「貴方は強い」 ぽつりと漏れた声に、東北新幹線はすぐに反応出来なかった。最終の下りのやまびこ号を見送り、あとは到着を待つだけになった東京駅の新幹線執務室で、北陸新幹線がそう呟いたのだった。確か今日は金沢に帰ると言っていて、まだ最終列車まで少しばかり時間がある。ぼんやりとした表情でソファに沈み込んでいたその男の顔には、在りし日の幼さが残っていた。 「…何かあったか?」 今ここには、2人しかいない。果たして明確な意思を持って発された言葉なのかどうかは判断し兼ねたが、何か意味がある気がして、東北新幹線は問いかける。 世間は春の大型連休を終えて落ち着いていて、まもなく梅雨に入ろうとしている。北陸新幹線が開業して、2ヵ月が過ぎた頃だった。 さしたる混乱もなく、順調に推移している。関東から金沢までのアクセスが抜群によくなり、客足も上々だ。飛行機が減便になったほどだと聞いている。元々長野新幹線としノウハウを持っていたこともあって、北陸新幹線は開業からこの方、特に誰かを頼るでもなく仕事をこなしていた。 そういう、順風満帆に見えた男から、ぽつりと漏れた言葉を、拾わないわけにはいかない。上越新幹線あたりは捻くれた性格をしているため、相談に乗ろうなどとは思わないかもしれないが。そこは人を選んで言葉を発したのだと思いたい。 北陸新幹線は、随分と緩やかな動きで東北新幹線へ視線を投げる。 「…何かが、あったわけではないんですが。延伸することは、必ずしも万人から喜ばれることではないんだなあ、と」 「…その意見には同意するし、それを知っておくことは無駄ではないと思うが、北陸新幹線金沢延伸は、待ち望まれていた方だろう」 「そうですね、それもわかっています。だから、貴方は強い、と思ったんです。新青森延伸も、北海道新幹線新函館北斗駅延伸も、色々あったと聞き及んでいます。そういうのを、全部受け入れて今までやってきたわけでしょう。強いです。僕はどうしても気になってしまう」 「地元民にとって、東京へ楽に出られるようになるが、代わりに中距離の特急は廃止になり第3セクター化することで運賃も料金も高くなる。不満が出るのは仕方がないさ。そのうち時が解決するだろう。なんだ、北陸内の移動が面倒になったとでも言われたか?」 「まあ、それもありますが、福井はそのうち開業するでしょうし、そこはいいんです」 北陸新幹線はそこで一旦会話を区切る。窓の外には新幹線ホームが続いていて、続く線路の奥には、北陸新幹線と同日開通した上野東京ラインの線路が見える。丁度列車が到着したようだが、ここからでは何線が滑り込んできたのかわからない。 北陸新幹線の視線を追っていた東北新幹線は、彼が言いたいことがわかってしまった。 「本線か、それとも信越か」 北陸新幹線自身が答えを誘導したようなものだったからか、特に驚いた様子も見せず、東北新幹線の問いに対し、眉を下げて笑っただけだった。 「別に、恨まれるとか、疎まれるとか、それはいいんです。だって確かに高速鉄道のせいで在来線は経営移管されたりするわけですから。長い鉄道の歴史の中で、経営者が変わったり、名称が変わることはこれまでだってあった。だからきっとこれらは貴方のいうように、時が解決してくれるのだと思ってます」 北陸新幹線は、体の内側に溜まっている何かを一緒に吐き出すように、長い息を吐く。目を瞑って昔を思い出しているのかもしれなかった。 不思議な存在だ、と思う。ついこの間まで、子どもの背丈ほどしかなかったのに、世間に向けて開業し、定義づけられた途端、大人の姿に成長する。東北新幹線は、盛岡まで開業した時点で、既にこの姿だった。福島あたりで暫定開業すれば、別だったのかもしれない。 年数に応じて外見年齢が上がるとも限らないため、ずっと子どもの姿のままの路線もいる。精神構造などは子どものままなのか、特に違和感があるわけでもない。 対して北陸新幹線は、着工当初から、北陸新幹線として工事が始まった。長野新幹線という名で暫定開業したものの、あくまで北陸新幹線の一部だった。だからきっと、幼い姿で存在することになったのだ。金沢まで延伸し、初めて完全体となった。 長野新幹線だった頃は、在来線の上官という立場とはいえ、子どもだった。子どもゆえに甘やかされることもあったし、在来線たちもあえて距離を取ったりはしなかったのだろう。東北新幹線の並行在来線である東北本線―――もとい宇都宮線も、別段生意気な面があるとはいえども、東北新幹線に対し最低限の礼儀は弁えている。距離が近しいように見える西日本の在来線や新潟組も、その線を消したりはしない。 そういうところに、北陸新幹線は戸惑っているのかもしれなかった。 「北陸本線も、信越本線も、開業した途端、急に遠くなった」 「そうかもしれんな」 「あんなに鬱陶しいほど絡んできていたのに、掌を返したような態度をされれば、面白くありません。…って、これも自分勝手な話だってわかっているんですけどね」 本人に言ってやればいいじゃないか、と東北新幹線は思わなくもないが、そこはきっと高速鉄道としてのプライドが邪魔をしている。そしてそれは、何も悪いことじゃない。東北新幹線も、高速鉄道としての自覚を開業前に叩き込まれている。 最優先される存在としてこの世に出ている限り、上に立ち続ける限り、下に降りることは許されないし、苦汁をなめてきた多くの存在たちに示しつづけなければならないのだ。「俺たちは日本の高速鉄道である」ということを。東海道新幹線の態度を賞賛するつもりはないが、彼はあのようにあるべきなのだろう。 北陸新幹線もそこはわかっている。長野新幹線の時だって、嫌というほど感じていたはずだ。ただ、子どもにはまだ許されていた部分があった。そしてそれは、もうない。 「ひとつ、良いことを教えてやろう」 「…はい?」 「腹を括れ。どうしたって俺たちは上に立たねばならんのだ。ならば腹を括って上に立ち、欲しいものがあるなら自分で全てどうにかしろ」 候補生時代、何でこの男が並行在来線だったんだ、と恨んだこともあったが、今となってみれば非常な程に高速鉄道としての自覚を叩きこんでくれた宇都宮線には感謝をしている。 少しでも夢を見られた北陸新幹線は、幸せだったのか不幸だったのか。 いずれにせよ、これから葛藤と戦っていかなければならない。 「そうですよね、泣いても喚いても、僕は北陸新幹線で、高速鉄道。ならば立場を弁えて行動していくしかない」 自虐するような笑いと共に、北陸新幹線が立ち上がる。まもなく、最終の金沢行きが発車する時刻となるようだ。 「くだらない話にお付き合いいただき、ありがとうございました。上手い利用の仕方は上越先輩にでも聞いてみることにします」 「それは…ほどほどにしておけよ」 「やだなあ、どうせやるなら徹底的に、ですよ」 ひらりと手を振り、幾分か上機嫌な様子で北陸新幹線は執務室を出て行った。 北陸本線はともかく、信越本線のこれからを思うと、合掌せずにはいられないが、ある意味自分で撒いた種である。心配する必要もない。 俺たちが、新幹線、日本の高速鉄道だ! 強くそう言い放つ、日本で最初の新幹線の声が、聞こえるような気がした。 |
信越が諦めるより、弟が腹を括る方が早いだろうなっていう話。 |