高崎駅事務室裏にある自動販売機の前に並んでいると、突如チャリンチャリンと軽快な音がして、目の前のボタンが全て光った。耐えかねて順番を抜かされるほど、優柔不断に悩んでいたつもりのなかった信越本線は、少々苛立ちを覚えながら、それでも一応一歩後ろへ下がってみせる。ついでにいけすかないやろうの顔を拝んでやろうと、視線をちらりと横にやれば、見慣れた顔が何故かひどく嬉しそうに笑っている。 「・・・・嫌がらせをして喜ぶのはお前の方じゃないと記憶してたんだけど」 信越本線の言葉に、驚いたように目を丸くしたのは、高崎線である。 「嫌がらせ?何かされた?あ、早く選べよ、お金戻ってきちゃうだろ」 「は?何?奢ってくれんの?何で?」 言いながらも既に信越本線の右手はひとつのボタンを押していて、ガコン!と勢いよくペットボトル飲料が落ちてきた。ひんやりとするそれを取り出して、すぐにキャップを空けて飲む。一体何で奢られたのか、この時点で信越本線にはわからなかったが、高崎線の気が変わる前に、と口づけて自分の物にした。 「こないだ、宇都宮が世話になったろー。その御礼。宇都宮と会うことなんてほとんどないだろうから」 まるで代わりを務めるのは当然かのように、高崎線は言った。 「・・・・知ってたの?」 「まあ、知ってたというか、勘付いてたっていうか、違和感あったっていうか」 覚えがあったっていうか。 最後の言葉に、信越本線は首を傾げる。 体調が芳しくない宇都宮線の面倒を見たのは、つい先日のことである。面倒を見ると言っても、甲斐甲斐しく世話をしたわけではなく、何となく発作のようなものが治まるのを、側で見ていただけだ。 新幹線開業に伴う、並行在来線の第三セクター譲渡。それが決められたのは、もう随分と前のことで、最初にその施策が実行されたのは、信越本線だった。 最初に路線の化身として現れた時、信越本線は子どもの姿だった。徐々に線路が伸ばされていくに従い、姿形が大人に変わった。だから始めは、譲渡されれば退行するのではないかと思ったものだが、そういった現象は起こらずに、代わりに少しだけ不調になった。それを覚えていたので、この度東北新幹線延伸に伴い、一部が第三セクターへ譲渡された宇都宮線―――もとい東北本線も、恐らくは同じような現象に悩まされるだろう、と判断して、様子を見に行ったのであった。 宇都宮線はプライドの高い男である。 路線の化身など、どれも同じようなものであるが、その中でも殊宇都宮線に関しては、誰もが頷くくらいには周囲からもそうであると認められている。 だからきっと、自分の弱っている姿など、上司である東北新幹線にも、生まれた時から双子路線としてずっと同じ時を過ごしてきた高崎線にも、自分から言ったりはしないだろう、と信越本線は考えた。だからこそ、自ら関東平野まで赴いたのである。 ところが、高崎線は今何と言ったのだったか。 知ってた?勘付いてた?・・・・覚えがあった? 信越本線の表情が、よほど疑念に溢れていたのだろう。高崎線が弁解するように言う。 「君らとは違うけどさ、遠い昔、それこそもう記憶が薄れちゃうくらい昔、俺も自分の一部を譲ったことがあるよ」 「・・・・そうだっけ」 「うん、俺の場合は信頼してる人へ任せたって感覚だったから、そんなに喪失感とかはなかったけど。宇都宮の一部は、最初は俺だったから」 そうか、と信越本線は何故か頷けなかった。 「だから、東北上官の八戸延伸の日、宇都宮、ちょっと様子が可笑しいなって思ったんだけど。ああいう奴だから、仕事に没頭しちゃうし、そういう時に限ってあんまり会わないし。宇都宮はいつまで経っても、俺から線路奪ったこと気にしてるから、そんな俺から言われたところで素直になるわけないし、さてどうすっかなーって思ってたら、信越が来たよって、あの日京浜から聞いてさ、なら大丈夫かーって安心した」 高崎線は、信越本線が未だ遠慮せずにぐびぐびと飲み下していく飲料水を指さして、だからこれは御礼、と屈託なく笑う。 「お前らって、」 変わってねえな、と言おうとして、信越本線は結局言葉をペットボトルの底に最後に残っていた液体と共に飲み込んだ。なに?高崎線が不思議そうに尋ねてくるが、答える気はもう無い。 大人なのは宇都宮の方と見せかけて、何だかんだと高崎が一区で、僅かな差であれど、先に存在したのだと思い出すのはこんな時である。何も考えていないようで、抑えるべきところは抑えている、そんな印象だ。 昔から宇都宮線と高崎線の2人はそうだった。聡明なのは宇都宮線で、いつも何か考え込んでいて、要らないことまで心配して雁字搦めになり、それを高崎線が心配いらないと笑って見せる。東海道本線が頭を悩ませていたのも懐かしい。 「お前がそんなんだから、宇都宮はいつまでたっても高崎離れ出来ないんじゃねーの?」 「えー」 「せめてもうちょっと感情込めたらどーよ・・・・」 とりあえず飲み物はありがたく頂戴しました、と信越本線が言うと、高崎線はやはり嬉しそうに笑ったのであった。 |
うったんに関することについては、大事な時は外さない高崎が性癖。 |