はしない。
 それでもたまに、こうして揺らいで見せるのは、きっと限られた在来線相手にだけで。誇らしいような、苛立ちのような、複雑な感情を自覚する。
 羽越本線は上越上官のこういう姿はあまり見たことがない。そう言ったら、上越線が笑っていて、お前は秋田上官だからだろ、とどうしてか少し嬉しそうに言った。頼られるのは特権だ、と言っていたのは、ほとんど会うことのない、東海道本線だったか。

 乗車率が悪いと言われようと、所詮在来線だと言われようと、上官は上官たれと誰かが言う。自分たちはそうでなければならないと、何よりも本人が自覚している。
 一在来線に出来ることなど、無いに等しい。

 だからこそ、貴方たちの歩いている道は正しいのです、と背中を押すくらい、何度だってやってやる。

 雨で山形新幹線や秋田新幹線が止まりやすいのは、山間部の地上を走るせいだ。それは構造上仕方がない。コンクリートの高架橋を走っていくわけではないから、地中の水分量が跳ね上がれば安全面を考慮して運転が出来なくなることだってある。

「上官、明日は県内で仕事ですか?」
「…え?ああ、うん、まずは秋田で仕事して、最終でまた東京に向かう予定」
「相変わらずハードなスケジュールですね…、前線も夕方には北海道へ抜けるそうですから、明日は自分のところを走れますよ、大丈夫です」
「大丈夫、か。まあ、そうだよねえ」

 揺らいで見えた瞳が、安堵に溶けたように細められる。
 大丈夫です、と羽越本線はもう一度繰り返すのだった。





灰色の境界線

あなたなら、だいじょうぶ




 


本線が上官を勇気づけるの大好きマン。

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